エゴサ病

N.Wada

エゴサーチとは

最近よく耳にする「エゴサーチ」(英語表記:egosearching)。
皆さんはご存じだろうか。エゴサーチとは、検索エンジンを使って、インターネットのソーシャル・ネットワーク・システム(ブログ、チャット、ツイッターなど)上で自分(ego)の評判・評価などを調べる(search)事。最近では略して「エゴサ」と言う。

私は、スポーツと健康管理を中心に活動しているフリーキャスターである。この世界で10年近く活動し、それらに関する最新ニュースや情報を、できる限り発信してきたつもりだ。だが、この「エゴサーチ」という言葉は、最近まで知らなかった。

なぜ知ることになったのか…それは、あることがきっかけで自分自身を検索するようになり、友人の一人に「エゴサはもうやめなよ」と注意されたからであった。

輝かしい第一歩のはずが・・・


2017年4月14日。この日は夢の一つであったプロ野球実況が、実現できた日である。横浜スタジアムで開催された“横浜DeNAベイスターズ対東京ヤクルトスワローズ4回戦”の実況を、インターネットテレビ番組で任せてもらう事になった。公式試合を女性がインターネット中継するのは多分初めてのこと。決定してから実況登板の当日まで、周囲から温かいメッセージや言葉を数多く頂いた。

「みなさんこんばんは!実況の和田奈美佳です。
本日、初登板ということでドキドキしていますが、
今日も熱い試合をお届けしていきたいと思います!」

幸いにも声が裏返ることはなかったが、緊張で顔がこわばり、一瞬で額に汗が噴き出た。当日の試合は、8回終了時点でベイスターズが3対2で1点リード。中継スタッフからは、「このままなら、3時間ちょっとで試合が終わるかも。和田さんは勝利の女神だね。」なんていう軽口が聞こえた。

だがその直後の9回表、“あと10数分で試合も終わるので、今日のお立ち台は誰かな”などと考えていたら、延長戦に突入。試合の登板ピッチャーは変わったが、私の初登板はリリーフに変わることなくそのまま延長戦へ。その瞬間、頭の中が真っ白になったのを鮮明に覚えている。

延長戦でチャンスをつくったのはベイスターズだった。3-3の同点で迎えた10回裏。関根選手が見事なセーフティーバントを決め、その後3塁まで進塁。打席には白崎選手。初めはスクイズの構えを見せていた。だがバットに当てそこねた打球はボテボテのサードゴロで、それが内野安打に。なんとベイスターズのサヨナラ勝利!!

実はその直前まで、「ベイスターズやりました!!」と、単純に実況しようと考えていた。しかし一瞬「もしかしたらこれはエラーで一点が入ったのかもしれない。いや待てよ、タイムリーになるのか。」と色々な事を考えてしまった。

そして、色々考えたのはいいが、結局目の前で起きたサヨナラ勝利を的確な言葉で表現できず、最悪なことに隣の解説者の方に「サヨナラでしたね!」と丸投げしてしまったのである。実況ブースにはきわどいプレーに対して球団側から「今のプレーは〇〇」とアナウンスが入るので、私が焦る必要はなかったのだ。

試合後、疲れと緊張から解放された私は、半ば放心状態のまま電車に飛び乗った。あのサヨナラの場面をもっとうまく伝える術はなかったのかと考えていた時、ふとある思いが浮かんだ。「私の実況についての意見や感想が知りたい。」

検索エンジンに「和田奈美佳」と打ち込みボタンをクリック。するとそこには、「サヨナラをもっとうまく伝えてよ!」「所詮女なんてプロ野球を知らないんだよ」などという言葉が飛び交っていた。あまりにも一方的で言葉に棘のある書き方…これではまるで公開悪口ではないか!ほかの意見はないのか、自宅に到着するまで必死に検索をし続けた。
それがエゴサデビューの日であったとは知らずに…。

エゴサーチで身体に異変が

この日を境に私の一日のルーティーンの中に「エゴサーチ」という行動がプラスされる事となった。朝起床して、天気予報とメールチェックをする流れでエゴサーチ。お昼ご飯を食べながら左手でキーワードを入力。メディアでの露出があった日は寝る前にもエゴサーチをしていた。

エゴサーチは、顔や実名を公表することなく好きな内容を書き込めるため、当然のことだが、「匿名性」の陰に隠れた無責任な暴言雑言に晒されることにもなる。私の場合もそうだった。それを逆手に取り、自分自身を奮い立たせる材料に出来れば良かったが、私の性格は一言でいうと、「真面目・ネガティブ・弱音を吐けない」人間。当然その暴言雑言をポジティブな言葉に変換することは出来ず、汚い言葉のゴミが心に積み重なっていった。

体の変化を感じたのはエゴサーチを始めてから数か月後だ。夜布団に入り目を瞑ると、どこからかネガティブな言葉が聞こえてくる。そんな言葉を気にしていると、いつの間にか朝になっていた。誰にも相談できずに答えが見えない暗闇を一人で歩き続け、道を見失い、立ち止まり、また歩き始める。そんな日々を送っていると当然心だけでなく体にも様々な症状が出る。

毎日寝不足で体は鉛のように重くなり、顔に吹き出物、週末のトレーニングジムも行くのが億劫になった。何気なく会話をしている中でも心のどこかで素直に受け止めることが出来ず、“この人も実は私の事を悪く思っているのではないか”と疑心暗鬼になることもあった。
わたしは心身共に限界に近づいていた。

   
心に傷を負った「精神疾患予備軍」

その4年前、私は健康管理士一般指導員という資格を取得した。疾病だけでなく、栄養やこころ・運動や社会的な環境等、健康管理についての資格で、一言でいえば「健康のスペシャリスト」。2017年も企業や学校などで健康に関する講演会を行ってきたが、依頼先から「メンタルの話も入れてください」と言われることが多くなった。エゴサーチで情緒不安定や身体の変化を感じていた私は、改めて現代病であるメンタルの問題に向き合わなければいけないのだと自覚させられた。

気分障害や不安障害の患者数は年々増加しており、今では日本国民の5人に1人は何らかの精神障害になるといわれている。(厚生労働省「患者調査」より)
平成23年は320万人に対して、平成26年は392万人と大幅に増加した。その中でも気分障害(うつ病や躁うつ病)の患者数は、95.8万人から111.6万人と急激に増加している。その理由は様々だが、ネット社会になった今、私のようにエゴサーチによって心に大きな傷を作った「精神疾患予備軍」は多いと思う。

では実際にどんな方がエゴサーチをしているのか。まず芸能人を対象に検索をかけてみた。すると、私と同様にエゴサーチにはまっている芸能人が何人もいた。例えばあるアーティストは、自分の名前だけでなくグループメンバー全員の名前を検索していた。この世界で生き残っていくためにファンの声を聴き、それを肥やしにするそうだ。

新人俳優の一人は、“ドラマで悪者を演じた際に(役名で)エゴサーチをしてみると、相当叩かれていて街中を歩くのが怖くなった”とコメントしていた。ざっと目にしただけで20人以上がエゴサーチをし、その誹謗中傷に悲しみ傷ついていたことが分かった。

エゴサーチはやめられない?

罵詈雑言のネガティブな評価も出てくると知りながら、なぜ人はエゴサーチをするのか。まず1つ目の理由は「悪評価があるのと同時に高評価もある」という事。私自身も「応援しています」「女性実況は新鮮でいいですね」などという温かい言葉を頂くと、明日への活力になった。
そして2つ目は「客観視が出来る」事。たとえ書き方に棘があったとしても、「他人から見た私」を教えて頂ける貴重な機会だからだ。3つ目は「嫌われたくない」という思い。エゴサーチをすればネット上には敵だらけである。こういう方達に受け入れられる為にはどうしたらいいのかという不安に駆られ、不特定多数の評価に敏感になっていくのだ。
エゴサーチの恐ろしい点は、何気なく始めた行為がいつの間にか中毒化して病的に検索をかけ始め、周囲からの評価に過剰に反応し始める事である。神経質になりすぎて歯止めが効かなくなり、気づいた時には精神が病んでいる。
どうすればエゴサーチをやめることができるのか。結論から言うと、止めることは不可能に近いように思う。だから、せめて自分に負担のかからないエゴサーチを行なったらどうだろう。私なりの克服方法は、まずはエゴサーチの回数を決める事。一日の回数を制限することで、喜んだり落ち込んだりする感情の浮き沈みを少なくする事は可能だ。
エゴサーチに夢中になると、いつの間にかネガティブな世界に引き込まれ、心を閉ざしてしまうので、家族や友人と一緒にエゴサーチをするのも良い。ネット上の言葉に対して一緒に悩み考えてくれるだろう。私が病的なエゴサーチを止める大きなきっかけとなったのも、冒頭の通り友人に「エゴサはもうやめなよ。」と注意されたからであった。
また、書き込みが真実をベースにした評価であるか確認する事も重要である。「そんな事は書いていない」「発言を捻じ曲げてとらえている」と感じる意見を目にする機会は、少なくない。そんな時は、とりあえず無視しておけばよい。ある女性芸人は、悪口を見ないように検索エンジンに「〇〇さん」と打ち込んでいるらしい。
確かに、ネガティブなワードを書き込む時に「さん付け」は行わないので、この発想は面白いと思った。どうしてもエゴサーチをやめられない場合は、このような方法で身を守るのも良いだろう。
所詮、SNS上に書かれていること
エゴサーチには、デメリットだけでなくメリットもある。自分自身に対する評価や認知度を把握し、自分自身の改善点を見つける一つの手段としては有効だからだ。ただ一つ言えることは、SNSというバーチャルな世界に、自分自身を投影しすぎてはいけないという事。
ネット上に書かれた内容は第三者の考えであり、それによって自分の感情が左右される事は、馬鹿げている。悪気のない書き込みによって、我々が勝手に自分自身を追い込んでいる。「所詮、SNS上に書かれていることだから」と、客観視出来るくらいの距離感が丁度いいのだろう。
今後、人工知能などの普及によって新たな検索機会が増え、エゴサーチの範囲も広がるだろう。「エゴサの闇」の淵を覗いた私は、バーチャルな世界の意見に左右され精神が病む「エゴサ病」患者がこれ以上増えないことを、切に願っている。