骨とシンギュラリティ

Singularity SXSW AX TX

志村一隆

 毎日コーヒーを飲みに行く「ニューラジスタ」のツルさんが脚を骨折してしまった。骨のなかにボルトが2本。くっついた後も、そのまま残るそうだ。生身のカラダに無機質な物体がくっつくなんて、ちょっと想像つかない。

 でも、この前テキサスに行ったとき「30年後には機械と自分の脳をつないで生活するのが普通になる」という話を聞いた。なんと。もしツルさんの骨のボルトが小さなコンピュータだったらどうなるんだろう。読んだ本とか写真はそこに保存される。英語や計算プログラムも書き込まれている。「名前が出てこない。。。」そんな苦労はなくなる。もはや覚えるって作業は不要になる。

 そして、新しい知識は無線でアップデートされる。いや、日々の記録や基本的な知識は、インターネットとつながり、体内に保存しなくてもいいのかもしれない。ソフトバンクの孫さんがスペインで話していたが「靴に埋め込まれるチップは人間の脳より処理能力が上になる」らしい。(スペイン旅情コチラ

Singularity MWC17 Masayoshi Son

 骨だけでない。血管のなかも小さな機械が駆け巡るらしい。「シンギュラリティは近い」という本が紹介している。機械がカラダの状況をモニタリングしてるので、病気になってもスグ治る。なので、死ねない。こうなると、死ぬ自由が必要になってくる。

 それでも肉体的にもう無理だとなったら、映画「トランセンデンス」みたいに機械だけで生きるんだろうか。そうしたら、自分の骨折を治すために埋めてもらったチップの方が生き残ることになる。

Google Autodraw

 肉体が無くなったら、なにをして過ごせばいいのか。人工知能は星新一風の小説を書いたり、レンブラント風の絵を描いたり、ビートルズ風の音楽を奏でるらしい。自分でもやってみるのか。もう芸術も単なる暇つぶしだ。

 それに、過去の記録はいつまでも残っているから、忘れるという行為がない。目新しいことがなにもない。そのうち、赤の他人と記憶を貸し借りするのかもしれない。

 機械同士が記憶を入れ替えているうちに、ビッグブラザーのような知能が生まれたらどうなるのか。いまや機械が人間の知識を学ぶのでなく、人工知能同士で学習しあうのだそうだ。そうすると、教え子から反発されるような、たとえば機械同士がつながって攻撃を仕掛けてくることもあるだろう。ジェイムズ・ホーガンの「未来の二つの顔」というSF小説はそんな話だ。持ちつ持たれつだった機械と人間の関係はもう戻らない。

SXSW Texas

 機械が人間を超えることを「シンギュラリティ」というらしい。バルセロナとテキサスで、たまたま同じ「シンギュラリティ」の話を聞き、あれから色々な人に会ったり、本を読んでみた。

 人工知能がどの職業を奪うのか?が話題だが、シンギュラリティは、さらにその先を行っている。なんせ、なにもやることがない。葛藤も生きがいも無い。政治も国家もなくなるだろう。哲学は?宗教も?

 顔面麻痺になったとき通っていた鍼灸の先生が、「一万年後、人間の肉体は無くなって魂だけになり、みんな幸せになる」とよく言っていた。シンギュラリティ以後の世界ってそんなことなのだろうか。