BSと里山

 皆様はどのようにして、テレビ番組を選んでいらっしゃいますか。

 新聞のラテ欄、テレビガイド、最近ではリモコンの番組表が便利になりました。

 しかし、ほとんどの場合、まずスイッチを入れて、リモコンのチャンネルを、どこか適当に押してみて、賑やかそうなものに一旦気をとられ、「つまらん!」と判断すると、今度は次から次へ親指が動き、2周3周して、やっとその時の雰囲気にあったチャンネルに落ち着くのではないでしょうか。

 そうした”流離い(さすらい)チャンネラー“を何とか取り込もうと、欲深いテレビ屋達は、けたたましい効果音やら、何となく嘘っぽい笑いや驚きの声、オーバーなリアクションを付け足すのに躍起になっているのです。

 でももう賢い皆様は、そんなものに騙されちゃいませんよね。とくに長いことテレビを見続けてきた年配の方々は、そんなテレビ屋達の魂胆なんぞ、すぐに見抜いてしまわれるものと思われます。

 それがこのところの、視聴者のテレビ離れ現象になっているのでしょうか。

「最近は、BSに行ってみる」

「最近は、BSに行ってみる」

 ある年配の方が仰っていました。「最近のテレビは、YA・YU・YOだな」と。

 つまりYAは「やかましい」、YUは「ゆとりがない」、YOは「幼児性が強い」。

 現役テレビ屋としては耳の痛い話ですが、逆らえない的を得たご指摘だと思います。

 ではそんな「YA・YU・YO」に出っ食わしたらどうなさるのか、と訊ねましたところ、「最近は、BSへ行ってみる」とのこと。

 そうなんです、このところBSが少し元気になって来たのです。

 地デジ化により薄型テレビが普及して、BSを見られるようになった視聴者が増え、それに伴い、まだまだ僅かではありますがスポンサーが乗り出して来たことも大きな原因でしょうが、私なんぞも、BSを見る機会が増えました。

 「テレビショッピング」の多さには辟易とすることもありますが、それはBSの大事な収入源として目をつぶり、コマメに流離って見ますと意外や、見っけ物にありつくことが増えています。

 あまり制作費がかけられない苦労が裏目ではなく、逆に好転して、少ない編集、少ないスーパー、あざとさのないシンプルな演出によって、のんびり、ゆったり、旅、歴史、芸術、時事物を堪能させてくれる番組に出会える時があるのです。

 それはまさに都市型文明の陰で、荒み行く田舎の中にも、いまだに昔ながらの伝統、基本的な智慧を、細々と、それでいて逞しく、迷うことなく受け継いでいる《美しき里山》に出会えた喜びに近いものがあるような気がするのです。

 しかし・・・・・しかし・・・・・

 今、その《美しき里山》に、忍び寄る不穏な空気を感じます。

 それは・・・・・

 間もなく、BS里山にも、地上波並みの視聴率調査が公表されるというのです。
これまでも、時々、参考程度の調査があるにはあったのですが、現場では、それほどのプレッシャーにはなっていませんでした。

 だからのびのび、ゆったり構えていられたのかもしれないのですが・・・・・・

 細かい調査が始まれば、各局の戦争が激化し、間違いなくBSも、「YA・YU・YO地上波」の轍を踏むことになるのでしょう、残念ながら・・・・・。

 でもこれ、何かに似ていませんか?

 そう、TPPです。

 世界のグローバル化のすべてが悪いとは申しませんが、国にも、人にも、地域にも、それなりの個性、特徴はあるもので、それを大切にせずに競争に巻き込まれ、「多様性」を失ってしまう事は人類にとって大きな損失につながりかねません。

 と、話がかなり大きくなってしまいましたが、つまり、BSはBSの個性、特徴を大切にして欲しいと願いつつ、グローバル化の「負」の側面を、テレビ業界も背負っている事を痛感している日々なのです。

テレビ屋  関口 宏