脳とコンピュータと、将棋界の未来

D.Katagami

D.Katagami

片上大輔

 人間の脳とコンピュータの違いについて書いてほしい、という依頼をいただいた。

 とても深淵なテーマである。

 いままさに、そのテーマの中心に「将棋」が位置づけられていることを、光栄に思う。

 人間の能力を凌駕するコンピュータとどう向き合うかが、21世紀の人類にとって大きなテーマになるはずだ、とはドワンゴ・川上会長の言葉である。第3回電王戦において、5人のプロ棋士たちはいつの間にか将棋界のではなく、人類の代表のようになっていた。

 そして、我々は敗れた。

 電王戦に第4回があるかどうかは、いまの時点では決まっていない。ただ、コンピュータとの戦いはこれからも続く。それは間違いない。

対局遠景( 第1局菅井五段)

第3回電王戦 対局風景

 人間の脳の特徴は何だろう?私ならまず第一に「分からないこと」と答える。そう、あらゆる学問分野が進化し続けている現代社会においても、人間の脳というものは、ほとんどのことがいまだナゾに包まれたままだ。それは、すべての命令に正確に、忠実に従うコンピュータとは、近いようでいて実は遠い存在なのかもしれない。脳の解明もまた、今後の人類にとって大きなテーマになるだろう。そしておそらくそれは、コンピュータのことを理解するよりもずっと、難しいことであろう。

 

 人間は反省する生き物

 

 ところで、コンピュータ将棋はどのようにして将棋を「指す」のか?まず彼らは一定のルールに基づいて、文字通り機械的に、すべての局面に点数をつけていく。そして、あらゆる選択肢の中から、その点数が一番高くなるような次の一手を選ぶ。その「一定のルール」をどのように記述するのかによって、コンピュータが選ぶ一手は決まる。つまりどんなに強いコンピュータであっても、ある場面をどう判断するかは「一定のルール」を与えられた時点で、初めから定まっている。時にはミスも犯す。一度犯したミスは、何度でも繰り返す。反省は、できない。

 では我々プロ棋士の場合はどうか。最高峰の戦いであるタイトル戦においても、全くミスのない完璧な将棋となると、そうあることではない。皆無と言ってよいかもしれない。

第3回電王戦 対局風景

「1勝4敗で人間は敗れた」

 であれば一局の将棋を指し終えた後には必ず反省点が見つかる。そしてそれを修正して次の対局に臨む。人間は反省する生き物である。昨日の自分より、明日の自分は強くなる。明日の対局は昨日の対局よりも、そのぶんだけ真理に近づく。

 人間の「脳力」に限界がなければ、という仮定の話ではある。

 ただ、原理的にはコンピュータが将棋の「答え」を見つけない限りは、反省と修正を繰り返すことで、いつかは人間のほうが強くなる。これから現れてくる21世紀生まれのプロ棋士たちには、そういう強い気持ちを持ってコンピュータ将棋に向き合うことが、必要になってくるのではないかと想像している。

 

 やるべきことはシンプル

 

 実際には、人間はさまざまな制約の中で、肉体的、精神的な限界を抱えながら、死力を尽くして戦っている。だからこそ、そこに感動が生まれる。不完全な者たちが、不完全なまま完全を追い求める姿が人々の感動を呼んだのが、今回の電王戦だったと思う。

 これまでの電王戦で、プロ棋士は大きく負け越してしまった。私は棋士がコンピュータに頭を下げる場面に4度、立ち会った。それは本当につらいことだった。

第3回電王戦 控え室

「片上六段も加わり、控え室で局面を検討」

 しかし残念なことではあるが、勝負の結果はありのままに受け入れるしかない。負けを反省して、次に向かうしかない。我々は皆、そうやって強くなってきた。その繰り返しで、プロの世界は成り立ってきた。今度の相手はちょっとばかり勝手が違うとは言っても、ふと冷静になって考えてみれば、結局のところやるべきことはシンプルだ。

 

 人間の脳も、もっと進歩する

 

 この先はすべて私の想像にすぎない。とはいえ、きっとそうなるから、皆さんはどうか覚えておいていただきたい。

 コンピュータ将棋はおそらくこれからも進化し続ける。プロ棋士も、いまよりもっと強くなる。競い合い、支え合い、高め合う関係になる。そうならなければいけない。

第3回電王戦 終局

「唯一の白星をあげた豊島七段」

 「コンピュータならではの手」という概念はなくなっていく。いまでもその傾向はすでにある。見ただけでコンピュータの将棋と分かった時代は遠く過ぎ去った。人間の将棋とコンピュータの将棋、まったく区別はつかなくなる。

 それでいて「棋風」という概念は残る。指し手に現れる個性のことを「棋風」といい、いまのコンピュータにはもちろん理解できないが、やがてはこれも、理解できるようになる。理解するばかりか、模倣し、啓蒙できるようにさえ、いずれはなっていく。

 将棋と直接関係があるのかどうかもわからないが、人間の脳そのものも、もっと進化する。あるいは、もっと能力を発揮できるようになる。かつては限界と思われたその先へ、人類は挑戦を続ける。

 と、こんな想像は、コンピュータにはできない。それでいて、将棋はすでに信じられないほど強い。人間の脳も不思議なら、コンピュータも不思議、将棋と同じで、奥が深くて全く分からない。

 だからこそ、面白い、興味深いのだろう。と、私の脳は考えている。100年後のコンピュータなら、どう「考える」のだろうか?