炎上する遺伝子編集


城所 賢一郎

2012年、遺伝子編集(組み換え)の世界に爆発的な「道具」が登場しました。これはアメリカの女性科学者ジェニファー・ダウドナたちが開発、発表したもので「クリスパー・キャス9」と命名されています。
開発者自らがこの悪用を恐れて国際的ルール作りを呼び掛けています。
そして様々な国の政府機関や科学者がこの道具が使い方によっては大変なことを引き起こすと気付いてルール作りを急ぎ始めたのが2017年です。だから今はこの「クリスパー・キャス9」問題は炎上中なのです。(あとで述べますが中国の科学者が人間にこれを使って実験をしてしまったのがきっかけと思われます)

私(城所)は遺伝子工学には門外漢ですが、元々人類史や宇宙論には強い興味を持っていて新しい発見があると必ず読みます。
今回関係があるのは人類史です。凡そ700万年前にチンパンジーたちの祖先と別れてからいろいろな人類(ホモ属)が出ては絶滅して行きました。
その中で我々ホモ・サピエンスは20万年くらい前にアフリカで発生しました。こんなに短い歴史の中でその文明はピークに達していますが、果たしてこのサピエンスはさらに進化するのか、ホモ属はここで絶滅するのか議論が起きています。進化する意見の方に「遺伝子組み換えなどで創り出される新しい人類がサピエンス・サピエンスとして進化してゆく」という人たちが居るのです。
それを知って私は「気持ち悪い話だ」と思いつつも[サピエンス全史][遺伝子]
[ゲノム編集の衝撃]などの本を集中的に読みました。その中で[CRISPR]
に行きあたったのです。これはまじめな純粋科学の本ですが読むと「気持ち悪い話」が結構実現の可能性もあると思わされました。
原子力もそうですが「科学者という人種」は新しい発明があればどんどん前に進んでしまいます。特に今のように科学に「国威」が懸かるような時代には彼らの自制心には信頼がおけません。
従って今遺伝子編集問題には無関心で居ることは許されないと思います。
なぜならこれは人類の未来をはじめ地球上のあらゆる動植物に影響を与えます。もちろん病気も治しますが場合によっては人を創り変えたり、過去の人類を復活させたりすることさえ考えられる事柄なのです。世界中の国や組織、人がこういう事態が進行していることを知り、それについて意見を持つことが求められます。

 

1、まず用語の説明からします。

「自宅で学ぶ高校生物」より

・人間の体は37兆個もの細胞でできています。(以前は60兆個と覚えさせられましたが最新の研究では37兆個)。
そしてすべての細胞(赤血球は除く)の中には「遺伝子」が有ります。一人の人間ではどの細胞の遺伝子も同じものです。
「遺伝子」というのは一般名詞で、中味は主に「DNA」です。DNAは四種類の塩基(化学物質と覚えておけば十分ですが一応A,T,C,Gという頭文字の4種類の物質です)が交互に紐の上に並んでできています。この紐は2本づつ組になって並んでよじれています。よく「二重螺旋梯子状態」といいます。
この4つの化学物質の並び方(「ゲノム」と言われます)は動物や植物の種類によって違います。人によっても多少の差が有ります。
このようなことが分かったのは1953年以後で、2003年ころまでには健康な人間のゲノムの(A,T,C,G30億個もの)並び方はほぼ全部解明されました。

 

2、病気

この30億もの並びのうちたった一個のAとかCとかが抜けたり多かったり並び順が違ったりするだけでも病気が起こることがあります。
遺伝子の中のたった一つの物質の変異で起きる遺伝子原因の病気はこれまでに分かっているだけでも7000もあるそうです。
ゲノムの解読がほぼ出来たことである種の病気(ダウン症や鎌形赤血球など)の遺伝子上の原因も突き止められており、産前検査で赤ちゃん(またはまだ赤ちゃんと呼べない「胚」の状態)の遺伝子診断なども行われています。(これはテレビドラマ「コウノドリ」でもテーマとなったほどです)
30億の文字が並んでいるとしてその中の一つが間違っているかどうかを探し出すのはたいへんな時間と資金と労力を要します。
これまで遺伝子原因の病気の根治が難しかったのはそのせいです。

 

3、遺伝子編集(組み替え)の仕組み

遺伝子の組み換えは、まず傷んだ一つまたは複数のゲノムを「探し出して」「取り除き」「代わりに健全な物(A,T,C,G)を注入する」という三段階です。
病気を治すだけでなく動植物(今のところ主に植物)の性格を変えるための組み換えもあります。
霊長類(特に人間)を除く動植物では1990年代からしきりに行われてきました。
寒さに強いイネとか麦とか、甘いイチゴとかトウモロコシとか、脂肪分が無い大豆とかジャガイモとか、今では遺伝子組み換え植物はいくらでもあります。アメリカで使われる大豆の94%が遺伝子組み換えモノだと言われます。
(日本では遺伝子組み換え原料の食品にはその旨の表示が義務付けられています)
しかし先ほどもいいましたが遺伝子編集を行うための方法は極めて難しく、熟達した科学者が数か月もかけてやっとできるようなものでした。2012年まではです。

 

4、「クリスパー・キャス9」登場

By Kenneth C. Zirkel [CC BY-SA 4.0], from Wikimedia Commons


2012年、それ以前とは全く違うやり方で遺伝子組み換えを簡単にできて、遺伝子原因の難病の治療にも役に立つであろう「クリスパー・キャス9」が発表されました。異変がある場所の特定、そこを切り出す事、切り出したところに正しい物質を入れること、いずれもそれ以前の方法とは革命的に違う簡単なやり方のようです。
これを開発したジェニファー・ダウドナは「高校生が高校の実験室でも出来てしまう」と自著に書いています。
また彼女たちがこの方法をオープンにしたことから、今ではグーグルで「クリスパー・キャス9」と検索すれば「クリスパー・キャス9処理したマウス売ります」とか「クリスパー・キャス9に関する相談に乗ります」のような広告さえ出るようになりました。この方法のノウハウや必要な物質が誰でも手に入るということです。

 

5、核兵器並みの危険性が

「クリスパー・キャス9」が遺伝性の病気の治療に役立つことは当然です。
そのために開発したのですから。
しかし彼女たちは簡単であるがゆえに悪用された場合に起きる危険性についても最初から指摘していて、幅広い議論を呼び掛けアメリカでは科学者はもちろん、オバマ政権関係者、市民、消費者運動家、メディア代表者等を集めた会議を開いてきました。また国際会議も主宰してきました。
ジェニファーはヒトラーがブタの顔をして出てきて「使い方を教えろ」と言った夢まで見たそうです。
議論を呼ぶ使い方の例を挙げればきりがないほどですが「筋肉隆々の闘犬や闘牛や人を創る」「ペットにできて飽きれば食えるマイクロピッグを創る」「マンモスはじめ絶滅した動植物を再生する」「人間内臓を持ったブタを創り移植に使う」「内臓移植用の人間を作り育てる」「人間のデザイナーベビー・寿命の短い人間・怒りや反抗の気持ちが薄い人間を創る」などなどいくらでもあるでしょう。
このうちマンモスを創る計画は既にアメリカの大学でスタートし、またブタ創りも始まっているそうです。
そして悪夢が現実化したのは2015年に中国広州市中山大学の科学者チームが実際に人の受精卵にクリスパー・キャス9の分子を注入したと発表したことでした。
病気の原因を突き止め治療に資するためというのが彼らの言い分ですが、クリスパー・キャス9はまだ開発されたばかりの技術で、動物実験も十分ではなく、とても人に応用して良いものではないのです。事実この中国の大学の実験は病気治療という意味ではほぼ全部失敗に終わったようです。
中国では国家科学院でクローン猿も作りました。(クリスパー・キャス9の技術ではないと発表していますが、真相は分かりません)。(クローン猿ができるということは遠からず「クローン人」も技術的には可能ではないでしょうか。)
これらの出来事がクリスパー・キャス9についての国際的な議論を爆発的に炎上させました。
日本では遺伝子組み換えというと組み換え食物についての関心ばかりで、「組み換えでほかに何が出来てしまうか」にはまだ関心が薄いようです。
日本の大学や研究機関が「クリスパー・キャス9」を使った実験をしているかどうかは定かではありません(IPS細胞の発明など日本は世界の先端に居るから個人的に海外で研究実験に参加している人は多いと思います)。
それでも2017年には日本学術会議他いくつかの団体が「人の胚への利用を禁じるなどの法規制を急ぐよう」政府に申し入れています。

アメリカでは「諜報機関コミュニティー」が上院軍事委員会への経年報告書(WTA)でクリスパー・キャス9技術を北朝鮮の核などと並ぶ「第6の大量破壊兵器」に指定したそうです。
確かにこの技術はネット上で解放されている以上、人の命に対する価値観の違う国や地域、テロリストや個人的不満分子が利用する可能性はあります。

もう一つ、過去に人類が絶滅させた動植物(先ほどのマンモスのような)を、遺伝子採取が可能なものであるならば、(これまでより簡単に)復活させることができるという問題も、ジェニファーたちは提起しています。ネアンデルタール人やフローレス原人はどうか、恐竜の一部はどうか。これには積極的に(絶滅させた罪滅ぼしに)行うべきだという有力な意見もあるらしいですがどうでしょうか?
私は、人が人を創ったり自然をあまりに造り替えたりするのにはとても賛成できません。それでなくとも我々サピエンスは地球をめちゃめちゃにしてきたのですから。

 

6、急がれる広範な議論と規制

簡単で廉価にできる遺伝子編集の開発は、遺伝子原因の難病を持つ人にはまさに待ちに待った福音でしょう。
しかし人体や霊長類への適用にはまだまだ実験室レベルで研究と実験を繰り返す必要があるようです。
中国はフライングをしているようだし(その後、国が規制に乗り出した)、アメリカの科学界では日本も危ないと言われているそうです。
クリスパー・キャス9という革命的な技術進歩を使いこなすためには科学者だけではなく国際レベル・国家レベル・市民レベルの広範な、しかも多角的な議論が必要です。多角的というのは科学的だけでなく倫理的、哲学的、宗教的、人類史的、経済的等々様々な意見の交換が必要なのです。しかも急いでです。

 

7、遺伝問題の暗い過去。

ヒトラーの優生学・アメリカや日本の優生保護法などにの歴史については省略。

 

 

参考文献・サピエンス全史、上下(河出書房新社)

・遺伝子、上下(早川書房)
・CRISPR(文春Eブック、開発者が自ら書いた)
・ゲノム編集の衝撃(NHK)
・すばらしい新世界(グーテンベルク21)
・生命とは何か 物理的に見た生細胞(岩波文庫)
・ネット上にある様々な情報
など