君和田 正夫
森友学園を巡る公文書の改ざん問題で国会は混乱しています。今月号の「独立メディア塾」は「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)を出版された小林恭子さんに、公文書の扱いについて書いていただきました。都合の悪い文書は隠したがるのはどこの国も同じでしょうが、小林さんは「情報を隠したがる政府省庁と、国民のために情報を開示すべきとするメディア側との攻防は続く」という文章で締めくくっています。さて日本では攻防自体が行われているのでしょうか。
公文書は申し上げるまでもなく、政策の決定過程を記録し、残し、公開することによって、政治・行政の公正さや透明性を担保するものです。後世の人は過去の政策がどのような判断で行われたかを知る貴重な資料になり、将来の政策決定に資することになります。公文書をおろそかに扱うことは、民主主義の根本を揺るがすことになるのですが、森友問題では多数の文書が改ざんされていました。なぜ改ざんが行われたか、国民が一番知りたいことは、佐川前財務省理財局長の証人喚問では明らかになりませんでした。
「証拠を示せ」の不思議
朝日新聞が3月2日の朝刊で、決裁文書が書き換えられた疑いがある、という特ダネを報じました。私が不思議な思いを抱いたのは、その直後から、「朝日は書き換えられたことの証拠を示すべきだ」という批判ともとれる意見が続出したことです。慰安婦問題などを念頭に「誤報ではないのか」というニュアンスの意見もありました。
その根拠の一つは朝日新聞が決裁文書の書き換えを「確認した」と表現したことです。なぜ文書を「入手した」と書かないのか、入手したのなら文書のコピーや写真などを見せてもいいだろう、といった内容です。一般の人がそう感じたとしても、やむを得ないでしょう。しかしメディアの内側の人間やメディアとの接点にいる人間ならば誰でも「ニュースソースの秘匿」を考えたことでしょう。取材源が分かってしまうような記事の出し方をしてはいけない、それが鉄則です。この点は「オープントーク」で小林さんもお書きになっています。
証拠を示しただけで情報源が分かってしまう、あるいは分かってしまう危険性がある、というケースは新聞社なら数多く経験しているはずです。とくに2013年に特定秘密保護法ができてからは、情報を取る側も渡す側も、この法律に該当するかどうかに関係なく、情報の扱いに神経質になっているはずです。特定秘密を漏らすと懲役10年という重い刑に処せられます。どんな些細なことでも情報源を割り出すヒントになるかもしれないことは、示してはいけない、というのは、通常の取材でも常識と言っていいでしょう。「確認した」という表現は悩んだ末に選んだ言葉と思えます。しかしその「確認」ですら、情報源を暗示している、と感じる人がいるかもしれないのです。
情報源割り出しの意図
そう考えると「証拠を示せ」といった議論に特別な意図を感じないわけにいきません。朝日新聞の情報源を割り出して潰そう、という意図です。
「財務省対朝日新聞」「安倍内閣対朝日新聞」といった対決の構図が描かれました。国と一新聞が存亡を掛けた戦いをしている、という構図は治安維持法が猛威をふるった戦時中を想起させます。最初に書いたとおり、公文書の改ざんは歴史に残す文書の書き換えです。後世から見れば歴史の改ざんになります。そのことに目をつぶってでも「反権力」の朝日新聞に焦点を当てたいのでしょうか。改ざん問題は新聞・テレビ・ネット全てが大きな問題として取りあげています。にも関わらず朝日新聞だけを問題にしたい人たちがいることに驚かされます。いずれ我が身に降りかかってくるかもしれない問題なのに、です。
財務省が「書き換え」を認めると同時に「証拠を示せ」や「朝日けしからん」の声は表向き影を潜め、小さくなりました。しかし今後、加計問題、スーパーコンピューター問題などが続く可能性があります。憲法改正も控えています。もっと先には、防衛体制のさらなる強化、そして場合によっては核兵器保有といった大きな問題が浮上する可能性すらあります。権力側からすれば情報管理が重要なテーマになります。それこそ「特定秘密保護法」の出番です。情報漏えいが大きな犯罪であることを国民に周知しておく必要があるのです。そのためには情報源をつぶし、朝日新聞につながる情報のパイプを断ち切っておくことが重要だということになります。私は朝日新聞出身ですので、できるだけ身びいきにならないようにして来ましたが、最近の朝日新聞批判は異常です。とりわけ安倍首相が国会で朝日新聞を名指しで批判したことは、特定の新聞への嫌悪感をストレートに表現した首相として歴史に残るでしょう。
こう書いている最中にも文書の不適正な扱いが報道されています。3月31日朝刊で読売新聞は内閣府情報保全監察室が防衛施設庁に対して「特定秘密でない書類に『特定秘密』と印字した」として是正要求をした、と報じました。朝日新聞も同日の朝刊で「文書書き換え 厚労省も2件」という記事を載せました。こうした公文書のずさんな扱いは、氷山の一角ではないか、と思わざるを得ません。それを表に出すのは、一体誰の役割なのでしょうか。
「火が小さいうちに闘え」
人に勧められて「天上の葦」(太田愛著、角川書店)という上下の本を読みました。お読みになった方もいらっしゃると思いますが、簡単にストーリーを紹介します。
渋谷駅前の交差点で一人の老人が天を指差して倒れ、絶命する。戦争中の体験について沈黙し続けてきた96歳の男。そして70年経った現代、テレビの新番組をつぶそうと、ひそかに進む言論弾圧。暗躍する公安警察。老人の体験は何だったのか、なぜ天を指差したのか。
戦時中と現代がつながり絡み合う小説です。2017年2月発行とありますので、森友問題が起きる前に執筆されたものですが、現代の危機に対する筆者の強い警告を感じます。筆者は老人に繰り返し言わせます。「常に小さな火から始まるのです。そして闘えるのは、火が小さなうちだけなのです」
今、火は小さいのでしょうか。安倍政権になってから火はどんどん大きくなっていくように思えます。
朝日新聞よ、もっと嫌われよう。それがメディア再生の道を示すことにつながるはずです。