志村一隆
バルセロナのサンツ駅に着き、地下鉄で2駅のHospital Clinic駅まで移動。路上にはカフェのテーブルで談笑している人たちがたくさんいる。ここでも、AirBnBの鍵とエレベータ問題を乗り越えチェックインしたあと、早速「Showstopper」というベンチャー企業が集まるイベントに行ってみた。大きなイベントの周りで開かれるサテライトイベントだ。
場所はバルセロナ大学、駅3つ分、歩いて15分くらい。電波が無くてもずっと使えるGoogle Mapの威力を感じつつ歩いてみた。宿より海側にある大学まではずっと下り坂。バルセロナの街は全体に緩やかな坂でできている。
会場には、スマホを連結させてサウンドシステムを作るアプリからVR(Virtual Reality:仮想現実)で会議が出来るサービスまで、30社ほどが出展していた。ビックリしたのは、リトアニアのTelesoftas社のVR会議システム。VRの精度がかなり上がっていた。
VRは2次元だった映像表現を3次元に拡大する。ゆえに、会議室に入ったり、同僚の背後に立ってみるような動きが出来る。よくよく考えれば、それで議論が活発になるかどうかわからない。Skype会議でも、音声だけでやることもあるくらいだし。。けれど、近未来にはメディア=2次元という前提自体が無くなるのかもしれない。
プラドとソフィア
マドリッドのプラド美術館とソフィア美術館を続けて見ると、絵画が300-400年かけて変化した様子が見れる。プラド美術館に展示されている中世の風景画や肖像画と、ソフィア美術館のダリやピカソが同じ「絵画」とは思えない。リアルをコピーするものだった絵が、自分の心の内を描くように変化していく。大げさだが、絵画が己の表現を獲得した瞬間とでも言えようか。
その時以来、絵筆がカメラやビデオに変わっても、自分の心象風景を反映させるのが作品であることに変わりはない。
VR=彫像的絵画
では、VRはこうした芸術にどんな影響を与えるのだろうか。最大の変化は、受け手の視点を自由にする点であろう。平面メディアの作品は受け手の視点は固定される。スクリーンの裏側に回り込んでも映像の裏側は見れない。VR絵画はそれが可能だ。先日見せてもらったVRアーティストのせきぐちあいみさんはGoogleの「Tilt Brush」というソフトで作品を描く。北斎の冨嶽三十六景など平面の作品が立体的になり裏側からも見られる。
そういえば、プラド美術館にはローマ時代の彫像も飾られていた。若者が2人肩を組んでいる彫像があったが、後ろに回ると腰回りの肉付きも眺められる。VR絵画はこうした彫像に近い。このツールをピカソやキュービズムの作家が使ったらどんな作品を作るのか、考えてしまった。(続く)