「働き蜂」は幸せか ― 働き方はドイツ人に学べ ―

佐久間昇二

S. Sakuma

佐久間 曻二

 最近、長時間労働が大きな話題になっている。「働き方改革実現会議」など政府も熱心に取り組んでいる。海外でも「Karoshi」は英語の辞書にも載っているというが、残業や長時間労働について考える時、私はいつもドイツ、ベルギー駐在時代のことを思い出す。

 私のドイツ人の友人がこんなことを言った。「日本人の90%は凄い働き蜂だ。異常だな。ドイツ人に働き蜂は10%もいるかどうか。彼らはより高い地位を得たくて、一時期がむしゃらに働くケースが多いと思う。だけど、一般のドイツ人はそうではないな」と。

 経済協力開発機構(OECD)が発表した実質労働時間の国別比較(2015年)を見ても、日本人は年間1,719時間働くのに対して一番少ないドイツは1,371時間だ。二番目に少ないのはオランダの1,419時間、三番目がノルウェーの1,424時間。ちなみに一番長いのはメキシコの2,246時間、ついでコスタリカ2,230時間、韓国2,113時間と続く。

 ドイツの労働時間は日本より350時間―20%も少ないのに、1人あたりのGDPを比べると、ドイツは1.26倍。時間あたりの労働生産性に至っては、ドイツは日本の何と1.56倍なのだ。

 日本とドイツでは、どうも社会の考え・仕事観・仕組みなど 根本的なところが違うような気がする。例を挙げてみよう。

 

極めて合理的な話

 

 私がベルギーにいた時、パナソニックとオランダ・フイリップスとの合弁工場が出来た。経営はフイリップスで、商品はパナソニックとフイリップスの2ブランドを扱う。

 そこで驚くことが起こった。「工場の生産計画は両社の年間仕入数量を年間稼働日で単純に割ったものにする」、その上、「工場は一切製品在庫を持たない」という。

 これがどういうことかと言えば、工場は忙しい時もヒマな時も決まった数の商品を作れば良いということだ。工場にとってこれほど都合の良い話はない。

 しかし、営業はたまったものではない。季節変動やら需要の変化などへの対応を一切かぶらなければならない。だから営業が危険負担できるように価格体系を考えると言う。

 考えてみると工場の方が働く人の数は圧倒的に多い。ドイツでは労働者が勤務時間内に仕事を終えるのは当たり前だ。従業員は時間内に仕事をきちんとこなし、かつ個人生活を大切に、かつ計画的に過ごすことができる。極めて合理的な話だ。労働組合が発達していることもあり、伝統的に労働者が保護されているのだという。

 

「余計な無駄をさせないでくれ」

 

 ドイツにいた時には、販売代理店の決算の報告が日本の要求より3週間遅かった。日本側から決算報告を早めるように説得せよとの指示を受けた。ところが、彼らは断固拒否した。彼らの理屈はこうだ。

 「吾々のやり方で経営上全く問題がない。日本の要求に合わせれば3週間単純に早めるだけで余分なコストがかかる。そのことのためにだけ人を増やしたり、残業をさせたり。我々にとってそれは全くナンセンスだ。余計な無駄をさせないでくれ」と。

 彼らの管理のやり方を聞けば彼らの経営は極めてシンプルに、かつきちんと一日一日実態をつかむ仕組みが出来ている。ここでも彼らの合理的な考え方がよくわかる。

 私のドイツ人の秘書は日本人と仕事をするのが嫌だと言った。理由はこうだ。私の会社は今のECの中の13か国に代理店を置いていた。4社はパナソニックの会社。9社が各国のオーナー会社。毎月各社の売り上げを確認させていた。各国のオーナー会社は期日通り報告をしてくるが、日本人の経営する会社は必ず遅れてくると言う。

 そこで秘書として期日に社長に報告するため余計な仕事をしなければならない。4社には、事前予告と事後督促が必ず起こる。その上集計そのものが遅れてしまう。結果、「私の責任が果たせない。日本人は約束を守らない。迷惑をかけても平気」と怒っていた。

 もしかしたら、4社にも仕事上の何らかの理由があったのかもしれない。しかし、ドイツ人にとっては、たとえ仕事上の理由であっても、自分の都合で相手に余分な仕事をさせるのは赦せないのだ。日本人同士なら「忙しいのはお互い様ですから」で済ませてしまうかもしれない。

 私が住んでいたドイツ・ハンブルグ市では 電気店は定時オープン、定時閉店で、もちろん日曜日は休み。確か昼休みもきちんととっていた、自営業者なのにサラリーマンと一緒の感覚だ。修理を頼んで2-3週間かかっても、それが当たり前。店のウィンドウが綺麗なのは土・日のウィンドウ・ショッピングの為だ。

 ドイツ人は労働時間をきっちり守る。夜遅くまで働き、客の要望に応えるため走りまわる日本の電気店とはえらい違いである。

 

長時間労働は無くならない

 

 私が住んでいたのはもう40年の前の話になる。当然ドイツでも表面上は大きな変化は起きていると思う。しかし宗教上の考え方などが変わらない限り その変化は限定的と思われるし、ドイツ人が変わったという話は全く聞こえてこない。もちろん「Karoshi」などは起こりようがない。

 今、ドイツの生産性と日本のそれを比較した時、ドイツの方が圧倒的に高いというのは、やはり日本人の仕事に無駄が多いのではないか。

 それは日本人の仕事の仕組み、仕方、その源となる考え方に問題がある。もっと言えば ドイツ人は会社の生活と個人の生活が両立できるように社会全体がそうなっている。

 それに対し、日本は個人の生活の犠牲の上に仕事が成り立っているのではないか。果たして働き蜂は幸せなのか――そこを根本的に考え、変えない限り、日本人の長時間労働は無くならない。