山﨑 裕行
二松學舍大学大学院 文学研究科
文系大学における「学び」の意味とは、いったい何なのだろうか――。私は幼い頃から教員になることを目標にしていた。そのために教員採用率の高い大学に進学を決めた。しかし、その夢は大学に入って間もなく、自分が目指していた熱い教員像と文部科学省から求められる機能的な教員像にギャップを感じ、あっけなく挫折した。比較的に教員志望の学生が多い我が校のなかで、私のような学生は毎年一定数存在するだろう。私はこの挫折に立ち会ったとき、大学そのものが教員になるための手段でしかなかったことに気づいた。その瞬間、私にとっての大学は無価値なものとなってしまったのである。これをきっかけに、私は改めて大学における学問、「学び」とは何か。大学にいる意味とは何なのかを問うことになったのである。
この問いに対して、私にひとつの解答をもたらすきっかけを与えてくれたのが、2014年9月初旬に沖縄県本部町の瀬底島を舞台として開催された、「学生映画コンテストin瀬底島――想像を創造する場所」というイベントだった。二松學舍大学の松本健太郎准教授のゼミナールに所属する学生が中心となって企画・運営された。当時四年生だった私は運営委員長として携わることになった。大学生活に目的意識を失いかけていた私に、学問とは程遠いところにありそうな“イベントの企画・運営”が、私の「学び」観を大きく転換させることとなるとは、想像さえしていなかった。
「学生映画コンテスト in 瀬底島」の出発点
教員の夢を失った私は、友人の誘いを受け、メディア研究を行っている松本ゼミナールに所属することになった。そこでは、映像・演劇・メディアのゼミナールとして、過去数年間にわたって瀬底島での夏季合宿が実施されていた。その合宿では映画撮影による体験学習が目的とされており、事前に学生たちがいくつかのチームに分かれ、チーム毎に自分たちで瀬底島を舞台とした脚本を作り、スタッフや役者を決め、現地で映画撮影、東京に戻り編集などの製作を行う、というものであった。
毎年の合宿によって培われてきた地域社会とのつながりを生かして、私が四年生のとき「学生映画コンテストin瀬底島」を開催することになった。従来の合宿とは異なり、そこでは映画撮影が全体のプログラムの一要素として位置づけられることになり、そこで制作された作品は企画内のコンテストに提出されることが前提だった。また、講演や体感型ゲームなどの要素も付加された。そして何よりも従来の合宿と異なるのは、それらを対外的に情報発信して外部からの顧客を呼び込むという一面が意識されている点だった。
この企画のすべてのはじまりは、当時本学で非常勤講師として教鞭をとっていた大塚泰造氏が松本先生の研究室を訪問したことであった。大塚氏は沖縄県を拠点とするプロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」のオーナーであると同時に、東日本大震災をうけて「東北復興新聞」や「東北食べる通信」を立ち上げるなど、メディアをつくる事業を推進するプロフェッショナルであり、様々な現場で幅広く活躍されている。氏は、例年通りに想定された合宿プランを一通り聞いた後、次のような提案をしたのだ。
「ただ映画を撮るだけなら、あまり面白くないよね。せっかく沖縄まで行くんだから、そこで地元と交流しながら『創る・学ぶ・考える』という回路をもった体験型のイベントをやったほうが、大学生にとっては有意義なんじゃないの?」
氏は自らが体験してきたイベントを例に挙げながら、いかにしてこの合宿が複合的な学びの場になりうるのかを提言した。沖縄という風土をよく理解し、またメディアをつくることでどのようなことを学ぶことができるのかを熟知した氏にしかできない提案に、私たちは強い衝撃を受けた。私たちはこの助言を受け、沖縄での合宿を「ただ映画撮影をするだけの行事」から「体感型のイベント」として再構築を検討しはじめたのである。
「なぜやるのか」の共有――プロジェクト型学習の教育モデル
突然に舞い込んできたこの提案は、私を含めた多くの学生にとって魅力溢れるものだったが、あまりにも未知な領域であったがために、何から着手してゆけばよいのか見当もつかなかった。そのような状態から、ある程度目標を具体化することができたのが、PBL(Project-based Learning)――先生が教壇に立って一方的に話す授業ではなく、プロジェクト型の学生主体型授業によって生まれる「学び」のあり方をまとめたもの――のイメージの共有にあった。
松本准教授は、ゼミ内でのイベントに関する初期の議論のなかで、『学生・職員と創る大学教育』(清水亮 神戸学院大学教育開発センター教授・橋本勝 富山大学大学教育支援センター教授 編,2012年, ナカニシヤ出版)で紹介されていたプロジェクト型学習の事例を紹介しながら、プロジェクト型学習におけるパラダイムシフトの意義を説明した。問いを解く側の立場から、問いを立てる側への転換――物事へ向ける目線の位置を変えることによって、違ったものを発見する試み――は、受け手(消費者)から作り手(生産者)への転換を意味する。確かに、私たちが普段より研究の対象としている映像作品・広告・ウェブ・地域など、様々なメディアをめざすうえで、このプロジェクト型が貴重な体験となりそうだ――そのうえで、PBLのなかには地域社会との連携、地域への貢献が目的とされた事例もあり、まさに今回の大塚氏の提案は、様々な意味で格好の機会である、と認識することができたのである。
イベント事前準備から当日まで
イベントのタイトルはコンセプトをサブタイトルに組み込むかたちで「学生映画コンテスト in 瀬底島――想像を創造する場所」に決め、学外向け/学内向けのプロモーションを行った。前者については、映画撮影チームを募集するものとして沖縄県下100校あまりの大学・高校に向けてチラシを発送した。後者については、学内向けに運営スタッフ、及び参加者を募るものであり、他のゼミナールにプレゼンテーションなどを行い、最終的には総勢で60名を超える学生・職員らが東京から参加することとなった。その学生を幾つかミッションごとの班に分け、特設ホームページ(http://www.movie-sesoko.com/)の開設や、Twitterでの情報発信、Facebookページの作成及び広告の施行、さらにチケット販売については、イベント管理・チケット販売・集客サービスサイトである「Peatix」を用いたシステムが導入された。
他方で、ベントの具体的な内容・タイムテーブルに関しては、全四日間の日程のうち、初日となる9月7日には江藤茂博文学部長による特別講演会、体感型推理ゲーム『名探偵 刑部大輔の事件簿―桜桃の季節』、そして バーベキューイベントの三つの催しが組まれることになった。
このうち、体感型推理ゲームに関しては、学生たちがあらかじめシナリオを決めたうえで、舞台監督などを務める伊藤秀隆氏に監修していただき、東京ジョイポリスで開催された「逆転裁判5」のイベントをモデルにしながら当日の演出などを調整した。またバーベキューイベントに関しては、地元・瀬底青年会の若者たちによる伝統芸能エイサーや、現地の方々が組んでいるバンドなどの公演も披露された。
つづく9月8日から10日までの三日間は、「『学』―撮影大会」と銘打ち、各日ともに午前には「フィルミングワークショップ『プロから学ぶ映像のイロハ』」を、午後には幾つかの撮影班にわかれての映画撮影を島内で実施することになった。
結果的にこのイベントは、沖縄県の学生からの応募はなく、学内からの参加者、またスタッフ自身も制作者であり参加者、という立場で終えるこことなった。このことは、私を含めスタッフとして携わった多くの学生ひとりひとりが様々な課題観を抱える、という形で収束することを意味している。しかしながら、制作者として携わった私たちは、今まで考えもしなかった「他者」を想定してイベントをつくり、社会人の方々と関わることで、けっして座学だけでは得ることのできなかった経験を東京に持ち帰ることができたのも、確かな事実であった。
「書を捨て社会に出よう」
大学における文系学問の意義が問い直されるこの時代に、私たちは選んで人文学の大学に進学した。確かに、教員志望以外に明確な目的意識をもって在学している学生は、理系学部と比べて少ないかもしれない。しかしながら、人文学の学問は、ほんとうに社会にとって“必要のない”ものなのだろうか。断じて否である。少なくとも、「学生映画コンテストin瀬底島」に参画した学生たちは、それぞれの立ち位置から、それまでとは異なる視点を獲得し、新たな自分となる契機としている。私を含め、二人は大学院に進学し、現代社会をメディアから読み解く研究に日々邁進しているし、一部の後輩も社会人になりながら研究活動を行い、自らの今を様々な角度からとらえなおす試みを続けている。座学をいったん脇において「書を捨て、社会へ出よう」と呼びかけてみることにも、大学にとっての「学び」を再考する手掛かりがあるのではないだろうか。そんな答えを、私は瀬底島で見つけたのだ。