関口 宏
この夏、永六輔氏・大橋巨泉氏の訃報が相次ぎました。
テレビ創成期の牽引者だったお二人。またひとつの時代が終わった気がしました。
60年ほど前に始まった我が国のテレビは、それこそ手探り状態の中、何を表現し何を伝えるべきなのか,皆必死になってテレビの可能性を追い求めたのでしょう。
だから新しいものを生み出そうとする活気と,一丸となろうとする緊張感が、ブラウン管に漲っていたようにも感じました。
その熱気に魅せられて、不肖私もその後を追いました。
そのテレビが今どうなっているかは色々議論のあるところですが、お二人が求め続けたものは何だったのか。
ひとことで言うなら、「けじめ・愉しさ」だったと私は思っています。
昭和8年生まれの永氏、昭和9年生まれの巨泉氏。
お二人とも戦争の悲惨さ・理不尽さ,そしてその後の虚しさ・侘しさを、身にしみて分かられたからこそ、戦争で壊されてしまった人としての「けじめ」と、生きることの「愉しさ」を表現し続けられたのでしょう。
誰一人、もう二度とあの地獄を味わうことがないようにと、事あるごとに、「平和」の大切さと「戦争」の愚かさを訴え続けられました。
しかし残念ながら、また当然のことながら、このお二人のような戦争の悲惨さを「身体」で知る日本人は本当に少なくなりました。
今年の広島・長崎の日にも、両市長のメッセージにそのことが語られていました。
我々の業界でも、もう「身体」で戦争を知る現役は殆どいなくなってしまいました。
では今後、テレビは「戦争」をどう伝えてゆくのか。
担当者はそれなりに勉強し努力してはいるものの、「身体」で知る戦争と、「知識」で考える戦争には大きな隔たりがあることを忘れてはならないでしょう。
どんなに知識が豊富でも、やはり体験者の説得力には適いません。
かく言う私も昭和18年生まれ。
戦中とはいえ、物心がついたのは戦後の焼け跡の中。
それでも周囲には、戦争でご主人や息子さんを亡くされた方々が沢山いらっしゃって、戦争の酷さ、愚かさを聞かせて下さったのですが、私自身は体験者ではありません。
そのあたりに「もどかしさ」を抱えながらテレビに携わっていますが、それでも事あるごとに伝え続けることの大切さを、先輩体験者から教えていただいたように思っています。
そう・・・・伝え続けるしかない。「もどかしさ」を抱えながらも・・・・・
これが私達世代、そしてその後に続く若きテレビ屋諸君へのバトンだと思っています。
そんな折、一冊の本が送られてきました。
『反骨』
著者は友人の松原耕二君。現在、BS・TBSで日曜・夜「週刊報道 LIFE」のキャスターを務めています。
この本は、松原君が長年取材し続けて来た「沖縄のなぜ?」を彼なりにまとめたもので、この中で彼もこの「もどかしさ」について触れているのです。
どう努力しても、「ヤマトンチュー」、いわゆる沖縄以外の日本で生まれた者は、「ウチナンチュー」つまり沖縄生まれにはなれない。
それでも・・・・・と、松原君は「沖縄のなぜ?」の追求を放棄するわけにはいかないと、「もどかしさ」を抱えつつ頑張っています。
同じ「ヤマトンチュー」の私にも、沖縄については、なぜ?なぜ?なぜ?がいっぱいなのですが、この本によりまた少し、分かりかけて来た気持ちになりました。
オリンピックに湧いた今年の夏。
でもカレンダーは忠実に、8月の〈六日〉・〈九日〉・〈十五日〉を通過しました。
さて来年・再来年・その先々はどうなって行くのか。
「もどかしさ」を抱えた世代の挑戦は、永遠に続くのです。
テレビ屋 関口 宏