関口 宏
業界ではこの春、長年続いてきた何本かの長寿番組に幕が下ろされることになりました。その担当者達の想いは如何ばかりかと、同業テレビ屋として、他人事とは思えないものを感じています。
そもそも我々テレビ屋とは、就職、解雇、また就職、解雇の繰り返しが運命づけられている商売ではあるのですが、出来れば、今のこの仕事が長続きしてくれて、その間、安定した生活を保障されたいと望むのが人情でしょう。
ところが、問屋がそうは簡単に卸さない、非情な一面を持ち合わせた世界でもあって、次の就職口が見つからず、苦労するテレビ屋も多いのです。
一つの番組が終わってしまう・・・・・その大きな要因はやはり視聴率です。
(ときに、スポンサーや局の都合とか、まれに不祥事による場合もありますが・・・・)
そして編成局が中心になって、“打ち切り”が決定されるのですが、彼らにとっても喜ばしい筈もなく、想像するに、重苦しい空気の中、誰が現場への鈴付け役になるかで、ひとモメふたモメするに違いありません。
そして渋々引き受けざるを得なくなった鈴付け役が、申し訳なさを、これ以上表現できない雰囲気を持って、プロデューサーのもとに赴くことになるのですが、そこでもまた、ひとモメふたモメ、いや、それ以上、大モメにモメまくって、収集がつかなくなる事も多いのです。
一所懸命やっていればいるほど、それは断腸の想いに駆られるでしょうから致し方ないことなのですが、やがて局長やら重役やら、時には社長まで登場して事態の収集がはかられた後、プロデューサーは、これまた超沈痛な面持ちで、スタッフ、下請けプロダクション、そして出演者、その所属プロダクションに“打ち切り”を告げて廻ることになるのです。
もちろんこの作業の中でも、モメ事はつきもの。その度ごとに、胃に穴の開く想いにプロデューサーはなることでしょう。
だからと言って、「無かった事にしょう」というような展開には決してなりません。編成局の決定は大本営発表のようなもので、それだけ編成局は大きな権限を持たされているのです。
ですから是非とも編成局には、先の読める、懐の深い人物が集まって欲しいと思うとともに、プロデューサーは、芯の強さと、忍耐力が求められているように思います。
そして、当たる番組より“打ち切り”になる番組の方が圧倒的に多くなった昨今、こうした裏のドラマがあちこちで繰り広げられていて、テレビ屋の顔が曇りがちになっているのが気がかりです。
さて、冒頭でのべた長寿番組の幕の引き方はどうだったのか、詳しい事情はそれこそ「特定秘密」に属するようで、「情報開示」にはまだ暫くの時が必要なようです。
それにしましても、その番組に長年携わって来たスタッフ、出演者にとっては、そこが当たり前の生活の場になっていたわけで、20年、30年続いた番組なら人生の1/4, 1/3を、時には家族以上の濃密な関わり方の中で、喜怒哀楽取り混ぜて、大事な時を共有し合って来たのです。それが最終回をもってその生活の場を失うわけで、その日が近づくにつれ、その意味が徐々に明らかになって来るのでしょう。
しかし本当の実感は、実際に終わってみてからのこと。想像と現実には相当開きがあるようで、とりあえずその晩は「大打ち上げ」と称して朝まで飲み明かすのが業界流。ぐでんぐでんになって帰還して、昼過ぎ頃に目が覚めて、二日酔いの頭をなぐりつつ、「さて、仕事に行かなきゃ・・・・」と思ったとたん、「あっ!・・・・・行くとこ・・・・なくなっちゃったんだ・・・・」そんな感じでしょうか。
そして失ったものの大きさが、ジワリジワリと効いてくるのです。
「しばらく旅にでる!」なんて格好つけて早く忘れようとするテレビ屋もおりますが、大抵の場合、次なる仕事が見つかることで、少しずつ少しずつ、淋しさが薄らいでいくようです。
でもその番組に思い入れが強ければ強いほど、心のどこかに、その思い出がしっかりと根を降ろし、一生の金字塔にもなるのです。
ですから、そんな仲間達と「たまには一杯やろう」と、同窓会的な雰囲気を大切にしている番組もあります。
私も先日、ある同窓会に参加しました。
久しぶりに出会った仲間達の顔は、老け行く味とともに、やはりあの時代を彷彿とさせる、郷愁にも似た風情を感じさせてくれました。
やがて話は数々の失敗談におよび、爆笑につぐ爆笑の中、あっという間のお開きになりました。
そして帰途についた私に残されたもの、宴のあとの寂しさの中で感じた「楽しかった・・・・・・でも・・・・」。
この「でも」とは・・・・・贅沢な無いものねだり、とでも申しましょうか、もう帰らぬあの日を、まだ追い求めている自分でした。
テレビ屋 関口 宏