せめて片隅にでも

H.Sekiguchi

関口 宏

 最近、また一段と肩身が狭くなりました。
「あそこ・・・・駄目だったっけ?」「じゃ・・・・あそこは?」「どこかOKな所、あるだろう・・・・」
仲間との食事の「店探し」に苦労させられる一幕なのですが、本当に少なくなりました。

つまり、「煙草・タバコ」。

 『受動喫煙』問題がどんどん進んで、仕舞いには愛煙家=犯罪者になりかねない勢いに、長年嗜んできた身には、辛い時代になりました。

 おやりにならない方にしてみれば、「すべて禁煙にして欲しい」と思われるのも分からない訳でもありません。
 またそんな動きに抗うつもりもありませんが、せめて社会のどこか片隅にでも、愛煙家が生き延びられるスペースを残しておいて欲しいと願うのは、無理な注文でしょうか。

 私とタバコの付き合いは、もう半世紀を超えました。

 私に物心がつき始めた戦後間もなく、映画俳優だった父のもとに、ファンだという日系二世のハワイの小父さんがよく遊びに来て、PX(進駐軍の基地の中のスーパーのような所・日本人は入る事が出来ませんでした)からアメリカのタバコをたっぷりお土産に持ってきていました。

 ラクダの「キャメル」、赤丸の「ラッキー・ストライク」、緑色の「クール」等々、家中あちこちに洋モク(外国産のタバコをそう呼んでいました)が転がっていて、父が口からドーナッツのような丸い煙の輪をポッ・ポッと吹き出し、幼い私を喜ばせていました。

 しかし幼い私も長ずるにつれ、やがてそのポッ・ポッを自分でもやってみたいと思うようになるのは自然の成り行きだったと思います。
 最初は悪戯のつもりでしたが、いつか一丁前になり、どこか「大人の男」になったような気分をタバコが味わわせてくれました。

 そう、あの当時はタバコを嗜むことが一人前の「男」の証のような雰囲気がありました。

 テレビドラマでもほとんどの俳優さんがタバコをやりました。
今では信じられないほど昔のテレビドラマには、タバコを吸っている人がどこかに映っていました。

 名作「七人の刑事」の刑事部屋も、「事件記者」の記者室も、煙モウモウの中でした。
後に自分も俳優の仕事をするようになって分かった事ですが、タバコがあると所謂「間」がもてるのです。つまり誰かの台詞の聞き役に回った時に、タバコをゆっくり燻らせ、時々そのタバコに目をやったり、灰皿にポンポンと灰を落としたりすることで、「間」がとれたのです。

 映画の世界では、大スターはその吸い方に磨きをかけて、どう格好よく見せるかに余念がなかったようです。
 ハンフリー・ボガート然りゲーリー・クーパー然りジェームス・ディーン然り、そしてジャン・ギャバンとくれば渋さの極みでした。

 一般的には、女性の喫煙家が少ない時代で、だから逆に女性のタバコは目立ちました。
銀幕の世界でも絶世の美女と謳われたマレーネ・デートリッヒは、怪しさと高貴さをタバコで表現していました。

 そして今なら絶対に許されないであろう仕草をトレードマークにして、視聴者もまたそれを「格好いい!」と受け入れた人がいました。

 エド(ワード)・マロー。
 アメリカ人で一流のジャーナリストであり、自らテレビ番組のアンカーマンも務めた人ですが、その番組のオープニングは、きまってタバコを燻らすエドの「good evening!」から始まりました。

 聞く所によればエドは、本番5秒前になるとAD(スタジオを仕切るアシスタント)に火をつけさせて、「good evening!」に入って行ったといいます。

筑紫哲也さん(TBSニュース23)

 そしてこのエド・マローの話になると、思い出されるのが筑紫哲也さん。
筑紫さんもチェーン・スモーカーで、本番の中では吸わなかったものの、ご自分の席の横には常に灰皿を用意しておき、コマーシャルの時などに一服されていました。
そしてご存知のように、晩年肺がんを患われ他界されました。

 その筑紫さんと最後に私がお会いしたのは、ぎゅうぎゅう詰めの局のエレベーターの中でした。
あとから乗ってこられた筑紫さんは抗ガン剤の副作用で御髪が薄くなり、毛糸のつばなし帽をかぶっておられましたが、一番奥にいた私に気付かれて、ニコッとされてから右手を頭の上で大きく振りながら、他の人たちに遠慮気味に「タバコじゃなかったから!タバコじゃ・・・・」と言い残してエレベーターを降りて行かれました。

 私もタバコをやることをご存知だったし、ご自分の病の原因は他にあったと仰りたかったのか、今となっては分かりませんが、妙に、あの「タバコじゃなかったから!タバコじゃ・・・・」が私の記憶にこびり付いています。

 テレビ屋  関口 宏