元パナソニック副社長・WOWOW社長 佐久間昇二氏の新著「イノベーションは「3+7の物語」で成功する」

Kazu Shimura

Kazu Shimura

志村一隆

 瀕死状態だった90年代のWOWOWを再建した佐久間昇二氏は、松下電器の副社長だった頃、会議で部下の書類が間違っているとバーンと書類を投げ、「そのまま車に乗って帰ろうとするんや。するとみんなが止めに来てな」つまり、演技なわけだが、そういうメリハリ効かせるために演出がとても上手かった、というか大事にしていた。

 そんな佐久間さんから新著「イノベーションは「3+7の物語」で成功する」という本を頂いた。佐久間さんがWOWOWに来たのは自分が入社3年目、25歳の頃。30万人も社員がいる松下だったら顔を見る機会なんて全く無かったと思うが、社員200人の会社だったからか、若い自分にもよく話をしてくれた。ケータイWOWOWを起業できたのも、居並ぶ役員が反対する中で、佐久間さんが一言「志村にやらせる」と言ったからだし、米国留学に出してくれたのも佐久間さんのおかげだ。佐久間さんの言葉や話は、今の自分にかなり影響を与えている。ともかく、債務超過だったWOWOWを再建していく過程を若い身空で見ていた自分にとって人生の師である。

さくま

WOWOWのセンパイ橘田さん(左)と佐久間さん(中央)

 佐久間さんがしてくれた話で今でも好きなのは、欧州に赴任して売れる商品が無いので困っていたら、松下幸之助(パナソニックの創業者)に「2年間まず理念を売って欲しいんや」と言われた話。「理念を売る?」って禅問答のようだが、松下って宗教ぽいなぁと思ったのを覚えている。

 本でも強調されているが、こうした「理念」や「儀式=演出」の大切さは、今になってようやく理解できてきた。若かりし頃は「面倒クセェ〜」と思っていたが。。。ともかく、褒賞制度や政治利用されるスポーツイベントを見るまでもなく、国家でも企業でも経営・統治の基本は「理念」と「儀式」なんだろう。

 しかし、よく考えると「理念」と「儀式」だけでは新商品は出てこない。どこかでゼロからイチを生み出すアイデアが必要である。そのアイデアの元となる考え方について、元ソニーの丸山茂雄さんが日経ビジネスのインタビューで面白いことを言っていた。

松下幸之助創業の地 - 大阪市大開公園にある(地下鉄千日前線野田阪神駅から5分くらいの住宅地にあった)

松下幸之助創業の地 – 大阪市大開公園にある(地下鉄千日前線野田阪神駅から5分くらいの住宅地にあった)

 パナソニック創業者の松下さんは、一般的に言われているのは、裕福な家に育ったわけではなくて、電球のソケットを作って立身出世していくわけでしょ。だから今のパナソニックは電球を作っているし、生活必需品の白物家電や住宅とか、社会インフラに近い事業もやっているんだと思う。

 だけどソニーは同じ電機業界の会社でありながら、テレビやオーディオみたいなデジタル家電はやっているけど、白物家電はやらない。この違いは、松下さんと盛田さんの生い立ちの違いだよ。だからパナソニックは生活に必要不可欠な必需品を作るし、ソニーは生活必需品ではなくて娯楽に近い電機製品だけを作っている。<中略> なんでソニーがそうなったかというと、盛田さんが名古屋の田舎の酒蔵のボンボンで、派手な生活が好きだったからだろうね。オーディオが好き、カメラも好き、音楽や映画も大好きだった。

 このインタビューについて、佐久間さんに聞いてみた。すると「戦後、サンヨー、シャープ、ソニー、松下の4社が飛び出した。その中で松下は売上8兆円いった。しかし、シャープもサンヨーも結局2兆円止まりで、今はあの凋落ぶりだ。その違いは何か?思うに、松下は電池や半導体や組立ロボットを内製で作っていた。サンヨーやシャープは組み立て工場だったんや。その違いやな」ということだった。松下は部品でもなんでもまず自分たちで作り使ってみる。マネシタ電器と呼ばれたが、使ってみて良かったら他社にも売る。それが成長の素だったという。

 他にも「入るを図りて、出ずるを制す」や「素直に聞き上手になる」と言った今でも自分に根付いている言葉がたくさん書かれている。この本は、イノベーション本というより、経営者の自伝であり、松下幸之助の言葉を伝導する物語でもある。

 先日、とある大学で「できたてのWOWOWに入るのは大きなリスクだったと思うのですが、躊躇しなかったんでしょうか?」と質問された。WOWOWは佐久間さんが来てからも大変な時期だったけど、来る前もかなりメチャクチャだった。入社するのに、まったく躊躇はしなかったけれど、知り合いの女の子に「なんで早稲田でたのにWOWOWなの?」と言われたのはショックだった。入った当初は、一日中電器店からクレームの電話が鳴り響いてたし、日本衛星放送という会社名だったのだが、「日本衛生包装」という宛名で書類が来たこともあった。それでもスクスクと楽しくやっていた。若い頃の苦労は買ってでもせよというけど、とにかくメチャクチャだけど熱かった勃興期の組織の経験はしたほうがいいと思う。

創業の礎の背面にある松下幸之助の言葉

創業の礎の背面にある松下幸之助の言葉

(オマケ)

  1. 何十万人もいる組織を率いるにはどうしたらいいのか?松下の副社長だった頃は「直接の部下の常務や専務を信じるしかなかったな」と言っていた。
  2. 本にも出てくるが、営業所長だった時に、本社の役員が視察に来ても、ありのままの現場を見て欲しいと同行しなかった話を聞いて、「とてもロックだ!」と思ったのを覚えている。しかし、却ってその役員に見込まれて出世街道に乗ったらしい。その時40代後半。最初からエリートでなかったのが佐久間さんの人間的魅力を増しているんだろう。
  3. 担当だったヤマダ電機のおじさんに「今度オメェンとこの社長になった佐久間ってのは、ウチに商品を止めやがったんだよ」といきなり言われたことがある。(1993年頃か)ヤマダ電機が価格破壊をするというので、松下で営業担当副社長だった佐久間さんが「あそこには売るなっ」と一喝したのだ。佐久間でなくアクマと言われていたらしい。
  4. 儀式に関連して。1990年代初頭、まだお店が関東だけだった頃、ビックカメラも全社員総出で得意先を招待して一泊の新年会をやっていた。水上温泉のホテルを貸し切るのだが、みんなお店が終わってからバスで駆けつける。なので始まるのが夜11時とかそんな時間だった。500人くらい集まる大広間で、演し物や政治家の演説やら、なにやら夜通し盛り上がる。早番の人は、翌日朝早くホテルを出て、そのままその日のお店に出る。お店は1日も休めないのに、そんなことをやっていたのは、やはり勃興期の熱狂があったからだろうか。
  5. 引用:「ソニーの本質は高級なおもちゃ会社」プレステ生みの親・丸山茂雄が語る迷走の裏側(下)宗像 誠之、日経ビジネス、2016年5月18日(水)