関口 宏
あるテレビの旅番組で、編集し終わってみたら、起用した若い女性タレントさんが、なにを見ても、なにを聞いても、とにかく、「スゴい!」としか反応していないことが分かり、編集はやり直し、細かい描写もナレータさんにすべて読ませて、どうにか格好をつけたという話を聞き、・・・あり得る、と思いました。
最近の若い人たちのリアクションで、圧倒的に多く感じるのが、この「スゴい!」なのです。一時の女性用語、「カワイイ!」に似た要素があるのでしょうか。
べつにそれが悪いとは言いませんが、連発、連発、連発には、どこか抵抗を感じるのは、年齢の問題ばかりではないでしょう。
では、それはどこから来たのか・・・・・・・。
と申しますと、テレビ屋としては、忸怩たる思いにもなるのですが・・・・・
やはり、テレビなのでしょう。
テレビカメラの前で、何か言わなければならない、というプレッシャーは、想像以上のものがありまして、咄嗟に、的を得た言葉を口にすることは、至難の技に近いものがあります。
しかも時間に急かされる感覚と、視聴者の耳を気にして、「滅多なことは言えない」という想いに駆られると、つい、安易な言葉を選んでしまう。
それが「カワイイ!」だったり、「スゴい!」になったりするのでしょうか。
それは、喋りのプロであるアナウンサーさんにも言える事で、コメントの締めの言葉に、つい、「常套句」を使ってしまう場面を、よく見かけます。
「成り行きが注目されます」とか「当分、目が離せません」と言って、その場を閉めようとするパターンです。
「目が離せないなら、他のことは何も出来ないじゃないか」と画面に向かって、イチャモンをつけたくなるコメントですが、おそらく、そう言ってしまったご本人も、(しまった!また使っちゃった・・・・・・・・)と、スッキリしない想いになるようです。
でもそれは、自覚症状があるだけマシなほうで、まったく無自覚に「常套句」を使い続けるアナウンサーさんも多いように思われます。
最近の端的な例としては・・・・・お気づきの方もおられるかもしれませんが・・・・・「と、いうことです。」が常套句と化して、ニュース報道番組で、それこそ次から次へと連発されています。
「何々は、何々である、・・・と、いうことです。」
つまり、この言い方によって、コメントをしっかり締めくくったかのような感じになるのでしょう。
ひどい時には、「何々は何々である、と、いうことで、何々については何々何々、と、いうことで、つまりこれは、何々何々である、・・・と、いうことです。」と、ひとつのセンテンスの中で連発する人もいて、今やテレビは、「と、いうことです」オンパレード状態に陥っています。
では何故そうなるのか・・・・・
一つには、コメントを言い切ったと感じる快感もどき。
そして、もう一つ・・・・・実はこちらに大きな問題があると思われるのですが・・・・・
そもそも、「と、いうことです」で表現される意味合いとは・・・・・
(と、誰かが言っていました。)とか(私は知りませんが、どうも、そのような事のようです。)、という具合に、《断定》を避けるようなニアンスが含まれています。
実際、ニュース、情報を伝える報道部には、事あるごとに視聴者から、苦情、抗議が殺到します。時には、裁判沙汰の大問題に発展することもあり、担当者も、自らの責任を問われかねません。
だから出来るだけ《断定》は避けておこうとする空気が生まれ、「と、いうことです。」オンパレードになってしまっているようです。
しかし考えてみれば、(誰かが言っていた)とか、(私は知りませんが・・・)で表現するニュース報道番組の、肝心な《信憑性》はどうなってしまうのか、老婆心、いや老爺心ながら、大変心配されるところです。
さて、「常套句」の有名な失敗談をひとつ。
だいぶ昔のことですが、日本国内で、ある悲惨な大事故が起こり、ある情報番組も、現場からの生中継で放送したのですが、 その終わり際に、女子アナさんがひとこと。
「明日もこの悲惨な現場から、生放送でお送りします。・・・お楽しみに!」
・・・・・?!・・・・・
そして、その直後から、テレビ局中の電話が鳴りっ放しになったお粗末。
もちろん、この女子アナさんには、微塵ほどの悪気もあった訳ではなく、番組の終わり際の、「(明日も)お楽しみに!・・・」は、業界の常套句なのです。
聞くところによれば、その後その女子アナさんは、まったく異なる部署に配置転換された・・・「と、いうことです。」
テレビ屋 関口 宏