志村一隆
暑くなると思ったらずっと雨続きだった、この夏。メディア塾の「この時代の変わり目に」という動画をずっと見ていました。法政大学の田中先生、君和田塾長、関口さんが、若い人に伝えたいことを語っています。
第9回目で君和田さんは「時代はいつの時でも変わろうとしてる」と言っています。自分もそう思います。「東京一極集中」や「長時間労働」など、この独立メディア塾でも議論してきた話題。タマタマ夏休みに本棚から手にした「私の世直し論」という鈴木永二さん(元日経連会長・行革審会長)の書かれた本を読んでいたら、同じことが問題点として挙げられていました。いまから30年以上前、1991年にでた本です。日本人は30年以上も同じことを悩み続けているのかと、ちょっと可笑しくなりました。
では、なぜいま「時代の変わり目」なのでしょうか。第1回目の配信に「僕の感覚では大きく時代が変わっちゃいそうな気がしてます。(中略)いまの若い人は何を生きがいに生きてるのかなぁなんて感じるもんですから」という関口さんの言葉があります。
おそらく、関口さんのアンテナは、この「生きがい」に反応しているのでしょう。いや、決して「生きがいを持とう」といった自己啓発本のような話ではありません。あまりに便利になりすぎ、なんでも機械がやってくれる世界になったら「生きがい」のない社会になるのではないか。そんな危惧があるのでしょう。
というと、なんだまたシニア世代の若者論かと思われる方もいるかもしれません。なんでもネットで済ませて、人と触れ合おうとしない。ステレオタイプな若者像。そんなイメージは、2017年のいまだけでなく、1980年代にウォークマンが人気を博していた時代も言われていました。曰く、耳を塞いで社会と接点を持たない若者たち、のような。いまに至る引きこもる志向性の「変わり目」は、その頃にあるのかもしれません。
ネット時代の若者像として自分が思い出すのは、家入一真さんの著書「さよならインターネット」に描かれていた「一日中、ベッドの上で過ごす」若者。「パソコンににつながった装置の一つになりたい」彼。レイ・カーツワイル氏の「シンギュラリティ」が予想する肉体と機械が合体した人間を思い浮かべてしまいます。
それでも、彼にはネットに繋がりたい「欲望」、繋がって友人と話す「生きがい」は残っています。彼にとっては、ベッドで過ごすのが、いちばん「効率的」なんでしょう。
「効率的」といえば、人気芸人のブルゾンちえみさんのコントは「効率的な仕事ぶり、充実した私生活。どうも、キャリアウーマンです」という言葉で始まります。まさに、いま会社でネットで、色々なところで聴く言葉「効率性」。ブルゾンちえみさんのこの言葉を聞くたび、うまく時代を切り取ってるなぁと思います。
コントのキャリアウーマンは、オトコを求める生活をしているように描かれます。そこは、あのベッドの上で生活する若者より、旧世代にも理解できる人間像ですね。なにしろ、旅行や恋愛までVR=仮想空間で済ませてしまうなんて人が出てくる可能性もあるのです。1993年に公開された映画「デモリションマン」は、舞台設定が2032年ですが、主演のシルヴェスター・スタローンとサンドラ・ブロックが頭に機械をつけてSEXするシーンが出てきます。
考えてみれば、ウォークマンだろうが、スマホだろうが、音楽を聴きたいというニーズは一緒です。それに、ベッドの上にいようが、居酒屋にいようが、誰かと話したい欲望も一緒。道具が変わっただけで、その欲望は変わっていません。そういう意味では、社会が変わったとはいえないでしょう。ところが、機械とだけ話すようになったら?先ほどの若者の話し相手がネットにしかいないロボットだったら?
ロボットと話すことだけが「生きがい」になったら、これは話が違ってきます。ロボットは人間を好きになってくれるのか?そんな疑問も浮かんできます。嫌いかもしれませんが、表面上はうまくしてくれるかもしれません。ロボットを振り向かせる、そんな「生きがい」なんてのは成立しないかもしれません。立川談志師匠の本に「欲と好奇心が人間をダメにしている」という言葉がありました。「生きがい」は欲望や好奇心に根ざしていると思いますが、現代のテクノロジーはその「生きがい」を奪っていく。
そんな「生きがい」の変化。いまの感覚であれば、とても危険というか、どうなっちゃうんだろうと心配になります。8月の鼎談「この時代の変わり目に」は、そんなことを考えさせられたシリーズでした。こちらからご覧いただけます。/?tag=time-change