「安保から経済へ」 二匹目のドジョウはいるか

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 今月の「ドキュメンタリー」はテレビ神奈川が戦後70周年記念で制作した戦争体験者の証言集です。元BC級戦犯としてオランダに裁かれた92歳の飯田進さんは「随分ばかげた戦争をしたもんだ」と述懐しておられます。
 その70周年もあと3カ月で終わろうとしています。そのさなかの9月19日、安全保障関連法は可決されました。成立をめぐる国会の動きは逐一、テレビで映し出され、海外にも「ラグビーのようだ」などと伝えられました。恥ずかしい限りの国会でした。

 

長続きしなかった「60年安保」の盛り上がり

 

 反対運動の盛り上がりを見ていると、「60年安保闘争」を思いださずにいられません。「歴史は繰り返す」と言うことでしょうか。安保関連法を巡る経緯や将来に持ち越された課題などは、60年安保とそっくりに見えてきます。しかし、60年安保よりはるかに深刻な事態が待ち構えている、と考えたほうがよさそうです。まず類似点を考えてみましょう。
 私が大学に入った年が60年安保の年でした。私もデモに参加しました。新条約案が国会で強行採決され、自然成立する6月19日の前夜、国会を取り巻いたデモを忘れることはできません。何万人か何十万人かは定かではありません。例によって主催者発表と警察発表で大きく食い違うからですが、私が初めて経験する大規模デモだったことは確かです。機動隊に追われて多くの人たちと国会図書館の方に逃げた事を覚えています。
 しかし、この興奮と盛り上がりは長く続きませんでした。なぜ続
かなかったのか、という疑問は現在の状況が60年と似ているという点に繋がっていきます。

 

「所得倍増計画」と「東京五輪」

 

 続かなかった理由は二つ考えられます。一つは「所得倍増計画」
です。岸信介首相(安倍総理の祖父)が混乱の責任を取る形で退陣しました。この退陣は反安保闘争の一つの成果とも言えます。後を継いで首相に就任した池田勇人氏は「安保から経済へ」の転換政策を打ち出しました。国民総生産(名目国民所得)を10年後の70年に26兆円にするという「長期経済計画」です。
 池田氏は国民の信を問うため、60年10月24日、衆議院の解散を決めました。政府は解散にあたり「日米安保新条約の決定をめぐって生じた社会的緊張をすみやかに解消し、清新にして明朗な民主政治を確立することは、国民の圧倒的な要望でありました」という声明を発表しました。同時に翌25日、首相の諮問機関である「経済審議会」は「所得倍増計画」の答申案を発表し、政策転換を明確にしました。
 そしてもう一つは東京オリンピックです。安保闘争の前年の1959年、IOC(国際オリンピック委員会)は、アジアで初のオリンピックを東京で開催することを決めました。日本が国際社会で認められ日本中が湧きに沸きました。
 では「倍増計画」と「アジア初の五輪」の二つで、日本はその後どうなったのでしょうか。

 

「安保解散なのに自民勝利」

 

 安保闘争から半年もたたない11月20日に行われた衆議院選挙は「安保解散」と言われ、しかも解散の直前に社会党の浅沼稲次郎委員長が右翼の少年によって刺殺されるという事件があったにもかかわらず、自由民主党が296議席を獲得しました。選挙直後の議員数としては戦後最高の数字という勝利でした。安保闘争の前に行われた総選挙より10議席近く議席数を増やしたのです。日本社会党も安保闘争の流れを受けて、145人が当選し20人以上増やしたのですが、分裂した民主社会党と票の奪い合いをしただけで、両党合わせると分裂前の議席を減らすという結果になりました。「安保闘争」は総選挙にほとんど影響を与えなかった、ということになります。60年安保はあっという間に過去のものになったのです。
 皆さん、時の移ろいの速さの延長線上に現在があり、その現在は当時と似た状況に入りつつあると思いませんか。60年と似た点を挙げてみます。

 

「安保から経済へ」と「五輪」の再登場

 

 安倍内閣は安全保障関連法案が成立した後は、 「アベノミックス」の第二ステージ、経済最優先を表明しました。「強い経済」「子育て支援」「社会保障」を3本の矢と名付けた上、国内総生産(GDP)を600兆円にする数値目標を設定しました。「所得倍増計画」を念頭に置いたものであることは明らかですが、達成年度を示さない数値目標にどれほどの意味があるのでしょうか。
 「バブル崩壊」「リーマンショック」という長いトンネルは四半世紀も続いてきました。戦後の混乱からの脱出が「所得倍増計画」だったとすれば、トンネルからの脱出は「アベノミクス」で、ということになります。
 また、ここでも東京オリンピックが重要な役割を果たすことになります。国立競技場やエンブレムでつまずいていますが、オリンピックが近づくほど、国民の関心はそちらに向けられて行くことになります。経済的効果への期待も高まっていくでしょう。「安保から経済へ」の歴史が再び繰り返されることは目に見えています。
そうした意味で今回の安全保障関連法を巡る動きは60年安保の「ミニ版」に見えます。そう言えば、主役も祖父と孫ですから当たり前かもしれません。

 

「経済より憲法改正へ」

 

 ただ決定的に違う点があります。60年安保は岸首相が退陣せざるを得なくなった結果、「自主憲法制定」に手を付けることができなくなったことです。これに対して今回はどうでしょう。
 安倍政権は「安保から経済へ」一時的に政策転換するでしょう。しかし池田内閣の「所得倍増計画」の時代と違って、安倍政権の目指す経済政策、「アベノミクス」は、一国だけの政策でどうにかなるものでなくなってしまったのです。とりわけ中国経済の影響が国際的になればなるほど、あの黒田日銀さえも打つ手が少なくなってしまった。さらに60年と違うのは、「財政再建」という重荷を背負っていることです。自衛隊の活動範囲が広がれば、防衛費も膨らむ可能性もあります。子育て、社会保障など口当たりのいい「3本の矢」で予算編成はどうなるでしょう。早速来年度予算が注目の的になりますが、財政再建も社会保障もデフレ対策も災害対策も防衛費もと、すべての矛盾を詰め込んだ予算になる恐れがあります。経済政策が安倍首相の目論見通り進まない可能性が高いのです。
 来夏には参院選が控えています。それまでは経済重視を掲げ続けるでしょうが、成果を示すことは大変難しいことです。しかし、安倍首相は安保反対運動が選挙に何の影響も与えなかったという、祖父の時代の先例を思い浮かべているのではないでしょうか。参院選挙で憲法改正派が3分の2を占めることになれば、憲法改正の国民投票を国会発議するという意向を、安倍首相はすでに表明しているのです。
 憲法改正のための3分の2を獲得できるか、参院選は憲法が争点になる可能性が高くなります。「経済から安保へ」の再逆転です。すでに2010年には「日本国憲法の改正手続きに関する法律」が施行されています。
 私たち国民は忘れやすいのでしょうか。あるいは済んだことより未来志向で、ということなのでしょうか。今回の反安保運動はどのような形で選挙に反映していくのでしょうか。来夏の参院選は18歳以上が投票権を持ちます。若者を含む私たちが一票をどう使うのか、一票の重さが増している時代に入りました。