関口 宏
この夏、一軒のレストランが店を閉めました。
首都高速・高樹町インターにほど近い、南青山の住宅街でひっそりと営んできたこの店のオヤジの先代は、吉田茂総理お気に入りの西洋料理の草分け的存在。
その先代は昔、赤坂で高級感漂うフランス料理店を構えていましたが、若かった私には敷居が高すぎて、看板を横目に通り過ぎるだけでした。
そして時が過ぎ、私が南青山に事務所を持ってしばらくした頃、赤坂と同じ名前の店があるとテレビ局の友人に紹介されて入ってみて以来20数年、すっかりその店に馴染み切ってしまいました。
高級感を抑え、20席ほどの気楽な店にして、夫婦で先代の味を受け継いでいたのですが、そのオヤジが私と同じ年、ママが二つ下の同世代だったこともあり、何よりも気取らず、ざっくばらんなことと、多少の我儘(開店時間をずらしたり、休日に店を開けてもらったり、ついにはカツカレーをメニューに加えてもらったり)が許されたこともあって、我が家に帰ったかのようなゆったり感が、いつの間にか私の生活の一部になっていました。
10数年前の狂牛病騒ぎの時には、私もやや牛肉系を避けた時期がありましたが、そのほとぼりが冷めた頃、オヤジの出してくれたコンソメの何と美味かったことか。
「牛の旨みとはこれか!」と唸ったものです。
そもそもオヤジのスープは絶品でした。
ソラ豆のグリーンスープ、ジャガイモのビシソワーズ、エビ・カニのビスク、どれも忘れることができません。
ママのワインの知識もずば抜けていました。
年代、産地、ラベル等々、全て頭に入っているようでしたが、客にとって怖いのがお値段。
しかしママは予算に合わせて手頃なものの中から、間違いのないものを出してくれました。
ある時ママに聞いてみました。
「どうすればワインが分かるようになるのかな」
ママの答えは一言、「ポルシェの一台でも飲んでみなきゃね」。
そんなママとの会話も心をほぐすひと時でした。
その我が家のような店の閉店。その原因の一つはオリンピックでした。
つまり競技場のできる神宮に近いこの辺りの地価が高騰、それが家賃に跳ね返ってしまったのです。
これまで都心でありながら地下鉄もなく、バスが頼りのこの辺りを「都心の過疎地」という人もいますが、だからまだまだ住宅地もある静かな環境が保たれていて、そこが気に入った私は事務所を、オヤジとママは店を構えたのですが・・・・・
そして閉店のもう一つの理由。それは残念ながら年齢でした。
オヤジは私と同じ年ですから、今年、後期高齢者になりました。
それでなくてもシェフの仕事は想像以上の重労働。
それは年齢とともに骨身へのこたえ方が酷くなるそうです。
それはそうですね。日々の仕入れ、仕込み、調理、そしてあと片付け・・・・・ほとんどが立ちっ放しの仕事です。
「腰が痛む」という悩みを数年前からよく聞くようになっていました。
しかしその事情が分かっていても、(何とか続けていて欲しい)というこちらの勝手な思いから「やめちゃったら呆けるぞ!」と何度か脅してみたのですが夫妻の決意は変わりませんでした。
今日もその店の前を通りました。
『志度』という看板も取り外され、空き家になってしまった佇まいに、故郷を失った喪失感のような寂しさが伝わって来ました。
そしてこの南青山周辺も、時代につれて変わって行ってしまうのでしょう。
秋の風とともに、今年は一層侘しさが募りそうです。
オヤジ、ママ、ありがとう。
いつまでもお元気で。
テレビ屋 関口 宏