根本 美緒
去年の2月、東京では2回も27センチの積雪を記録した。
交通機関は麻痺し、赤ちゃんを乗せたベビーカーを押していた私は、タイヤが雪に埋もれながら必死にバスに乗ろうとしたが、結局乗れずに歩いて帰った、という記憶がある。
「雨か雪か」これは東京にとっては非常に重要な情報である。
雪国の方には笑われるかもしれないが雪に弱い都心の交通機関には数センチの雪でも大きな影響を及ぼす事があるからである。
とりわけ去年の2回の大雪は気象庁の予想をはるかに上回るものだったから、大騒ぎだ。今年もまたあるのでは…気象予報士達は今年の冬、怯えながら予報した。
南岸低気圧、と呼ばれる太平洋沿岸を通る低気圧が発達しながら西から東へ移動する時、東京の大雪をケアしなくてはいけない。晩秋から早春によく見られる天気図だが、とりわけ今年はその数が多かった。
1月30日。その南岸低気圧がやってきて、概ね予報通り都心も雪。3センチの積雪を観測したが、特に大きな影響はなく、世間では思ったよりたいしたことなかったな、という印象だったに違いない。翌週2月5日、またも南岸低気圧が襲来。この日の気象庁予報は大雪、気象キャスター達も番組などで降雪を伝えたが、大きくはずれ世間を騒がせることになる…。
この日なぜ降雪という予報を出し、その予報ははずれたのか。その陰には人間とコンピュータの知られざる戦いがあった。
「気象予報」はこうして出される
気象庁からは朝の5時、昼の11時、夕方の5時、の3回「数値予報」と呼ばれる技術が使われた予報が送られてくる。「数値予報」とは実際に観測によって得られたデータ(天気、気温、降水量等)を基にして、将来の大気の状態をコンピューターを用いて計算する技術だ。それによって毎日の様々な天気図や予報が作られ、最終的に予報担当者の経験と知識等によって予報が修正されて発表される。
昭和34年から数値予報が使われておりめざましい進歩を遂げているが、まだ発展途中でもあり、特に小さいスケールで発生する現象(ゲリラ豪雨など)にはめっぽう弱いため気象庁の予報官の手が加えられる。
予報士はその予報を見て、予報官の心情を読み取ったりする。そのうえで晴れ一時雨ならば、いったい何時ころに降るのか、視聴者にわかりやすいようにある程度の時間を特定したり実際の天気とのずれを埋めたりしながら独自の見解を番組などで伝えている。つまり番組や媒体によって予報が変わってくることになる。
問題の2月5日、気象庁は前日から「大雪に関する情報」を出し、都心にも積雪の警戒を促していた。予想降雪量は5センチ。時間別の天気予報では雪マークがずらりつけられていた。そのまま伝えるとすれば「きょうは大雪です」になる。実際そう伝えている番組もあった。しかし、そこに待ったをかけたのが、コンピューターだ。どのデータを見ても、「雨またはみぞれ」になっている。
基本的に気温が低ければ低いほど雪になり、地上が2℃くらいならば雪、とみるケースが多い。そのあたりの1℃の差は大きい。ただ気温だけでなく湿度も重要なカギを握る。湿度が低ければ低いほど雪になる。つまり晴れの日が続いて乾燥しているところに、低気圧が来れば、気温が4℃くらいでも雪になる事もあるし、逆に気温が1℃でも、湿度が高ければ、雨だったりするわけで、非常にデリケートである。
そこで気象庁の予報官はコンピューターのデータを見た上で上空寒気と北風の流入による気温低下を考慮して雪をつけてきているのだろう、と考えられた。
数値予報はまだ温度や湿度をピタリと当てるほどの精度は持っていない。だから人の手によって修正をかけたという事だ。
「医者と天気予報は…」
1933年、当時の中央気象台技師・藤原咲平(ふじはら さくへい)氏(後の第5代中央気象台長)が残した、「予報者の心掛け」の中に、「・・・幾分悪く予報しすぎた時の失敗は結果において常に良く予報しすぎた場合の失敗よりも損害が少ない・・・」という言葉がある。
そう、「医者と天気予報は悪目に言う」と言われるように、何かあったらというリスクを考える防災のための天気予報であり最悪の事態を想定するのは当然だ。しかし番組でお伝えする以上、なるべく現実に近い天気をお伝えしたい。自分なりに検証する。
今の温度は2.7℃、湿度は86%。雨が降っている。北北東の風が吹き10分ごとにどんどん気温は下がっている事を考えるとすぐに雪に変わる可能性は十分にある。ただ降り出しが雨の時は湿度がこれ以上あがる可能性がある。つまりは1℃台になってもみぞれ止まりか。午後一旦少し暖気が入ればまた気温は少し上がり雨になるだろうが、夕方以降はさすがに気温も落ち、雪になるのではないか…。
ということで、雨からのみぞれ、夕方以降雪、と予報を出した。
結果、蓋を開けて見ると、その日の天気は雨で、途中みぞれになったりしたが、夜になっても雪には変わらず、コンピューターの勝利に終わった。
「コンピューターでは予想しきれないところを人間の手で」とよく先輩に教わってきたが、データの蓄積も増えコンピューターの精度が確実に上がってきている、と実感した出来事だった。
「雲は嘘をつかない」
そこへ新たなニュースも飛び込んできた。ひまわり8号の打ち上げだ。それにより新しいデータの運用が今年の七夕の日から開始されるという。
「雲は嘘をつかない」と教わり、予報で迷った時は必ず雲を見つめ返してきた。目視はもちろん、気象衛星から映し出された雲画像をチェックする。気象庁のHPで誰でも見られるこの気象衛星画像は、宇宙に飛んでいるひまわり6号や7号から送られて来ていて、大きく分けて2つの画像がある。1つは雲の高さが高いほど白く映る赤外画像。もう1つは雲の厚みがあるほど白く映る可視画像。その2つを見ながら雨を降らせる雲はどれか、見極める。ただその画像は、地球全体は1時間に1回。日本付近であれば30分に1回、と限られるため、急に発達する雲をとらえるのは難しかった。ところがこの度、より精度の高いひまわり8号が宇宙に飛ばされたことで、地球全体は10分に1回、日本付近は2.5分に1回、画像が届くことになり、ゲリラ豪雨の予想にも対応しやすくなるとみられている。かつこの画像をカラー化できる事で、今まで見分けが難しかった、海氷や黄砂、火山灰と雲の違いもはっきり分かるようになり、格段に数値予報の精度も上がるとみられる。
こうしてコンピューターはデータ量も増えこれまでの統計も蓄積され今より間違いなく精度を上げるだろう。
一方の人間はと言えば、防災という観点から悪い方にはずれることを恐れる気象予報士のサガは消えない。そんなハンディを負いつつもコンピューターに白旗を上げるつもりはない。だって白旗を上げたら気象予報士はみな失業ですものね。コンピューターと戦い続ける…というよりは、どう協力体制を組んで「より正確な予報」を出していくか。「雲は嘘をつかない」の初心を忘れず、その道を模索していきたい。