6月4日、渋谷で開かれた「ショートショート・フィルム・フェスティバル」に参加しました。
俳優の別所哲也さんを中心に立ち上げられた短編映画の祭典で、その活動を世界に広げて行った努力に拍手を送りました。
私が任された分野は、「地球を救え!」をテーマにした5分〜20分の短編。
世界から寄せられた6作品の審査でしたが、その他にも様々な分野の作品が集められ、会場の熱気に、この世界で頑張る人たちが沢山いることに驚き、どこかホッとしました。
それは私が生きてきたテレビも「映像メディア」という点では共通しているものの、最近のテレビ業界では、「映像」をぞんざいに扱う人達が増えてしまったようで心を痛めることが多いのですが、フィルムの世界には、まだまだワンカット、ワンカットを大切にする精神が生きていると感じたからなのです。
そして今回、大きなことに気付かされました。
私が担当した「地球を救え!」部門は、当然「地球環境」を考える事がテーマなのですが、6作品のうち意外にも4作品が「アニメ」だったのです。
普通、「地球環境」がテーマなら、氷山が溶け出したり、アマゾンの森林伐採であったり、最貧国のゴミの山等々の「実際の映像」が次々出て来ると想像されるのですが、このテーマをアニメでどう表現するのか心配しつつ拝見したところ、いえいえどうして、なかなかの説得力に驚きました。
「実際の映像」には、作り物ではない「本物」の強みと迫力があるのは当然のことですが、「環境問題」の表現方法としては、前々から疑問を持っていたのです。
例えば、元アメリカ副大統領だったゴア氏が制作した環境問題を訴えるドキュメンタリー映画、「不都合な真実」は大きな反響を呼びましたが、2作目の「不都合な真実」はそれほどの反響がありませんでした。
それは何故なのか。内容は1作目に引けを取らない作品だったと思うのですが・・・・・
これは私の勝手な憶測・推測になってしまうかもしれませんが、おそらく観る側の「馴れ」「知ってる」「分かってる」といったマンネリ感がそうさせるのでしょう。氷山の溶け出す映像を見ても、森林破壊の映像を見ても、それほど驚かなくなってしまいました。
テレビでも時々「環境破壊」が取り上げられていますが、作品にどうインパクトをつけるか、製作者は相当苦労しているようです。
それがアニメの世界ではまだまだ多くの可能性を秘めているように思いました。
「環境問題」は全人類の究極的課題です。
「他人事」ではなく、全ての人が「自分事」と捉えなければならない問題です。
そのためには「啓蒙的」「教育的」に訴えねばなりません。
それが「実際の映像」だけでは限界があるのです。すぐにマンネリ化が起こってしまうのです。
そこをアニメは様々な手法で表現していました。
海の中の生き物たちが人間の捨てたゴミの中で、理由も分からず懸命に生きる姿をユーモラスに描いている作品がありましたが、ユーモラスであればあるほど、人間の愚かさが伝わってきましたし、別の作品では、美しい夜空に、無残に伐採された木々が浮かび上がってゆく描写に、痛めつけられた自然の叫び、そしてかけがえのない地球意識のようなものがひしひしと伝わってきました。
「環境問題」は今、中国から東南アジア、そしてインド、アフリカへ広がり続けている現状をメディアが伝え続けています。
地球規模で捉えるなら、一向に改善されているとは思えません。
そして「アメリカ・ファースト」は「パリ協定」を離脱。
更に「海洋プラスチック憲章」も見送り。それに日本も追随していることは残念でなりません。
しとしと雨のはずの梅雨に集中豪雨。その後の猛暑、いや狂暑の夏。
そして益々巨大化する台風・・・・・
それでも「自分事」には出来ない「環境問題」なのです。
テレビ屋 関口 宏