横江公美
戦略的に勝利したトランプ
一般得票の数ではヒラリーに負けながらも、選挙人の数で圧倒したドナルド・トランプが大統領選挙を制した。
この結果を見ると、トランプの勝因は選挙戦略だったと言えるだろう。州を取り合う大統領選挙は、誰が候補者になっても必ず共和党が勝つ州と民主党が勝つ州が決まっており、選挙の勝敗を決めるのは、どちらの政党も勝つチャンスがある「戦いの州」と呼ばれる州である。そのためいずれの党の候補者も「戦いの州」を中心に選挙運動を展開することになる。
だが、伝統的な共和党員でも、政治家でもないトランプは、必ず共和党が勝つ州でも負ける可能性があると報道されていた。一方、ヒラリーは、すでに安定圏でリードしていると言う州を足すだけで当選に十分な選挙人を得ていると言う世論調査もあった。つまり、接戦と言われるフロリダ州とオハイオ州を取るだけでは、トランプの勝利はないと見られていた。
結果を見ると、どうやら、トランプは共和党の州は必ず手に入れ、かつ、接戦州はもとより民主党しか勝利していない州も手に入れる戦略を立てていた。
最高裁判事のために保守が集結
1つ目は、確実な共和党の地盤である。現在、共和党の強固な地盤は、白人が多く、厳格なクリスチャンが多い南部の地域と、牧場とトウモロコシ畑が広がる内陸部である。ところが、選挙最終盤になると、ユタ州、ジョージア州、テキサス州、アリゾナ州と言った地域が民主党有利と言われるようになった。
だが、蓋をあけてみると、トランプは全ての共和党州を手にした。その理由は、この選挙は最高裁にとてつもないほどの影響力を与える選挙だったからだ。
最高裁の判事は定年がないため、定員9人の勢力地図はなかなか変化しない。だが、最近一人が亡くなり、ポストが1つ空白になっているのに加えて、現在高齢の判事が3人存在するため、新大統領政権下では最大4人の判事が入れ替わる可能性があると見られている。
大統領が最高裁の判事の指名権を持っているので、この大統領選挙は今後数十年にわたる最高裁の方向性を決める選挙だったのである。
トランプが大統領になることは反対だとしても、ヒラリーが当選して、民主党優位の最高裁になると、今後、2,30年間はその勢力は変わらない可能性がある。憲法の解釈を共和党有利にするため、保守派の大物たちはトランプを支持していたと考えられる。
私が在籍していた保守思想のシンクタンクとして名高いヘリテージ財団は、この大統領選挙の勝者と報道されているが、自由貿易と強い同盟を基本思想としていたので、反トランプの研究者もそれなりにいた。だが、2年前に所長を引退した創設者のエド・フルナーが8月の終わりに政権移行チームに入ったのだ。トランプが当選してからは、レーガン政権下で司法長官をつとめたエドウィン・ミードも予算部門のトップとして政権移行チームに入った。
他のメンバーの顔触れも含めて政権移行チームのメンバーを見ると、最高裁を獲得することが最大の目標であることが明らかだったのである。
キリスト教団が予想外に支持
なぜ、判事指名がそれほど大事かというと、アメリカの最高裁は大統領以上の権限を持つところもある。最高裁が、オバマケア、同性婚を認めなければ、現実化しなかった。混乱した2000年大統領選挙は共和党が優位を握る最高裁が共和党のW・ブッシュ大統領に決めたという見方もあるほどだ。
アメリカの憲法解釈は、オバマ大統領が誕生する以前は、キリスト教の価値でなされてきた。多様化の流れの中、今のアメリカはキリスト教色が薄まっている。そこを心配する保守派の大物とキリスト教団体が予想以上にトランプを支持していた。トランプは、ジョージ・W・ブッシュ大統領以上にプロテスタントのキリスト教信者の票を集めただけではなく、以前はマイノリティとされ民主党を支持してきた白人カソリック票も過半数以上を手に入れた。この結果は、最高裁判事の指名が大きく関与していると思われる。
トランプは、不信心に見えるが意外と厳格なキリスト教信者の生活を送っている。35歳の時に、兄をアルコール中毒で亡くしてからは、全くお酒を飲まない生活を送っている。バイブル・ベルトとよばれる厳格キリスト教徒の多い地域は、お酒が売っていないだけではなく、レストランにもお酒を置いていない地域が広がっている。
トランプが愛読書として聖書を上げるのはこんな背景があるのだ。
ミット・ロムニーが国務長官に名前があがり、彼の地盤であるユタ州でトランプは結果として圧倒的票差で勝利したことを考えると、トランプを「詐欺師」と呼んだロムニーとも手を握ったと考えられる。
労働組合を狙え、トランプの看板だらけ
次に、接戦州と民主党州に対してである
私は、8月ミネソタ州で行われた「ジャーナリズムとマスコミ学会」に参加した。そのとき、選挙の現地調査を兼ねてワシントンDCからミネアポリスまで3日間かけて、車で走り抜けた。この時、トランプの勝利の決め手となった、ペンシルバニア州、オハイオ州、ミシガン州、ウィスコンシン州を走った。この地域は、労働組合に参加する企業が集積し、かつトウモロコシ畑が広がる地域である。オハイオ州以外は常に民主党が勝利してきた州であった。
多様化が進む人口動態で見るとヒラリーが有利であるが、勝利のサインはトランプにあった、と私が言っていたのは、まさにこの地域を体験したからであった。
約3000キロの道中で、目にした手作りの選挙看板は全てトランプだったのだ。この地域は、インディアナ州とオハイオ州を除くと伝統的に民主党が強いと言われる地域である。にもかかわらず、トランプの看板しか見ないのだ。高速道路を走っていると、ベニヤで作った看板にペンキで「トランプ」と書いてあるのが目に入るのだ。ミシガン州のクリーブランドの商店街を歩くと、トランプ・グッズがヒラリー・グッズよりも圧倒的に多い。ウィンドーの絵は、スーパーマン姿のトランプだ。繰り返しになるが、この州は最近、民主党しか勝っていない地域なのだ。
この地域は、まさに戦後のアメリカ経済の栄光の場所である。「偉大なるアメリカよもう一度」はこの地域の工場や炭鉱労働者のための言葉でもある。黒人とヒスパニックが多い最貧下層はオバマケアと呼ばれる国民皆保険で一定の救済はされた。それゆえに、健康保険料は年間平均約30%も値上がりした。賃金の低い労働者にはきつい値上がりである。しかも、アメリカは景気向上と言うがこの地域の景気は一向に良くならない。
TPP反対は、オバマ大統領の救済政策から零れ落ちた生活の苦しい労働者層の心に響くだろう。好景気と言われたビル・クリントン政権の8年でも生活は良くならなかった、そしてオバマケアの導入に成功させたオバマ大統領ですら仕事は返してくれなかった、もう民主党に期待はできない、でも、アメリカン・ドリームの成功者であるトランプならできるかもしれない、と考えたのだろう。しかも、この地域はクリスチャンが多いのだ。
実は、共和党の戦略家たちは、2000年代前半から、労働組合は民主党の集票マシーンとして機能しなくなると見越していた。
トランプが最後の遊説場所に選んだのは、ペンシルバニア州とミシガン州である。トランプはどんな世論調査結果がでようと、この地域に足を運び続けていた。トランプ陣営は独自の世論調査があったのだろう。
トランプの勝利の背景には実に緻密な戦略があったと考えられる。