傷ついていくのは誰か

Natsuki Yasuda

Natsuki Yasuda

安田 菜津紀

 がくんと高度が下がったはずみで、浅い眠りから目を覚ます。
 眼下に広がっている風景はどこまでも茶褐色、砂埃のせいだろうか、空と大地の境界線が曖昧に見える。
 2011年、シリアでの内戦が激化して以来、100万人以上の難民が流れ込んできているといわれる、南側の隣国ヨルダン。
この乾いた大地に降り立つ度に、一人の少年のことを思い出す。

 2014年秋、終わりかけの夏の暑さがまだ残る首都アンマンを訪れたときのことだった。
ビル街の谷間にある小さな病院の一角が、シリア人のための病棟となっていた。
爆撃や銃撃戦に巻き込まれて運び込まれた人々の中には、小さな子どもたちの姿も目立っていた。
車椅子で廊下の向こうからゆっくりゆっくりこちらに向かってくる両足のない少年。
「痛い、痛い」と看護師が近づくだけで泣きじゃくる少女。
すぐには状況が飲み込めず、思わず頭が真っ白になりそうになる。

 そんな子どもたちのベッドが並ぶ病室の中で、一人の少年から目が離せなくなった。5歳だという小さなその体は傷だらけだった。
けれどそれよりも、彼の放つ柔らかく、それでいて悲しそうな空気が気になったのだ。

 

アブドゥラくんに最初に出会ったとき。手を握っても、握り返さなかった。

アブドゥラくんに最初に出会ったとき。手を握っても、握り返さなかった。

 

 「アブドゥラくん?」彼の名前を呼んでみても反応はなく、虚ろな瞳は空の一点を見つめたままだった。爆撃に巻き込まれ、頭には無数の手術跡があった。結局、言葉を交わすことはできなかった。

 次に会いに行ったとき、一緒に避難していたお母さんに、最初に撮らせてもらった写真を持っていった。
決して幸せな瞬間を写した一枚ではない。けれどもシリアから思い出の品を持ち出すことが殆どできなかったからと、お母さんは声をあげて喜んでくれた。
「ありがとう。今度はアブドゥラが元気になって、外を走り回っている様子を撮りにきてちょうだいね!」。

 そんなアブドゥラくんの病室を滞在中最後に訪れたときのこと。
「ほら見て!」とお母さんが指差した先には、体を起こし、ぼんやりながらこちらを見つめる彼の姿があった。
ゆっくりゆっくり、こちらに向かって振ってくれた小さな手を、思わずぎゅっと握る。温かい。「嬉しい、覚えててくれたんだね」とその顔を覗きこむと、お母さんも益々愛おしそうに彼を見つめた。
小さな病室に束の間の、温かな空気が流れた瞬間だった。
きっと元気になった彼にカメラを向ける日は近い。そう信じて疑わなかった。

 

最後にあった日のアブドゥラくん。回復の兆しが見えたかのように思えた。

最後にあった日のアブドゥラくん。回復の兆しが見えたかのように思えた。

 

 けれどもその夢は叶うことがなくなってしまった。
 私が帰国してから僅か一週間後のこと。アブドゥラくんの容体は急変、治療のかいなく小さな命がまたひとつ、静かに消えていった。
「お母さんにとってあの写真が、手元に残るアブドゥラくんの最後の思い出だね」。現地のNGOの方から届いたその言葉が、余計に悔しさを募らせた。
ふと、イラク人の友人がつぶやいた言葉が頭を過った。
「ねえ、知ってる?僕らはチェスの駒なんだよ。チェスは駒ばかりが傷ついていく。そして動かす人間は決して傷つかない」。
アブドゥラくんも、家族たちも、決してチェスの駒ではない、意思を持った人間なのに。

 今年6月、再び訪れたアンマンの病院は、変わらず傷ついた人たちで溢れていた。重症を負った人々が運ばれる度に、静かだった廊下が騒然となる。
大人たちの中には、政府軍と闘い続ける兵士たちの姿も交じっている。「こっちでは毎日死んだように生きなければならないだろ?シリアに帰ったら死ぬのは一度だ」。そんな言葉を残して、彼らは再び戦火の中に戻っていく。
彼らを取り巻く環境は、隣国に逃れてきてもなお厳しい。ヨルダンでは労働は許されていない。不法に仕事を得てひっそりと暮らそうと試みても、“仕事をシリア人に奪われている”“お前たちが国を汚している”、と心無い言葉を投げかけられることさえある。
こうして“居場所”を得られずにいる、彼らの生きる選択肢は限られてしまうのだ。

 

ヨルダン北部、ザータリ難民キャンプ。夕刻、砂埃が一面を覆っていく。

ヨルダン北部、ザータリ難民キャンプ。夕刻、砂埃が一面を覆っていく。

 

 なぜ争いに手をつけてはいけないのか、なぜ武力に走ってはいけないのか。
私はその答えのひとつがこの場所にあるのではないかと思ってきた。
武力に走るとはきっと、相手を理解する道を断つということ。
政治でそれが行われれば、人はそれに巻き込まれていく。シリアで家族も故郷も失った若者たちが、アサド政権を倒すことだけを心の支柱にしているように。彼らがそれを望んだのではなく、そこまでの状況に追い込まれたのだ。
こうして傷つけ合いの火は、本来は争いとは全く関係のなかった人々を飲み込んでいく。

 けれども彼らを追い詰めているのは、戦火や隣国での厳しい環境だけではない。
兵士たちの治療にあたっていたシリア人の医師が、静かに語ってくれた。
「私たちを最も苦しめてきたものは、“イスラム国”でもアサド政権でもなく、世界から無視されている、忘れ去られているという感覚なのです」。
そこに続く言葉は重い。
「僕たちシリア人がどうして日本人と握手するか分かるかい?日本がどこも攻撃をしない国だからだ」。

 この4年間、果たして私たちはどれだけ彼らに心を寄せることが出来ただろうか。
傷つけ、傷つけられているのは誰か。持ち帰ってきた言葉を噛み締め、反芻する日々は続く。