大桃 美代子
ブータン王国と聞くとどんなイメージだろうか?ヒマラヤの近く、イケメン国王、国民総幸福量(GNH)という声が多い。
今年は第5代のワンチュク国王に王子が生まれるという、ブータン国民にとって、とてもハッピーな年なのだ。ブータンはなぜ「世界一幸せな国」と言われるようになったのか?それには日本が大きく関係していると聞き、ブータンに飛んだ。
日本とブータン王国が外交関係を樹立して今年が30周年にあたる。
中央アジアに位置するブータン。国土は九州と同じくらいで、人口は約76万人。主な産業は農林業。IMF(国際通貨基金)の統計では1人当たりのGDP(国内総生産)は2843㌦(日本は約3万2千㌦)。首都ティンプーで平均月収を聞いたら、公務員で2万から3万円の間と教えてくれた。中国、インド、ネパールに接していて、バングラディシュも近い。公用語はゾンカ語。多民族国家で英語も公用語となっていて、修学前から英語を学んでいる子供も多い。中学生と話をしたら、流暢な英語を話し、自分の語学力が恥ずかしかった。英語教育はすすんでいるようだ。
開発途上国であり、主な外貨収入源は水力発電。ヒマラヤ山脈の斜面に位置するブータンの地形を活かした水力発電だ。電力はインドに販売している。農業従事者が多く、自給自足的農業で生き抜いているという感じだ。ブータンは2020年までに100%オーガニックをめざし、農業政策をすすめている。
「ブータン農業の父」西岡京治
ブータンの西に位置する「ハ」という村で農家民泊をした。
会った瞬間に「クーサンポーラ、ガーデンチェラ(こんにちは、ありがとう)」と、合掌されてびっくり。突然の感謝に面食らいながら、受け入れてくれている温かさを感じる。
今回体験した民泊は日本の国際協力によって、農家の収入を増やすためトレーニングなどを行い始まったばかりの事業である。
家は大きく、築3年の二階建て。3世代で9人が暮らしている。おじいさん、おばあさん、お母さんが農業をし、娘が先生、子供たちは学生という家族構成だ。
農地は1・2㌶で、ジャガイモ、ホウレンソウ、大根、ニンジン、サヤエンドウ、キャベツ、唐辛子と、少量多品種を栽培する。これは自家消費用。収入源はというと、6頭飼っている牛のミルク販売。食卓に自家製野菜を使った料理が並ぶ。塩、チーズ、唐辛子で煮込んだもの。ブータン仏教は大乗仏教の流れをくみ、無駄な殺生を禁じている。肉や魚はたまにしか出てこない。無農薬、オーガニックで作られた野菜が多く、赤米ご飯がすすむ味だった。
昔は野菜の種類も少なかったらしい。それを変えたのが日本の西岡京治という一人の日本人だと教えてもらった。大根やリンゴ、アスパラガスなどの種を持ち込み、栽培技術を教えた。農業試験場の必要性を説き、ハツカダイコン、キュウリ、トマト、ナス、エンドウ、カリフラワーを栽培し、各地に種を配ったという。農業技術と知識の普及に努めた功労者だった。特に、大根やブロッコリー、アスパラなどは「西岡さんがいなかったら食卓にはなかった」と。ブータンの食を変えた日本人。西岡さんに親近感を抱く人も多く、ブータン人は親日家が多い。顔も日本人となんだか似ているし、日本人が好きだと言ってもらえると、うれしくなる。私も西岡さんに感謝したいと思う。
功績はこれだけに留まらない。焼き畑農業をする地域に対し「焼畑は何の税収にもならない。コンクリートの家を建てるのは、最初は大変だが、次世代の財産となりお腹一杯に食べられるようになるだろう」と国に定住型農業をすすめた。人手不足には、機械化の必要性を説き、日本からの農業機械をブータンに取り寄せ、ブータン人に使ってみせた。西岡記念館には当初取り寄せた機械の一部が展示されている。食品ロスを少なくするため加工のため缶詰機械を導入した。ブータン農業に必要なことを植物学者の粋を越えての活動の姿を見ると、多くの責任を感じていたのだろうと想像できる。情報も物もないブータンで28年間も指導し続けた西岡京治さん。国王から「偉大」という意味の称号「ダショー」を与えられ「ブータン農業の父」と多くのブータン人に敬われている。1992年3月21に亡くなった後国葬され、仏塔が立てられた。仏塔は農業試験場の中にあり、稲作指導をしたパロの街を見下ろす場所に静かに建っている。
ブータンと日本は農業でつながっていた。決して遠い国ではなく、同じ種の野菜を食べる、アジアの仲間。
民泊した家のお母さんは若いときに西岡さんの住むパロという地域へ行き、農業を教えてもらったという。いつもブータン人の着る「ゴ」をまとい、かっこ良かったと。覚えている西岡さんの言葉は「教えるのは私だが、やるのはあなた方だ」と。ブータン人は頑固で保守的だ。納得しないと動かない。人々に納得させるのが大変だった事を示す言葉であろう。
魔法の言葉「ガーデンチェラ」
そんなブータン人の幸せはお腹いっぱい食べる事。家族と過ごす時間が多い事だと言う。
民泊のお母さん、ペマさんに「幸せな時は?」と聞いたら「皆さんが来てくれて喜んでくれるのが私の幸せ」と。西岡さんが目指したお腹いっぱいの幸せから、他人に喜んでもらえる幸せに進んでいたのではないだろうか?ブータンの家にはお祈りの間があり、毎日祭壇にお供えと祈りを欠かさない。
ブータンではチベット仏教と原住民からの自然信仰が融合している。いつも感謝し、小さな幸せを探す意思を感じる。現状の中で幸せを感じる力。「足るを知る」。
ブータン人の幸せの尺度は他人との比較ではなく、自分の心の中、祈りの中にある、と思っている。今はインタ−ネットも解禁され、情報は自由に得られるが、日本のように年がら年中スマホを見ている大人は少ない。物や情報があふれていると分からなくなる幸せの「種」。ブータンはその在りかを教えてくれる場所のようだ。
私たちが「幸せは何ですか?」と聞かれて答えに悩んでしまうなら、他人と比べてばかりいて、自分の心の中が見えなくなっているのではないだろうか?
まずは感謝から初めてみてはいかがだろう。ペマお母さんのおしえてくれた魔法の言葉「ガーデンチェラ(ありがとう)」をつぶやいてみよう。
ご覧頂き「ガーデンチェラ」。
大桃 美代子