茂木崇
デジタル時代にいかにジャーナリズムの営みを存続させるかというテーマを筆者が研究するようになって、今年で12年目になる。主としてニューヨークの動向を日本に伝え、日本の既存の報道機関に改革を訴えてきた。
残念ながら、どんどん新陳代謝が進むニューヨークと比べると、日本の報道機関の動きはにぶい。ようやくここ2、3年ほどは改革に向けて動き出す社が増えてきたが、アナログ時代に完成した発想や行動様式を変えるのは容易ではなく、筆者はため息をつくことも多い。
にもかかわらずこのテーマの研究を続けるのは、ジャーナリズムが提供する情報や分析は民主主義を成立させるための基礎だと考えるからである。
ジャーナリズムを生き残らせるために必要な考え方について本稿では述べてみたい。
ジャーナリズムと演劇の類同性
メディア・エンタテインメント産業の中で、筆者が特にこだわりをもっているのはジャーナリズムと演劇である。2005年にデジタルジャーナリズムについて初めて調べた時、筆者は「ジャーナリズムも演劇と同じようになっていくのではないか」と思った。
演劇界は華やかに見えるかもしれないが、公演ごとに人件費がかかる非効率な商売で、しかも観客が入ったり入らなかったりとまさに水物である。生活の苦しい役者は多い。それでも演劇業界に人材が集まるのは、演劇の世界が魅力的だからである。
デジタルではアナログ時代と同様にジャーナリズムで儲けるのは難しい。アナログでは少数の送り手と多数の受け手という図式が成立していたが、デジタルではこれがひっくり返った。誰でも無料で情報を発信できるようになり、コンテンツの価格は値崩れした。
それでも、『フィナンシャルタイムズ』や『ニューヨーカー』など、ハイブラウなジャーナリズムの中にはデジタルの時代でも生き残るであろうと思われるものもある。
だが、それは例外で、記事を書くことで既存の報道機関の編集局の規模を維持していくのは至難の業である。報道機関の経営が苦しくなるにつれ、収入面では恵まれなくても報道の仕事に魅力を感じる人が集う業界にジャーナリズムもなっていくのではないか。
デジタル技術を憎んでも、携帯電話のない世の中に戻ることはできない。アナログのように儲からなくても、デジタル技術を駆使して時代にあったジャーナリズムを生み出さなかったら、ジャーナリズムの世界は先細って行くばかりである。
こうした状況を打開すべく、起業家精神をもって新たなジャーナリズムを生み出していこうというのが、アントレプレニュリアル・ジャーナリズム(起業ジャーナリズム)である。
中でも、ニューヨーク市立大学大学院ジャーナリズム学科はアントレプレニュリアル・ジャーナリズムのコースを設け、受講生が自ら起業のプランを練り上げる実践的な教育を施している。
同コースで教授を務めるジェフ・ジャービスは、「コンテンツからサービスへ」が持論である。ジャービス自身はハイブラウなコンテンツを愛するインテリだが、コンテンツを送り出すだけではジャーナリズムを支える経営基盤を確保できない現実をみすえ、サービスを提供する重要性を指摘している。
では、読者に役立つサービスとは何か。ジャービスは自宅のあるニュージャージーを襲ったハリケーンをよく事例として挙げる。停電し、木が倒れ、大変な事態になったが、地元の報道機関は実況中継をするばかりで、地域住民に役立つ情報を提供しなかった。住民が欲しかったのは、どの道路が閉鎖されて使えなくなっているか、停電になっている地域はどこか、ガソリンの在庫のあるスタンドはどこにあるか、といったピンポイントの情報である。この時にローカルメディアがサイトに地図を掲げ、読者が情報を書き込めるようにしていれば、読者が大いに助かったことは間違いない。
なお、ジャービスのデジタルジャーナリズムについての最新の論考をまとめたGeeks Bearing Gifts: Imagining New Futures for News (CUNY Journalism Press)は、日本語版が東洋経済新報社から刊行される予定で、筆者が巻末の解説を執筆している。
ただし、アントレプレニュリアル・ジャーナリズムを日本にも定着させようと努力していると、記者として出来上がっている人に起業家の発想を求めるのは難しいと感じることが多い。
というのは、記者はニュースの当事者を追うことに慣れているため、起きたニュースに反応し、批判を加えるのは得意だが、自ら事業案を組み立てるのは苦手という人が多いからである。
改革の意欲を持つ人は少しずつ出てきているところなので、一人でもアントレプレニュリアル・ジャーナリズムの発想を持つ人が増えるように、筆者としては努力しているところである。
だが、アントレプレニュリアル・ジャーナリズムの努力をもってしても、デジタルの時代にジャーナリズムの活動資金を確保していくのは容易ではない。
となると、ジャーナリズム以外の分野で収入を得て、報道活動を下支えすることを考えざるをえない。
米国メディア「ハースト」「IAC」の先進的な試み
この点で、日本ではあまり注目されていないが、ハーストとIACという2つのメディア・コングロマリットは注目に値する。
ハ―ストは2008年以降に50億ドルの投資を行い、B to B(企業向け事業)のビジネス・メディア部門を同社で2番目に利益が多い部門にまで成長させるのに成功している。
金融・ヘルスケア・自動車などの分野で情報や分析を提供するビジネスを展開し、金融の格付けのフィッチ・レーティングスの株式の80パーセントを所有している。B to Bも競争は激しさを増してきているが、依然として大きな利益を見込める分野である。
IACは正式名称をIAC/インタラクティブ・コープという。同社はM&Aを積み重
ね、自ら新規事業も生み出し、常に新陳代謝を図っている。150を超えるブランドやプロダクトを傘下に所有しており、エキスパートが様々なテーマについて指南する「アバウト」、辞書の「ディクショナリー」、動画共有サイトの「ヴィメオ」など、その多くがデジタルメディアである。ただし、IACが報道分野で擁しているのはニュース・オピニオンサイトの「デイリー・ビースト」だけである。
M&Aは失敗に終わることも多いが、同社はM&Aの経験を豊富に積み重ねているので、M&Aを巧みに行えるようになっている。
デジタル革命は今後さらに進んでいく。現時点ではジャーナリズムの未来が明るいとは言い難いが、権力の監視機能を担うジャーナリズムはいつの時代でも重要である。
ジャーナリズムの火を消さないようにしていきたいものである。