“ペンが剣より強く”あるために

S.Ichimaru

S.Ichimaru

一丸節夫

 

 パリ市内の週刊新聞シャルリー・エブドが襲撃され、記者ら12人の殺害にはじまる連続テロ事件が起きました。そしてフランスの各地では11日、イスラム過激主義を背景に表現の自由を踏みにじり17人の命を奪ったこの事件に抗議する、大規模な行進が行われたのです。参加者は100万人を超え、オランド仏大統領ら欧州の首脳に加え、イスラエルやパレスチナのトップも顔をそろえました。

 「ペンは剣より強し」-“ペン”は行進の象徴でした。
 「自由・平等・共和」をモットーに国旗トリコロールを掲げるフランスにとって思想・信条・表現の自由は何ものにも代え難い理念であり、小稿の筆者をふくめ多くの人々が行進の主旨に共鳴しました。

 

戦争で圧殺できないもの

 

 が、小稿はこのような時にこそ“宥和”の大切さを強調したいのです。その理由は、2001年9月11日、米ニューヨークの世界貿易センタービルなどを襲った同時多発テロ事件からも読み取れます。

 当時のブッシュ米大統領は、この事件発生直後から、これを“テロリストによる自由主義体制への宣戦布告”ととらえ、臨戦体制に入りました。そして10月8日、アフガン空爆開始にあたり、彼はこの侵攻作戦に “Infinite Justice” (無限の正義) という、神をも畏れぬ不遜なコード名をつけたのです。

 9月11日の惨忍な同時多発テロを容認し、正当化する人はだれもいません。しかしあの事件は“最も悪質な犯罪”ではあっても、ブッシュ氏のいう“戦争”ではないのです。世界制覇の野望によりまん延するファシズムを防ぐのに、あるいは戦争が有効かも知れません。それに対し、テロリズムの根源には虐げられた貧しい人々の悲痛な叫びが込められています。この叫びを戦争で圧殺することはできません。

 米国を含む列強諸国の勢力争いが、アフガニスタンにその時まで20年におよぶ戦禍をもたらし、あの国は冥土の闇路に堕ちていました。米国とその同盟軍は疲弊したアフガン国土にクラスター爆弾などを雨霰と注ぎ、おびただしい死傷者と無数の難民をつくりだしました。このような空爆作戦に正義など宿り得るでしょうか?

 ブッシュ氏は、かつてアメリカが自ら育て支援したビンラディン氏ら武装集団について語るとき、“evil” (邪悪) あるいは “evil men” (悪人) といった表現を口にします。この流れはさらにエスカレートし、12月21日にホワイトハウスで通信社などとの記者会見の席上「来年は(アフガニスタンより)他の場所でも(テロリストの)捕そくを続けるので、戦争の一年になるだろう」と述べたそうです。

 そして、2003年3月20日払曉、ブッシュ米大統領は、その予告通り、イラクの所有する大量破壊兵器を発見・廃棄し、フセイン政権やテロリスト集団がそれにより米国やアラブ周辺諸国などを攻撃するのを防ぐためとの大義を掲げ、国連安保理や多くの国々の異論や反対を押し切り、対イラク先制攻撃の火蓋を切ったのです。

 

ペンが持つ暴力性と宥和の外交

 

 ここで「ペンは剣より強し」に還りますと、この場合、剣が“暴力”の具象化であるに対し、ペンは“知力”の表象です。知力の伴わぬペンは、時には剣に匹敵する暴力性をもつことがあるからです。とくに今日のインターネット社会においてはなおさらです。

 つまり、ペンが真に剣より強くあるためには、相手の立場を思いやる“惻隠の心”が不可欠です。そして、今回の事件の一つの背景として、惻隠の心を欠く“ペンの暴力”問題がありそうです。

 むろん、前記のブッシュ氏のように、悪口雑言を投げかけていては、憎しみの拡大再生産に役立ちこそすれ、宥和の機運は遠のくばかりです。そして、その中東での破局が、今回フランスで起こった事件の遠因であることも確かなようです。

 パリ行進にはイスラエルのネタニヤフ首相やパレスチナ自治政府のアッバス議長の姿もあったといいます。いいことです。

 ならば、この両国間の問題も、ミサイルの打ち合いなどの暴力沙汰ではなく、“ペン”の英知による、宥和の外交を通じての解決をはかっていただきたいものです。それこそがあの行進の称える「ペンは剣より強し」を具現する道だからです。