『凋落』

H.Sekiguchi

H.Sekiguchi

関口 宏

『フジテレビはなぜ凋落したのか』
 何とも刺激的なタイトルの新書が著者から送られてきました。
吉野嘉高さんとおっしゃる方で、23年間フジテレビに勤められたそうで、お互い面識はないのですが、私も若い頃、相当お世話になった局だけに、早速拝読しました。

 半ば、告発的なタイトルに引っ張られてのことでしたが、読み終えてみれば、バッシングというよりも、長年籍を置いた職場への愛惜の念のようなものが伝わってきて、ホッとしました。

新潮新書

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 たしかに最近のフジテレビの状況は芳しくないようです。
視聴率の低下、それは即、営業成績に跳ね返る仕組みになっている我が業界。
だから寝ても覚めても「視聴率」「視聴率」という恐怖心の虜にならざるを得ないテレビ屋の宿命については、このコラムでも度々ご紹介してきました。

 どこからともなく、「視聴率以前の大切な事もあるのではないか」との声が聞こえて来そうですが、残念ながら業界の「物差し」は今のところ、この視聴率ひとつ。
数字の高い局は活気づき、低い局は元気が出ないという次元は変わらないのです。

 吉野氏在職中のフジテレビは「楽しくなければテレビじゃない!」を合い言葉に、ヤレ行けソレ行けとばかりにヒット番組を連発、業界でブイブイ言わせていた時代でした。
そのフジテレビに元気がなくなってしまったのは何故なのか。
組織論から社員ひとり一人の意識、そして変化し続ける時代との取り組み方等々、冷静に吉野氏は分析。ご自身、「個人的実感」とエクスキューズされていますが、同じテレビ屋として「同感!」と拍手を送りたくなる所も沢山ありました。

 しかし考えてみれば、テレビ60年の歴史の中で、ブイブイ言わせた局はフジテレビばかりではありません。
NHKに始まったテレビがやがて民間でも始まり、しばらくはナイターとプロレスの日本テレビが先行、やがてドラマと報道のTBSが天下をとり、その間、他局は苦汁をなめていたのでしょうが、そこを突き崩していったのがフジテレビだったわけで、「覇権は動く」「天下は永久ではない」「諸行無常」の摂理はしっかり働いていたようにも思われます。

 そして「地デジ化」の時代がやってきます。
この時私は、「フジが損して、テレ朝が得するのでは・・・・・?」と、ふと思ったものです。

 それは何を言うでもない、新聞のラテ欄から来る印象でした。
これは関東エリアに限ったものかもしれませんが、紙面の左からNHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレ朝、テレ東と長年見慣れてきたラテ欄の順番が変わって、フジテレビが右の一番外になり、テレ朝がひとつ中へ入ったのです。
しかも地デジ化は、薄型テレビへの買い替えに繋がり、リモコンの「5」の上には、目の不自由な方用のポッチがついているのです。
何となくリモコンを持った時、親指の腹に触るポッチが「5」。思わず「5」を押してしまっても何の不思議もありません。

 

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 そしてその地デジ化以降、テレ朝に活気が出て、フジテレビは元気がなくなるという現象が起こって、一人、「思った通りになったか・・・・・」と悦に入っていたのですが、もちろんそんな単純なものではないのでしよう。
その辺りを吉野氏が詳しく分析、さらにこうした凋落現象は他の企業でも起こり得るのでは・・・・・との指摘にも、頷けるものがあるように思われました。

 ちなみに今現在の状況は、NHKは別として、日本テレビの一人勝ち。他局は皆苦渋をなめている状態です。

 ではその日テレ独走状態がなぜ生まれたのか。
「あれだ、これだ」と言う人はいますが、実は、確たる回答を持っている人はいないのです。
「そうなのだろう」と思います。
天下がとれる方法があるなら、皆が皆そうするのであって、暗中模索の中で、日夜葛藤し続けなければならない宿命を背負わされているのが、我が業界。
「だから面白い!」と思えるなら、それだけで立派なテレビ屋なのかもしれません。

 そしてもうひとつ。
実はこれが切実なる大問題なのですが、我が業界が視聴率競争に明け暮れる次元から、別次元の不穏な動きに翻弄されつつあるようにも思われます。

 それは「ネット」。

 いい悪いは別として、ネットの影響は日々地球を駆け巡っています。
それがどんな世界を作り上げるのか、それこそ確たる回答を持つ人はいないのでしょうが、「ひょっとすると、テレビ業界のあり方も変えてしまうかもしれない」と言う人も現れ始めています。

 10年後、20年後、「あの視聴率、視聴率と言っていた時代が懐かしいね・・・・」なんてことにもなるのでしょうか。

 古いテレビ屋としては、「それも淋しいな・・・・」と、「今」に拘り続けています。

テレビ屋  関口 宏