「自分の言葉で語り、自分の耳で聞け」

第三者委員会漬けの朝日新聞社への提言

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 自民党の若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」で、報道への圧力発言が相次ぎ、国会で取り上げられました。「マスコミを懲らしめるには広告収入が無くなることだ」「経団連に働きかけられないか」など、まるで民主主義とは程遠い、どこかの国の発言と錯覚します。作家の百田尚樹氏にいたっては懇話会で沖縄の二つの新聞は潰さなければいけないと話し、さらにツイッタ―では本当に潰れて欲しいと思っているのは、朝日、毎日、東京の3紙だ、とまで言っています。これを「冗談、軽口」というセンスも理解不能です。

 

多すぎる第三者委員会

 

 メディアをめぐる環境がどんどん悪化していくように感じています。リベラルという言葉自体が死語になりかかっているように思えます。その中で、慰安婦報道、吉田調書報道、池上彰氏のコラム問題で、朝日新聞社は「リベラルの一角を自ら崩してしまった」と、当塾(14年10月号)で書きました。朝日新聞社はそれ以降、いろいろな第三者委員会あるいは審議会を作ったり、あるいは社内の組織に社外の有識者を招いたりして失地回復に取り組んでいますが、今月は第三者委員会を中心に考えてみたいと思います。
 第三者委員会はメディアの場合に限らず、客観性・中立性を前面に出すことにより、結果的に世間の風あたりを和らげる役割を果たします。企業にとっては最後の防衛線と言ってもいいでしょうが、人選によって結論まで変わりかねないことや、企業の責任回避につながるのではないか、といった問題も指摘されています。

 今年5月、日本マスコミュニケーション学会と上智大学メディア・ジャーナリズム研究所の共催で、メディアの第三者委員会の在り方について議論しました。慰安婦報道の検証委員会が議論のきっかけになったようです。その時の発言を含めて、第三者委員会について考えたいと思います。朝日新聞の第三者委員会、審議会の類があまりに多いため、これほど多くの人の助けを借りているのか、ということが分かるように委員の名前を挙げました。

 

社長は定期的に記者会見を

 

 結論めいたことを書きますと、一連の報道問題の後にできた委員会の一つに「信頼回復と再生のための委員会」があり、今年1月に「行動計画」をまとめました。この「行動計画」に社長による記者会見を定期的に開くことを盛り込むべきだったと考えます。そうすることによって第三者委員会に責任を押し付けている、という批判や「他人任せ」の気分は大きく変わるはずです。「経営責任」の自覚も強くなるでしょう。その委員会の委員は、社内の委員に加えて外部から次の方々が入っています。
 江川紹子(ジャーナリスト)、国広正(弁護士)、志賀俊之(日産自動車副会長)、古市憲寿(社会学者)

 国広氏は朝日新聞社員との討論会で次のように発言しました。
 「自分で言うのも変だけど、委員会3つあってわかりにくいですよね」
 これに対して社員も「そうそう、3つあること自体おかしいと思うんです」と応じました。さらに社員が聞きます。「このような問題の時に普通の会社なら記者会見を開くとお考えですか」
 国広氏は「するでしょうね」

 ここで言う3つの委員会とは、「慰安婦報道検証の委員会」と、吉田調書の検証を委ねられた「報道と人権委員会(PRC)」です。
 慰安婦報道の委員は次の通りです。
 中込秀樹(弁護士・元名古屋高裁判事)、岡本行夫(外交評論家)、北岡信一(国際大学学長)、田原総一朗(ジャーナリスト)、波多野澄雄(筑波大名誉教授)、林香里(東京大学大学院教授)、保阪正康(ノンフィクション作家)
 PRCの委員は次の通りです。
 長谷部泰男(早稲田大教授)、宮川光治(弁護士・元最高裁判事)、今井義典(元NHK副会長)

 

「編集と経営の分離」は経営の責任放棄

 

 慰安婦報道を検証した第三者委員会は、報告の中で「言論機関における第三者委員会設置についての注意喚起」という項目を立てて次のように言います。
 「報道の自由は憲法21条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものであり…(略)…この点に鑑みれば特定の新聞社のあり方についてたとえさまざまな不祥事や事件があったからとはいえ、そのあり方や評価をメディアの外部に委ねることは必ずしも最良の措置とはいえない」(91ページ)

 あなた方は言論の自由を軽く見ているのではないか、大事だと思うなら、自分の力で対応しなさいよ、と言われてしまったのです。
ところが、この委員会報告の中の「経営と編集の分離の徹底について」(同)という項目では、第三者の意見を聴く必要が高い、として次のように言います。
 「今回経営と編集で意思決定の中心となった者はいずれも新聞記者出身であり、思考形式が共通であると共に、類似の思いこみにとらわれている。…(略)…介入の可否や介入の程度について意見を聴取するための常設の機関を設け、これを新聞記者出身以外の第三者によって構成することを検討すべきだろう」

 「第三者委員会は最良策とは言えない」と言いつつ、経営の中枢部分には必要だ、ということに大きな矛盾を感じないわけにいきません。そしてこの報告を受けて朝日新聞は、「編集権に関する審議会」を4月1日付で作りました。委員は次の三氏です。
 川端和治(弁護士・放送倫理番組向上機構=BPO=放送倫理検証委員会委員長)、宍戸常寿(東京大大学院教授)、湯浅誠(社会活動家)

 朝日新聞の説明はほほえましくなるくらい幼いものです。編集権は「本来取締役会にある」としますが、「編集権の独立を尊重して日々の編集権の行使は編集部門に委ね、原則介入しない」と言いきっています。しかし、日常の業務を現場に委ねることは、新聞社に限らず、すべての企業で行われている、当たり前のことです。そんなことに「原則介入しない」と言うのは、なにか勘違いがあるのだろうと思わざるを得ません。介入していたら、取締役は何人いても足りないでしょう。

 では「いざ」と言う時、実態として誰が編集権を持つのか、本来取締役会が持っている編集権を取り戻すことはあるのか、ということになります。緊急時に「審議会」を招集できるのでしょうか。どんな時に審議会を開くのでしょうか。

 「経営に重大な影響を及ぼす事態で記事内容に関与する必要があると判断した場合に審議会を招集。その助言を踏まえてあらためて取締役会で議論する」

 という説明です。

 

大事なことこそ取締役会が全責任を

 

 それでいいのでしょうか。大事な時にこそ社長、取締役が判断すべき時なのではないでしょうか。その判断には社長は全責任を負わなければなりません。取締役会の議論で「審議会の助言がこうだったから」と言うのでしょうか。取締役会は「新聞記者出身者」ばかりではありません。「介入」でも「関与」でもどちらでも、特殊なケースを想定した分離説に思えてなりません。新聞記者の要員計画、取材拠点の整備(最近は撤収)、編集予算どれ一つとっても編集内容に深く関わるものです。

 いずれにしても「編集と経営」は日本だけで議論されているテーマではありません。経営が編集をバックアップしたり、守ったりした例を参考に、別の機会に書きたいと思います。

 委員会の説明が長くなりましたが、最後は「パブリックエディター制度」です。「信頼回復と再生のための委員会」の「行動計画」に盛り込まれたものです。報道に社外の声を反映させる仕組みとの触れ込みです。メンバーは次の三氏に朝日新聞社員が一人加わります。
 河野通和(季刊誌「考える人」編集長=新潮社)、小島慶子(タレント、エッセイスト)、高島肇久(元NHKキャスター)

 社外から日々寄せられる声を総合的に集めてモニタリングしながら必要があれば、編集部門に見解を述べたり、説明や改善を求めたりする、という役割だそうです。

 随分大きな権限を持っているように読めます。しかしこうした仕事は「広報部」や日々の紙面をチェックする「記事審査室」の仕事ではなかったのでしょうか。昔からある「紙面審議会」の活用を考えてもいいでしょう。「紙面審議会」委員は次の方々です。
 奥正之(三井住友フィナンシャルグループ会長)、斎藤美奈子(文芸評論家)、湯浅誠(社会活動家)、中島岳志(北海道大大学院准教授)

 

社長は自ら外の意見に身をさらせ

 

 ずいぶん第三者委員会があるものだ、と思いませんか。外部の人の知恵に頼り切っている、と思われてもやむを得ません。しかし、一流の顔ぶれを集めたからと言って、当事者がしっかりしなければいい結果に繋がりません。そこで社長の記者会見です。

 会見は何かがあったから開くのではなく、日常的に開くのです。そこではメディアの現状をどうとらえているか、新聞経営の難しさをどう乗り切ろうとしているのか、などメディアに関わる広い分野について自分の言葉で話し、自分の耳で聞くことです。記者は日本新聞協会加盟社の記者に限る、というような制限は付けない、テレビ、ラジオ、雑誌など来たい記者に来てもらうのです。
 私は新聞からテレビに移って、勉強になったことの一つが記者会見でした。鋭い質問もあれば、意地悪な質問、悪意に満ちた質問、できたら答えたくない質問など様々な質問に晒されて、自分を、あるいは自社を少しは客観視できるようになりました。朝日新聞なら私が経験したよりも圧倒的に記事内容に直結した質問が出ると思います。もし早くから開いていたら、慰安婦報道などは「吉田証言」の信ぴょう性が問われ始めた早い時期に対応できたはずですし、せざるを得なかったでしょう。「吉田調書問題」も同じです。

 新聞社の社長は内に籠りすぎです。社長の耳には「いい話」しか入らない、という組織は衰退します。社長自ら外の意見に接する場を作る必要があるのです。