空爆が行きつくところ

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 「ドローン」が話題になっています。小型の無人飛行機です。パリの上空を飛びまわったり、ホワイトハウスの庭に入りこんだり、ニュースとして報道されるようになりました。当ホームページでは昨年8月1日号の「オープントーク」で、志村一隆氏がドローン・ジャーナリズムのタイトルで、いち早く紹介していますのでご覧ください。「drone」は英語で蜂のことです。

 志村氏によると、フランスや米国の企業が個人向けに低価格のドローンを提供しており、米国の最新製品はカメラ付きで15万円だそうです。この蜂は取材、撮影、偵察・測量などにはもってこいのようで、人が入れない噴火中の火口を撮影した映像がすでに流れています。同時に戦争にも使われることを志村氏も指摘しています。先端技術はすぐ軍事に利用される運命にあります。

※志村氏撮影による「DJI Phantom2 at CES2014」より

 

「軍隊同士の戦いは時代遅れ」

 

 昔、戦場というのは軍隊同士、兵士同士が戦う場所、と考えられてきましたが、『戦略爆撃の思想 ゲルニカ―重慶―広島への軌跡』(前田哲男著=朝日新聞社)を読んだ時、目から鱗が落ちるような思いをしました。あらかじめお断りしますが、私は軍事専門家ではありません。空爆についても詳しい知識はありませんが、1988年に発行された前田氏の著作を読んでから、何冊かの本で空爆について教えられました。これらの本の紹介も兼ねながら空爆について考えてみたいと思います。

 前田氏は1921年にイタリアのジュリオ・ドゥーエ陸軍少将が著した『制空権』から次のような言葉を紹介しています。少し長いのですが引用させてもらいます。ドゥーエは飛行機の発達に伴って戦略的な空爆、つまり無差別爆撃を唱えた初期の理論家だそうです。
 「交戦員と非交戦員の概念は時代遅れである。今日戦争をするのは軍隊でなく、全国民である。そしてすべての民間人が交戦者であり、全員が戦争の危険にさらされている」
 「勝利を得るには国民の物心両面のよりどころを撃破し、…(略)社会組織の最終的な崩壊に至らしめなければならない。この種の戦争では民間人を決定的な打撃の対象とし、彼らは交戦国の中でそれにもっとも耐えられないから、決着を早くつけてやるのがせめてもの慈悲だ」

 また『空爆の歴史―終わらない大量虐殺』(荒井信一著=岩波新書)で、荒井氏は空爆思想の原型としてドゥーエ・テーゼの誕生を位置づけ、「ドゥーエは人口密集地の住民への攻撃手段として、高性能爆弾、焼夷弾、毒ガスの三つをあげている」と述べています。東京大空襲を思い出させます。

 

植民地への空爆から大国間の空爆へ

 

  一世紀近く前に、「すべての民間人を攻撃の対象にする」という無差別爆撃を明確に意識した人がいたことに驚かされます。まるで今日を予想していたかのようです。同時に、広島・長崎への原爆投下についての米国の説明を思い出させました。「戦争を早く終わらせ、犠牲者を増やさないため」という発想は、空爆の弁明として早くから用意されていたのです。

 荒井氏によると、空爆の歴史は古く、ライト兄弟が飛行機を発明して間もない1911年、イタリアがトルコ領リビアの植民地化を目指したときに始まります。飛行機から敵陣に手榴弾を投下したのが、最初の空爆だそうです。その後、フランス、スペインも北アフリカの植民地戦争に飛行機を動員し、「軍事テクノロジーの格差を前提にすれば、植民地での使用が最も有効とされ、空爆の軍事的価値が大きく評価された」のです。またモロッコに対しては毒ガスによる大規模な空爆が行われ、荒井氏は戦略爆撃の進化のラインを「モロッコ→エチオピア→常徳→重慶→広島」としています。常徳は中国湖南省の都市です。重慶は日中戦争、その後の第二次世界大戦で、「抗日」の拠点でした。「空爆の歴史」によると、日本軍は1938年から43年まで5年余にわたり、216回の爆撃をしました。

 

日本軍が確立した「戦略爆撃」

 

 第一次大戦、第二次大戦では、数多くの空爆が実行されました。そこでは植民地に対する空爆から大国同士の空爆に発展していました。ピカソの絵とともに私たちの記憶に刻まれてきたドイツ軍によるゲルニカ空爆(1937年)が有名ですが、多くの都市が空爆されました。ロンドン、ベルリン、ハンブルグ、ドレスデンと英独両国の相互空爆が行われました。そして重慶、東京、広島、長崎へと日本もその仲間入りをしました。前田氏は日本人が「忘却のかなたに閉じ込め」てきた重慶に注目して重慶空爆を詳述しています。

 「ゲルニカにおいてその恐るべき性格を明らかにした無差別・大量殺戮の新形式、すなわち航空機と火焔兵器の組み合わせによる空からの侵攻は、日本海軍航空隊による重慶への『戦略爆撃』をもって、組織的、反復的、持続的戦法として確立・定着するにいたる」

 と位置付けています。そしてこの空爆がのちに東京大空襲、広島・長崎への原爆投下につながっていく「軌跡」を追っています。『なぜ都市が空襲されたのか』(永沢道雄著=光人社)も重慶を戦略爆撃の先駆けと位置付けています。私たちは空襲と言うと、東京、長崎、広島を考えがちですが、他の大都市や地方都市も空襲にあっています。ですから日本は空爆の被害者ではありますが、同時に戦略空爆は日本軍が確立した戦法であることを、私は『戦略爆撃の思想』を読むまで知りませんでした。日本は空爆をした国として、またされた国として歴史に名を刻んでいるのです。

 

そして今…

 

 現在、大国間の空爆こそありませんが、イスラム国への空爆が行われています。再び「軍事テクノロジー」の格差が可能にした、植民地時代の発想と何も変わらない空爆です。近代兵器はピンポイントの攻撃が可能と言いますが、本当でしょうか。建物をピンポイントで狙うことはできるかもしれませんが、建物の中の人は区別できません。無差別の恐れが極めて高い、と考えざるを得ません。『反空爆の思想』(吉田敏浩著=NHKブックス)には空爆される側の現場の状況が描かれています。吉田氏は「空爆加害者と空爆被害者の間に横たわる圧倒的な距離・隔たり」として、イラク戦争を例に7点を挙げていますが、そのうち「空間的距離・隔たり」と「心理的距離・隔たり」の一部を引用させてもらいます。

 「空爆するアメリカ軍パイロットは空の上、空爆される人びとは空の下にあって、双方はお互いの顔も姿も見ることはない。パイロットには被害者の悲鳴も聞こえず、流血を目にすることもない。その間には数百~数千メートルの距離がある」(空間的距離)

 「空爆する者と空爆を命じる者は敵か味方かという『戦争の絶対二分の法則』のために一方的な考え方しかできず、敵側の人間を非人間的な存在としてしか見なさなくなる。(略)被害者の痛みや心の傷を加害者が理解することは極めて難しい。(略)しかも異民族や異教徒であるという条件が心の隔たりを大きくしている」(心理的距離)

 この距離感が爆弾を落とすパイロットたちだけでなく、戦場から遠く離れた一般市民をも、空爆される側についての関心を薄れさせているのでしょう。

 

いたるところが戦場に

 

 「テクノロジーの格差」はあっという間に縮小します。「ドローン」はインターネットで買うことができます。「ドローン」に爆弾や化学兵器を搭載することは、いずれ可能になるでしょう。その時、いたるところが空爆の対象地域になるのは明らかです。

 都市が狙われるのはパリの『シャルリ・エブド』襲撃事件やチェ二スの博物館襲撃事件を挙げるまでもなく、すでに戦闘は市民生活の中に入り込んでいます。「9・11」がその代表ですが、『シャルリ・エブド』事件はメディアが攻撃の対象になった事で注目を浴びました。しかし、言論の自由以前の問題として、一般市民が巻き込まれることはないだろう、という私たちの長い間の「思い込み」が、大都市の中で次々と、そして軽々と無視されていくことが衝撃でした。一般市民が犠牲になるという点で、空爆も同罪と言っていいでしょう。

 「植民地への空爆」→「大国間の空爆」→「途上国への空爆」(ベトナム戦争など)そして現在の「イスラム国への空爆」に繋がっていきます。この流れの先が「いたる所への空爆」にならない保証はありません。今、イスラム国への空爆に異を唱えることはイスラム国を利することだ、と批判されることは目に見えています。しかしながら、日本は長い間築いてきた非軍事による外交を小泉政権時代に転換しました。いま空爆する国の「後方」に私たちは身を置いているのです。いたる所への無差別殺人の空爆が行われるようになれば、いずれ自分に跳ね返ってくるでしょう。「ドローン」がその前兆です。

 『無人暗殺機ドローンの誕生』(リチャード・ヴィッテル著=文芸春秋刊)という本が出版されています。この本で言う「ドローン」は、私たちが映像で見る円盤型の無人ヘリより範囲が広く,すこし大型の無人飛行機(UAV=unmanned aerial vehicle)まで含んでいます。無人偵察機などが代表です。原題には「暗殺機」の言葉はありませんが、筆者は「著者注記」で「最近ドローンという語には『殺人ロボット航空兵器』というイメージが定着してきたと心配する人もいる」と書いています。

 空爆はどこまで「進化」してしまうのでしょうか。国際法がほとんど無力状態の現在、行きつくところまで行かないと止まらないのが、私たち人間なのでしょうか。