関口 宏
この秋口、『SONY』の業績不振が大きなニュースとして伝えられました。一般的には、「ウォークマン」や「トリニトロン」で一世を風靡した、世界の『SONY』。
それはアイデアと精密さにおいて、日本の代名詞にもなりました。
30年ほど前の話、テレビの海外取材が盛んになり始めた頃、ニューヨークへ行っても、パリへ行っても、「ウォークマン」を耳にしているだけで、羨ましそうな顔をした人々が寄って来て、日本人としては、鼻高々な気持ちにもなりました。
時には、現金を差し出され、「売ってくれ」と迫られる場面もありました。
しかしテレビ屋としての『SONY』 は、なんといっても「β・ベーター」への信頼でした。プロの技術スタッフから、画質、音質共に群を抜いていると聞かされ、我が家は『SONY』 製品であふれかえりました。
実際、業務用機材は、「ベータカム」が業界の主流となり、それが更に進化して、テレビ映像の可能性を、飛躍的に広げた意味においても、『SONY』の功績は絶大でした。
そんなプロ達に、太鼓判を押してもらった『SONY』生活。
それがある日突然、その静寂を吹き飛ばすかのような嵐が襲って来たのです。]
「β・ベーター」対「VHS」戦争。
何時の間にか、じわじわと台頭してきた「VHS」。
当初、「SONYの真似だろう」くらいにしか思っていなかったのですが、気がつけば家庭用では、「VHS」が勢いを増しているとのこと。
詳しいメカニズムのことは、まるで疎い私ではありましたが、聞いてみれば、何か方式の違いだという程度しか理解できず、ただただ、成り行きを見守るしかありませんでした。
「β・ベーター」をすすめたスタッフに、「大丈夫か?」と聞いてみても、「大丈夫、大丈夫。負けるわけがありません」とのこと。
技術のプロが言うのだから間違いなかろう、と高を括っていたところが、とんでもハップン、歩いて10分。
業務用は別として、家庭用では、「β・ベーター」の敗北が、宣言されてしまったのです。
画質、音質では負けていなかったはずなのに、なぜこの結果なのか、納得がゆかぬものの、そこには世界規模の複雑怪奇な商戦が繰り広げられていたとか。
思えば『SONY』のつまずきは、この辺りから始まっていたのかもしれません。
しかし、こうした話は、大きなニュースにならずとも、様々な業界で、日常茶飯事のように起こっているのでしょう。
「資本主義」、「自由経済」の世界においては、食うか食われるか。
それで切磋琢磨して、全体として進化することが理想とされるのでしょうが、最近、ちょっと気がかりなことがあるのです。
それは、「似たり寄ったり文化」、もしくは、「個性埋没文化」とでも名付けたくなる現象です。
例えば、車のデザインにしても、一つ一つは良くできているのでしょうが、まとめて見ると、どこか、似たり寄ったり。一昔前なら、対向車線を近づいてくる車種が、「あ、○○だ」「あ、△△だ」と簡単に見分けがついたものですが、最近の車は、フォルムといい、ペンギンの目のようなライトと言い、同じに見えてしまうのは、私の目が衰えたからではないと思います。
車に限りません。一見ゴージャスに見える新しいビルの雰囲気から、ゴルフの道具に至るまで、似たり寄ったりがあちこちに見られる文化になりました。
競争が激しくなればなるほど、その傾向が強まるのでしょうか。
人の英知の行く先が、はからずも同じであったとするなら、それはそれで納得できるのですが、心配されるのは、「負けまい、負けまい」が昂じて、「パクリ」に走る文化でなければよいが、と思う点なのです。
その意味においては、スケールも価値観も桁違いに小さな我が業界が、恥ずかしながら「パクリ」の権化と化していて、チャンネルどこも、「同じような番組しかやっていない」と、お叱りを受けているのですが、それとて、「負けまい、負けまい」が、いつしか、「失敗が怖い」、「負けるよりも及第点を」に変質して、「パクリ」オンパレードになっているような気がします。
しかしそれでは、切磋琢磨は、「絵にかいた餅」になってしまうわけで、「進化」どころか、「衰退」になりかねないと危惧しています。
気がつけばVTRもDVDに変わり、使い道を失くした「β・ベーター」機材を前にして、『SONY』 の文字を見つめながら、一抹の無常感に浸る私がいます。
そういえば、実はラジオ屋にも、『SONY』 の大きな大きな恩恵があったことをお伝えしておかねばならないと思います。
通称「デンスケ」。取材用可搬型テープレコーダー。
これも世界に誇れる、名機中の名機であったことを、私は忘れません。
テレビ屋 関口 宏