石原慎太郎を支える「ポピュリズム」

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 すこし驚くと同時に「そうだろうな」と納得したものです。先日、東京都の百条委員会に出席した石原慎太郎氏をテレビで見て、「太陽の季節」を読み返したいという思いに駆られました。文庫本を買いに地元の本屋さんに行ったところ、石原氏の文庫本は「太陽の季節」だけでなく他の作品を含めて一冊も置いていなかったのです。

 

文学者ではなくなった石原氏

 

 私の書棚には二冊ありました。一冊は「狼生きろ豚は死ね」という28歳の時の最初の戯曲です。「殺人教室」「鴨」、三島由紀夫との対談なども収録されています。狼と豚の比較はいかにも石原氏です。二冊目は「価値紊乱者の光栄」で、昭和33年発行とあります。私が17歳のときです。「太陽の季節」だけ保存していなかったのは、なぜだろうと考えました。「若者の旗手」の小説は刺激的に違いないと思い、大学に入って読んだことを覚えています。刺激的ではありましたが、残念ながら期待は外れました。舞台になる葉山の別荘、ヨット、高級クラブ、父親の使う料亭などの舞台は、若者の生態を描いた小説とはとても思えなかったのです。若者と無縁の世界、むしろ大人のおカネの世界と思えたのです。

 芥川賞の選考委員の中で授賞に反対した佐藤春夫が次のように述べています。「作者の鋭敏げな時代感覚もジャーナリズムや興行師の感覚の域を出ず決して文学者のものではないと思った」。ジャーナリズムの部分はその片隅にいた人間としては納得しがたいものがありましたが、文学者ではない、という指摘は石原氏の本質を突いているように思えました。

 私は文学に通じているわけではありませんし、小説を評価する力もありませんが、文学者としての石原氏はその後、「太陽の季節」というつぼみを開花させることなく老いた、と思えてなりません。

 

政治家として二種類の「格好良さ」

 

 文学者でないとすると石原氏とは一体何者なのか、なぜ今日まで超有名人として活躍しているのか。この疑問を解くためには、政治家としての石原氏を考えるしかありません。かつては総理大臣の有力候補にも数えられました。自民党総裁選にも立候補しました。衆・参両院の議員も務め、大臣も経験しています。初めての参院選では300万票を超える空前の得票数を獲得しました。にもかかわらず、彼を総理大臣にしなかったことを残念だと思っている人は、今ほとんどいないと言っていいでしょう。

 石原氏には二種類の「格好良さ」が支えになってきたと考えられます。彼の格好良さは「ポピュリズム」につながる要素をたくさん持っています。

 ひとつは姿、形の格好良さです。もちろん弟の俳優石原裕次郎とのコンビもその一部です。選挙のたびに石原プロの俳優が応援に駆け付けました。石原氏自身も映画に俳優として出演したことがあります。それより遅れて俳優デヴューしようとしていた三島由紀夫氏と「モテルということ」というタイトルの対談(中央公論特別編集『三島由紀夫と戦後』)をしています。この軽い対談は軽いが故に、でしょうか、石原氏の本質が出ているように思えました。肉体的優越感を持った人間が劣等感を持った人間に教える構図です。そこで石原氏は俳優の先輩として、自意識過剰になってはいけない、照明を直接見てはいけない、といったお笑いのような俳優心得を説いています。とくに自意識の部分はだれに向かって言っているのかと思いました。

 さっそうと登場した石原兄弟。私は米国のケネディ大統領兄弟と比較したりしたものです。今にして、ケネディ兄弟と比較したこと自体を恥ずかしく思っています。

 二つ目は発言・行動の「格好良さ」です。若い芥川作家が政治の世界に転身したこと自体が期待とともに受け止められました。加えて彼は中国人・韓国人や女性への差別的発言、尖閣列島騒ぎ、新銀行東京の設立と破綻など数々の問題を起こし、話題を提供してきました。国会議員の時は、他に多くの議員、大臣がいたので相対的に言動は抑えられたかもしれませんが、都知事は、東京都民1300万人の、ただ一人のトップです。奇矯な発言、行動を抑えることができるのは、御本人しかいないはずです。しかし御本人は問題発言を問題発言とは考えていない節があります。人種差別的な発言を撤回などしていません。普通の人なら言わないことを「直言」したつもりなのでしょうか。「タブーを破った」つもりだったのでしょうか。

 本人も、またそれを聞く人も「本音を言って格好いい」と好意的に受け入れてきた、と思えてなりません。「言ってはいけないことを言う」と「言いにくいことを言う」両者の境界を、私たちは言う人の格好良さによって変えてきた、曖昧にしてきた、とも言えるでしょう。「ヘイトスピーチ」がいまだに行われていることを見ると、私たちは心の中に石原氏を肯定しようという「反知性」の欲望を抱えていると思わざるを得ません。石原氏が都知事選に勝利した1999年、あるいはもっと早く参院選で300万票を取ったときに、すでにポピュリズムが始まっていたと言えるでしょう。

 評論家の佐高信さんが「石原慎太郎への弔辞」という著書の中で次のように表現しています。「政界では作家の顔をし、文壇では政治家の顔をする」。

 その格好良さが今は見るも無残、という状況にあります。石原氏が「文芸春秋」4月号に「小池都知事への諌言」を書いています。冒頭「私は個人的な心情として、人生を通じて場合によっては命懸けで忌避してきたものがあります。それは屈辱への回避です」と書き、さらに小池知事からの非難に対して「この屈辱を晴らすためには一命を賭す覚悟もあります」。百条委員会は格好の場であったと思いますが、「一命を賭した」とはとても思えませんでした。

 ポピュリズムの流れは現在も続き、安倍首相に引き継がれています。安倍首相の支持率の高さは石原氏の支持率、得票数とダブって見えます。森友学園の問題が起き、首相夫人の立ち振る舞いが問題になっても支持率は落ちません。政治に求められる潔癖さ、石原流に言えば「一命を賭して」も守らなければいけない「一線」が、とっくの昔に消えてしまった、と思えるのです。