セルベッサ Bar Hoppers

志村一隆

 先日、新宿でソーキそばを食べていたら、中国人らしきオジサンが「ジューハチバン」と叫びながら店内に入ってきた。ハナから「わからない」という感じでお店の人がスルーしてると、奥からどこかアジア人らしき若者が出て来て、英語で対応していた。

 自分がスペインで体験してたのは、まさにコレだ。現地語が話せないのに店に入ってくる。逆の立場から見るとずいぶん変な人だった。

ボリュームと厚さ。オヤジはニコリともしない。左手奥の檻にパンが放り込まれている。

 マドリッドで最初に入ったバルにも、英語対応の若者がいた。忙しく殺気だっているオジサンに「ビア アンド ハム」と言った途端、奥からアジア人ぽい若者が出てきて「ビアアンドアイベリコ」と対応してくれた。ちなみに、スペイン語でビールは「セルベッサ」という。Cerveza、ケルト語由来らしい。

 スペインでは毎晩生ハムばかり食べていた。檻に放り込んである両手より大きなパンと一緒に出てくる。ビールのコップは何も言わなければ小さいものが出される。ホントかどうか知らないが、いろいろなバルを飲み歩くためとか。

 バルセロナ初日は、つまみがイワシのフライしかないというバル。カウンターにはギョロ目のオジサン。間合いを図るが英語が通じなさそうなので、ここでもしばし立ち放す。カフェでもそうだったが「いらっしゃいませ」文化に慣れすぎていて放置されると自分では何もできない。そこで、一緒に行ったスペイン語の話せる昔のコーハイに全権委任し、やっとイワシと飲み物にありつけた。この店では、薬草が漬けてあるワイン(サングリアのような)が美味しかった。

 2日目。旧市街のバルに入る。ちょうど椅子つきのテーブルが空いたので、そこにカバンを置いてビールを頼みに行った。ところが、カウンターからテーブルに戻ると、椅子がない。なんと、後から来た欧州人団体が、我々の椅子を移動させ占領している。テーブルの上のカバンはそのままである。カバンを置く席取りは通用しないのか。

 そこで、抗議をすれば良かったのだが、なぜかスゴスゴと違うテーブルに移動してしまった。なぜなんだろうか。後から考えてみると、スペイン旅情その2で話したような、こちらの存在を認めない空気感に威圧され不戦敗してしまったのだろう。目を合わせているのに、全く表情が動かない。言葉を発しない限り我存在せずなのか。なぜか、そこに威圧感を汲み取ってしまうのは、敗戦国根性なんだろうか。

 マドリッドに戻って、カタルーニャ人(バルセロナのある地方をカタルーニャという)の友人とマドリッドのバルに連れていってもらった。集合時間は夜9時。さすが。マイヨール広場から王宮に伸びる道を歩くと、道端が飲みながらおしゃべりする人々で埋まっていた。「マドリッドは官庁ばかりだから、みんな5時から飲んでる。マドリッド人は金を集める、バルセロナ人はその分働かなくてはならない」マドリッド人はのんびりしていて、バルセロナ人は働き者という見立て。バルセロナとマドリッドを比べるジョークをよく聞いた。

カラマリと小魚のフライ。壁は闘牛士の写真だらけ。

 良さげなお店に入ると、メニューに英語表記があるのをみて「観光客向けだったナ」と軽く舌打ちしている。英語があってもなくても、頼むのは「カラマリ」と生ハムしかない。フライにも盛り合わせがあるらしく、カラマリと小魚の入ったフライが出てきた。これがとても美味い。サクサクした感じと塩味がとてもいい。(続く

(メモ)ショップカードが残っているお店

マドリッド:
Portomarin : マドリッド、ソフィア美術館裏、徒歩5分くらい。ビール、生ハムで10ユーロ。

バルセロナ:全て地下鉄L4(オレンジ色) Jaume I駅近辺。

LLAMBER : オサレな感じ。3軒めに行き、スープを頼んだらとても大きく飲みきれなかった。どんなお店か調べていたら、バルセロナウォーカー「ジョランダ訪問記事」というサイトを発見。読み耽ってしまった。
Sagardi : 店構えがいいが、ピンチョスは普通だった。サンタマリアデルマル教会の手前。
El Chigre 1769:ここもオサレな渋い感じ。アンチョビが美味しかった。サンタマリア教会の裏。夜の散歩に疲れてサンタマリアデルマル教会で一休みした。天井高く荘厳。友人はここで結婚式をあげたらしい。

セルベッサ(ビール)の語源:古フランス語でホップを使わないビールを’cervoise’ 、イベリア半島古語で発酵した小麦は’ceria’と言うらしい。ドイツ語のビール(bier)はラテン語の’to drink’由来。ビールを意味する語源は欧州語に4つある。このブログ”Confused by cerveza?” は面白かった。