「一院制」を望む人たち

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 キャメロン英首相は国民投票を選んだことを後悔しているでしょう。国民投票は「イエス」か「ノー」かの一発勝負。逃げ場のない「危険なゲーム」です。「EU離脱」を選んだ国民も後悔を始めたようです。日本はどうでしょうか。

 
7月10日の参議院選投開票が終わり、自民・公明の与党が予想通りに勝利しました。自民・公明は大幅に過半数を上回り、改憲勢力は改憲に必要な三分の二の議席も獲得しました。自民・公明は衆議院ですでに三分の二を占めていますから、衆議院主導の国会運営がさらに強まり、参議院が衆議院のコピーになる、ミニ衆院が誕生する、ということは目に見えています。

 参議院はかつて「良識の府」とか「再考の府」とか呼ばれました。「そんなこと昔の話だよ」という反応はまだしも「そうなんですか?」「本当?」という人もいます。でも本当なのです。選挙に出られる人の年齢を考えてください。衆院が25歳なのに、参院は30歳です。「衆院は若い意見も反映しますよ、その代り参院の議員はもう少し大人の人になってもらいましょう」ということです。参院に解散がなく、任期6年の議員が半数ずつ3年ごとに選挙を行う、ということも大人の政治を目指している、ということでしょう。

 「予算の衆議院」に対し「決算の参議院」と言う表現もあります。いずれも衆議院で決まったことを、参院では多角的な視点から議論して民意を反映させる、ということです。党派性に関係ない立場で議論することによって独裁政治を防いだり、衆議院のやり過ぎをチェックしたり、という役割は「二院制」の根幹の考え方です。二院制は英国で生まれて、日本における民主主義を支え続けてきました。それなのに、親元の英国でキャメロン首相が二院制を飛び越えて国民投票に突き進んでしまったことは残念でなりません。

 

衆院と同じなら無用か

 

 二院制については、参院コピー論をはじめ絶えることなく議論が起きています。実際、途上国や独裁色の強い国だけでなく、ニュージーランド、デンマークといった先進国でも一院制が採用されています。「おおさか維新の会」の基本方針は「統治機構改革」として「憲法を改正し、首相公選、一院制(衆参統合)、憲法裁判所を実現する」としています。明快に一院制の主張です。

 一院制のメリットは政策決定が効率的になることです。同じ問題を二度議論することは、時に非効率につながります。国民投票で選ばれているのと同じですから、政権には便利な制度と言えます。いつも引き合いに出される言葉があります。「第二院(参院)がもし第一院(衆院)と一致するならば無用であり、一致しなければ有害である」(18世紀のフランスの政治家シェイエス)

 

「党派性をなくし、助成金も議員個人に」

 

 「そうなってはいけない」ということなのでしょう。参院の改革について、2012年に「参議院の将来像に関する意見書」が出ました。当時の参院議長斎藤十朗氏の私的諮問機関として発足した「参議院の将来を考える有識者懇談会」が出したものです。この意見書はもちろん「二院制」を前提にしています。衆院と同じにならない参院を作るためにいくつかの点を提言しています。参院の党派性をなくせ、「党議拘束」を止めよ、中・長期的な議論をせよ、政党助成金などを政党単位ではなく個人単位に見直せ、などです。「決算の審査に重点を置く」ことも記されています。これらの提言が少しも生かされず、参院選は終わりました。おそらく三年後も変わらないでしょう。

 

消費税再先送り、財政再建はそっちのけか

 

 今回の選挙で気になるのは、政治を見守る新聞の関わり方です。消費増税は財政再建、人口対策などを抱えた日本では、もっと議論されていい問題ですが、議論を提起する立場の新聞は軽減税率が適用されることになっています。新聞にとって消費増税が実施されようが、見送られようが、痛くも痒くもない、ということになってしまいました。新聞からは「そんなことはない。ちゃんと議論している」という反論が返ってくるでしょう。読者はそれを信じるでしょうか。新聞は国民生活にとって必需品だから軽減税率適用を、という要求が国民の側から出たのならばともかく、新聞自身から出たことは、新聞社の「人徳」を疑わせています。安倍首相自身、6月1日に再度の見送りを決めたことについて「参院選で信を問う」と明言しました。ところがそんな議論が新聞から影をひそめてしまったように見えました。財政再建はどこへ行ってしまうのか、人口減少に歯止めはかけられるのか、そういう「青臭い議論」をするのが参院であり、メディアであるはずです。

 

有権者の心の中の「ポピュリズム」

 

 見出しに「一院制を望む人たち」と書きました。無駄な議論を排し、効率を優先する政治家は一院制を望むでしょう。しかし、二院制を空洞化させようとしているのは、政治家よりも私たち有権者一人一人に思えてなりません。英国の国民投票を見ると、恐ろしい気持ちになります。「オール・オア・ナッシング」です。中間色や灰色部分がありません。英国は「二院制」を利用すべきでした。日本での国民投票は憲法改正の場合しかありませんが、すでに日常の選挙自体が国民投票的な色彩を持ち始めたと感じられてなりません。

 英国ショックの直後、知人がメールをくれました。

 「国民投票のような直接民主主義に反対です。ギリシャ時代以来、衆愚政治、ポピュリズム、排外主義に陥る危険性が高い」

 ポピュリズムは「大衆迎合主義」という批判と「反エリート」という評価があります。民意をくみ取ることが政治だとすると、政治からポピュリズムを除くことは大変難しいように思います。また政治の本質はポピュリズムではないか、と思うこともしばしばです。その弊害を少なくしようとしたら参院改革を断行するしかありません。同時にポピュリズムを求めているのは、自分たち有権者であることを自覚しないわけにいられません。