那覇国際通りと浮島通り – 沖縄国際映画祭にて

Kazu Shimura

Kazu Shimura

志村一隆

 先日沖縄のテレビ局や新聞社の方々と話す機会があった。テーマは「どうしたら沖縄発コンテンツをアジアに広めることができるか?」。基地の話だけでなく、沖縄の文化やコンテンツの話をするのもたまには面白い。

 議論の中で「市場が求めているコンテンツをこちらが作らなければならない」という発言が一番印象に残った。その方は、香港の映画祭に参加して、沖縄ぽいコンテンツをそのまま作っても、買い手が興味を示さない経験をして、市場ニーズの取り込みを痛感したそうだ。

 この「市場価値」を考えるという話。一聴して「尤もだ!」と思った。とかく地方発の話は、独りよがりな名物を推してばかりで、つまらないことが多いからである。しかし、よく考えてみると、文化や伝統はもともと消費者を意識して作り上げられたものではない。そんなコンテンツに市場価値=商売が入り込んでくると、ロクなことがない。売れようと人の真似をして、特色が無くなってしまう。image

 例えば、観光客(台湾・中国から?)でいっぱいの国際通りのお店はどこもシーサーの置物とTシャツ、それに似たようなアクセサリばかり売っている。レストランもほとんどステーキ屋さんばかりだ。商売に徹するとこうなってしまうんだろう。

 ところが、国際通りから1本入った浮島通りには面白いお店がたくさんあった。8年間一人でアフリカの生地でTシャツを作り続けてるお店(Masht Star)や、古い民家を改築した島野菜のカフェ(浮島ガーデン)、モジャモジャ頭のコーヒー店主がいる店などなど。こうしたお店には女性が一人でポツポツとやってきたりする。ほぼみんな片手にガイドブックを手にしてる。

image 浮島通りは国際通りより人通りは少ないかもしれないが、みんな目的を持ってお店にやってくる。市場価値を目指すには、まさにこの浮島通り的な感覚でいいのではないか。マーケティングはガイドブックや、それにインターネットに任せればいい。

「いい!」と思うのと「お金を払う」のにはとても深い谷がある。とある大学生が「ファンを作るのと、実際にライブに行ったり、コンテンツにお金を払ってくれる人を作るのでは情報発信のやり方が違ってくると思います」と言っていたが、まさにその通りである。浮島通りのお店群はまた行きたくなってしまう魅力があった。間口は狭いが奥が深いというか、店主が魅力的である。

 不特定多数のマッチングに市場は適している。しかし、お金は顔の見える範囲で払いたい。現代アートを扱っている北井画廊(自分の作品も扱ってくれている)は、海外で絵を売るときは、ただ椅子に座って脚を組んでいるだけだそうだ。絵を見にくるお客は自分の好みや欲しいものはわかっている。説明をしようとするとお客から怒られる。

 「消費者は求めるものがわかっていない」と言ったのはスティーブ・ジョブズだが、コンテンツ商売では「お客は全て分かっている」と考えた方がいいのではないか。そして、点在するお客をつなぐのにインターネットのチカラを借りればよい。image

 コンテンツはメディアを選ぶのか?メディアがコンテンツを選ぶのか?わからないが、今までメディアとコンテンツは密接すぎた。視聴率や視聴ビュー数はメディアの市場価値であるが、それはコンテンツの価値とは本来関係ない。10万人のいいね!と1人が1億円払ってくれるのではどちらがいいのか。インターネットが変えるべきは、このメディアとコンテンツの密接な関係であろう。4月号のNetflixポストでも触れたが、インターネットを情報の流通インフラと考えれば、コンテンツはメディアから自立できる。誰もが一票を持つ民主主義と一人が一億円払ってくれればビジネスになる資本主義のバランスは難しい。

(オマケ)

  1. 沖縄のタクシーのオジサンはかなりおしゃべりである。赤信号で停まるたびに三線を弾いてくれたり、マツダの株で1800万円儲けた話を延々されたりする。今年聞いた話を記録しとこう。
  2. 米国にいる親戚を頼って、西海岸でレストランを開業予定だったが、向こうに住んでいる時に強盗に入られた。その場で自分で射殺した。怖いので沖縄に帰ってきた。
  3. 沖縄にはレンタカーが50,000台。タクシーは500台。みんなレンタカーを使うのでタクシーは商売上がったり。

(参考)

  1. 「知りたい情報」と「届けたい情報」をつなぐもの:今月号で後藤暢子さんが福岡県糸島市の情報発信について書いている。
  2. 凋落:同じく今月号の関口宏さんの「コラム」は視聴率しか尺度のないテレビのジレンマを書いている。
  3. TBSが明快な反論:これも同じ今月号君和田正夫塾長は、言論の自由を巡る広告代理店とテレビ局、スポンサーの内幕をサラッと書いている。