『独立メディア塾』においでの皆様、明けましておめでとうございます。

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 まだ生まれたばかりのサイトですが、私、関口も、時々拙文を載せていただくことになりました。テレビ中心に生きてきた単純なテレビ屋ですので、大体そのあたりの軽い話になると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、‘13、つまり昨年の我が業界は、「倍がえし」「じぇじぇじぇ」に象徴されるのでしょうか、その内容について云々するつもりはありませんが、街のあちこちで、「倍がえし」「じぇじぇじぇ」が飛び交うのをみて、どこかホッと胸をなで下ろすようなものがありました。
と申しますのは、このところの視聴者の、歯止めのかからぬテレビ離れに頭を悩ます業界にあって、「ほらみろ、まだまだ可能性はあるんだ!」と某局の社長さんに強がりを言わせるほど、それだけ深刻さは日増しに募る状況なのだと思われます。

 思えば、地上波テレビの足下がぐらつき始めたきっかけは、BS、CSの開局による視聴者の分散化、しかしこれは同じ業界、姉妹関係と思えば腹も括れるのでしょうが、携帯、ネット、スマホ・・・・・・などなど、次から次へと現れる新手のメディアに対して、ただただ手を拱いている状態のようです。
 これはこれで、時代が時代、と言ってしまえばそれまでなのですが、悔しい!じゃないですか、あの輝かしいテレビ全盛期を知る者としては・・・・・。

 あの頃は「倍がえし」やら「じぇじぇじぇ」の類いなんぞは日常茶飯事、今となっては大袈裟に聞こえるかもしれませんが、学校、職場、井戸端、居酒屋などなど、人集まる所にテレビの話題はつきものでした。
 「あれ、ほら昨日のあれ、笑っちゃったよなぁー」「おーぉ、あれあれ、あれ、なっ!」というように、「あれ」で通用してしまうくらい、人々の、テレビを通しての共通感覚、共通認識、共通体験が顕著だったのです。

 しかし今や、「昨日、あれ見た?」と問いかけても、「あれってなに!」という冷たい、まるで見当すらつかないような返事が帰ってきて、「うん・・・・まぁ・・・・いいや」と共通体験を放棄せざるを得ない状況に陥ること、しばしばです。

 昔に戻れ!とは申しません。申したところで戻れるわけもないことは十分承知してはいるのですが・・・・・・せめて一言、せめて一言、言わせてもらえるなら・・・・・「若きテレビ屋諸君,ものづくりのプライドだけは捨てないでくれ」ということになるでしょうか。

 つまり、テレビ離れする視聴者を必死に食い止めようと、あの手この手、更には奥の手、時には禁じ手と言われるような手まで使って、悪戦苦闘する制作現場の涙ぐましい努力には、頭の下がる思いにもなるのですが、さてその結果が、今のテレビを取り巻く環境だとするなら・・・・・・・。

 昨年秋、CM業界の重鎮、天野祐吉氏が亡くなられました。氏はまた、テレビ界の番人のような方で、折に触れ、軽妙洒脱な筆致で、テレビについて語られていました。

 数多くの氏のコラムの中に、「ビデオテープが出来て、テレビが変質した。」とする一篇があります。便利な便利な魔法のテープによって、テレビがテレビらしくなくなってしまったと仰るのです。まったく私も同感です。
 便利だから、つい便利使いしてしまう。便利だから,つい余計なことまでしてしまう。便利だから、つい頼り過ぎてしまう・・・・・・。

 そして、《視聴率》という高い高い壁を、そのテクニックを駆使することで乗り越えようとしている若きテレビ屋さんが増えました。

 ただこれにつきましては、話が相当複雑多岐にわたりますので、またの機会に譲るとして、兎にも角にも、テレビ界の‘14が始まりました。

 はたしてどれだけ、テレビ離れを食い止めることができるか、テレビ屋一同、力を合わせて頑張らねばなりません。

テレビ屋 関口 宏