引き算

H.Sekiguchi

H.Sekiguchi

関口 宏

 

 「一年の計は元旦にあり」とは言え、子供の頃から、それは三日と保たないことを繰り返して来た私が、今年は徹底する覚悟で、『整理』に決めました。

 しかしこの原稿は12月に打ち込んでいますから、正確には「元旦の計」にはならないのですが、新しい一年は、とにかく身辺の『整理』に決めたのです。

 そのきっかけは年賀状でした。
毎年、不器用・稚拙・恥さらしを覚悟の上で、日頃、無沙汰がちのお詫びを、100枚ほどの賀状に託しているのですが、宛先を載せた住所録(もう40年ほど使い続けていて、今にもバラバラになりそうな代物なのですが、絶対捨てられない私だけの宝物になっています)に、横線が目立ち始めたことに、一抹の寂しさと、これまで以上の切実さを感じたことが原因でした。

 つまり、暮れに届く喪中ハガキ。
 「えっ・・・・・」と驚くことしばしばですが、私はこれを噛み締めた後、この住所録のその方の欄に、ゆっくり横線を引くのです。
 それは、その方と私だけの、最後の「別れの儀式」になっていて、しばらく瞑目して、故人の面影を忍んでいます。

 

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引き算

 

 その横線が‘2014年’は多かったこと、そして気がつけば、この住所録の1/3ほどに、すでに横線が入っている現実に、自分も、「横線、近しか・・・・・」と思ってしまったのでした。
 でもその自覚は遅すぎるのかもしれません。嫌でも今年は、6度目の年男になってしまうのですから。
 「そろそろ身辺整理の時期か」・・・・・それが始まりでした。

 それにしましても、70年以上、溜まりに溜まった身辺の無駄を、一口に『整理』すると言っても、気の遠くなるような作業になるだろうことは想像に難くなく、またも三日坊主にならぬよう頑張らねばと、肝に命じています。

 考えてみれば70年以上、私は「足し算」につぐ「足し算」を繰り返して来た人生でした。
 たまに捨てる物よりも、手に入れる物の数の方が、圧倒的多い生活を続けてきました。
 机の抽き出しの中ですら、100円ライター、ボールペン、サインペン、がザックザク。使いもしない文房具に、訳の分からぬ薬の類いまで紛れ込んでいて、これですら『整理』に戸惑うのに、百科事典・雑誌・小説等の書籍類、そして履きもしない靴、流行遅れの衣服、とくれば、もうそれだけで目眩いがしそうです。

 

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引き算

 

 仕事柄、仕方がなかったとはいえ、VTRにいたっては、恐らく1000本は優に越すものと思われます。そしてこれは、もう絶対に見直す事はないであろうし、再生の機器もどんどん少なくなっていて、一世を風靡したVTRも、ただのゴミと化しているのです。
 更に言えば、カセットテープ、レコード、レーザーディスクと来れば、もう目眩いどころか、卒倒しそうな勢いです。

 

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引き算

 

 現代文明は、日々、便利さを追求し、私達もそれを求め続けてきました。
もっと、もっと、もっと・・・・・。
 それは「足し算」に次ぐ「足し算」。さらに「足し算」「足し算」を積み重ねて来たのでしょう。
 でもその結果が・・・・・ゴミの山だとしたら・・・・・。

 暮れに逝かれた菅原文太さんも晩年には、「(便利さの追求も)・・・・もう、いいんじゃないか・・・・」と言われて、有機農業に邁進されていました。
 またこうした考えは、3・11大震災後、あちこちから聞かれるようになってきました。
 それは「足し算」ばかりの価値観にストップをかけ、「引き算」の大切さも問われ始めた現象といっても過言ではないでしょう。

 「物」ばかりではありません。
 私達は足りないと感じる知識や知恵も、外から外から仕入れて、中に溜め込んで来たように思われます。
 自分で考え、自分で決めなくてはならないことも、外に外に答えを求め、本屋に走り、ネットに頼る生活が当たり前になってきています。
 私達自信の中にも、ゴミ、無駄が、溜まりきっているのかもしれません。

 そうした「足し算」生活に、ふと足を止めて、「引き算」も考えてみる時代が来ているのでしょうか。
 もちろん、「足し算」がすべて悪いと言っている訳ではありません。
時には、「引き算」の価値観にも、想いを馳せる必要性が高まっているのかもしれないということなのです。

 さてそこで、毎回恒例、わが業界の話。
 それこそ残念ながら、「足し算」「足し算」になってしまっているように思われます。
 この現状は、編集機器の発達から、録画後の作業の中で、何とでもなるようになってしまった結果です。
 笑い声・驚きのリアクション・脅かしのノイズ等を付け足すなんて朝飯前、そこに字だらけのスーパーをかぶせたり、肝心の絵ですら、どうとでも修正出来てしまう時代なのです。

 だから、出来ることは何でもやっておかないと「結果が怖い」と思うディレクターは、必要のないと思われるテクニックまで駆使して、かえって見にくい、やかましい番組を作ってしまうことになっているようです。
 「足し算」「足し算」の結果が、今の地上波に現れているのです。

 そこで、若きディレクター諸君には、今こそ、「引き算」を考えて欲しいと思うのですが、今年導入予定の、地上波なみのBS視聴率調査の影響で、今のんびり見られるBS放送にも、「足し算」「足し算」の嵐が吹き荒れないことを祈るばかりです。

 そして暮れの選挙から生まれた新政治体制におかれましても、「足し算」ばかりでない、「引き算」的要素を取り入れた国作りを願うところです。

テレビ屋  関口 宏