オッサンメディアはそろそろ終焉を迎える(かも)

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M.Tanuguchi

谷口真由美(全日本おばちゃん党代表代行/大阪国際大学准教授)

 2012年9月、ふとテレビをつけていたら、当時与党であった民主党の代表選と野党であった自民党の総裁選の様子が映し出されていた。あれ?この光景は一体…。テレビに映るダークスーツの議員の面々は「スズメ(茶)とカラス(黒)ハト(灰色)のオッサン」しかいない…。既に21世紀に入り、平成は24年を過ぎたはずのある日のどこにでもある日本の日常の光景を、改めてビジュアルで確認させられたというだけのことなのであるが、その日常の光景に私自身があまりにも慣らされていたことに驚き、慄き、怒りがふつふつと沸いてきたのである。日本という社会は「オッサンの オッサンによる オッサンのための社会」なのではないだろうか?と。大学で国際人権法や日本国憲法の教鞭をとり、「男女平等」が法的には保障されているということを学生さんに伝えてきたが、日常の光景は婦人参政権運動の頃から何も変わっていないのではないだろうか?と。

 その怒りを、SNSの一つであるFacebook(FB)にそのまま自分の言葉で書き込んだ。

 「オッサンばかりの政治劇場見てたら、吐き気をもよおしそうです。ええとか悪いとかは置いておくとして、じじむさいわっ。雑な分類やけど、人類の半分は女性。おっさんと兄ちゃんばかりでまわしてる政治は、既得権の争いにしかみえん。既得権をぶっつぶすとかいうなら、せめて少なくとも議員の候補者の半分は女性にしてみろっちゅーねん。できへんでしょーが。」

 そのボヤキに多くの友人が熱く応えてくれた。「その通り!」、「どこの業界も一緒」、「女性の社会進出ってどこの話?」、「常識ある「おばちゃん」がいないのが問題」など。すごい盛り上がりをみせたので、このパワーを放置しておくのは勿体ないなという気分になり、またそのままの勢いでこのように書き込んだ。

 「オッサン政治劇場に嫌気がさしたという、FBの書き込みに沢山の共感を頂いたので、『全日本おばちゃん党』(英語名称:All Japan Obachan Party(AJOP))でも立ち上げようかと(笑) 絶賛会員募集中です。既に関西支部と関東支部はございます(爆)」

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全日本おばちゃん党始動式

 FB上にシャレと勢いでできた「全日本おばちゃん党」というおばちゃんのグループは、友達が友達を誘い「結党」2日目にして仲間は500人を超え、2014年2月末現在、約3,500人になっている。入党資格は「おばちゃん」のみ(性自認が「おばちゃん」も可)、おっちゃんは「サポーターズ」という立場で応援してもらうことにしており、心あるおっちゃんによって、そのようなページもFBに立ち上げてくださっている。「おっちゃんサポーターズ」を自認してくださっているなかには、湯浅誠さん、想田和弘さん、宇野重規さん、石丸次郎さんなどの有名人もいらっしゃるが、普通のおっちゃんも応援してくださっている。

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全日本おばちゃん党のみなさん

 全日本おばちゃん党の目的はたった二つ。一つはオッサン社会に愛とシャレでツッコミを入れること、もう一つはオッサン社会を作り出したのはおばちゃんにも責任があるので、賢いおばちゃんになれるようにおばちゃん全体の底上げをすること、である。例えば、大阪維新の会が出した「維新八策」の生活感のなさにあきれ、おばちゃん党の対案として「はっさく」を発表した。果物のハッサクのイラストをあしらい、第一条の「うちの子もよその子も戦争には出さん!」から始まり、八つの理念を掲げた。「税金はあるとこから取ってや。けど、ちゃんと使うならケチらへんわ」「地震や津波で大変な人には、生活建て直すために予算使ってな。ほかのことに使ったら許さへんで!」(文末参照)。

 さて、ここまで「オッサン」や「おばちゃん」や「おっちゃん」がでてきているが、「オバハン」というおばちゃん党としての定義もある。「オッサン」は独善的で強権的、自分が社会を回していると考え、上から目線で社会のことを教えてあげようという態度である存在。「おばちゃん」は、お節介で他者のことを放っておけず、愛と情に溢れており、良い意味でのKY(空気を読まず)で世間にズケズケものをいっていく存在。「おっちゃん」はたとえばわからないことは尋ねるという協調的な姿勢を持っており、おばちゃんと手を携えていける存在。「オバハン」はおばちゃんの皮をかぶったオッサンである。

 そもそも、いまの日本社会では「おばちゃん」が蔑称になっていること自体がおかしいのではないだろうか?なぜ「おばちゃん」は差別的な呼ばれ方になったのだろうか?そのおおもとの一つは、オッサン目線で「若いおねえちゃん」を愛でるロリコン文化としか思えない。私の友人で、かつて「私のことはおばちゃんと呼ばずにマダムと呼んで」といった女性がいた。はて?フランス語の授業で「マダム」を翻訳しろといわれたら、「おばちゃん(さん)」以外になんと訳すのか?舶来の言葉を使ったところで、同じ意味ではないのか?と思ったのであるが、少し違った点があった。「マドモアゼル」はお嬢ちゃんという意味であるが、フランスのマドモアゼルたちはマダムと早く呼ばれたいのである。いつまでもお嬢ちゃん扱いされている、というのは半人前の女としか見られていないからである。だから「マダム」と言われたいということを深読みすると、そこまでの意味があるのかもしれないが、それならばやはり舶来後の「マダム」なんぞ使わずに、「おばちゃん」を積極的に捉えなおせば良いではないか。「私はおばちゃん」ということが、ある種の女性解放にもなるのだということを最近実感している。

 最初のボヤキに書いたが、「雑な分類やけど、人類の半分は女性」だ、ということについて2点言及したい。

 まず1点目は、非常に雑であることは次に述べるので、「人類の半分は女性だ」ということについて。人口的には、男性と女性は間違いなく性別というと二大マジョリティ(多数者)である。オッサン社会とは、マジョリティである女性すらマイノリティ(少数者)に押しこめている社会である。マジョリティすらまともに登場もできないオッサン型閉鎖社会が、「成熟した社会」だの、「多様性がある社会」だの、「多文化共生」だのいっても、そんなもの何の説得力もない。

 世界のどこにいってもそうであるが、その国がどのような多様性を認めているのかは、メディアにおける女性の描かれ方をみれば如実にわかる。例えば日本。女性がメインキャスターになっているニュース番組はほとんどなく、「アシスタント」という扱い。ドラマでは相変わらず、「女だてらに頑張っている」か「支える女」。バラエティーでは、若いおっぱいの大きなおねえちゃんが好んで登用される。女は「若いおねえちゃん」以外は需要がないのではないか?と思うのがオッサンメディア業界である。「若いおねえちゃん」になりたくて、外見だけ若く見せることに固執する「美魔女」。おばちゃんとして出て許されるのは、「イロモノ」か「お母さん」か「消費者(生活者)目線」。これらの扱われ方は、日本のオッサンのロリコン文化とマザコン文化を体現したものといえる。それを毎日見ている視聴者の視点も、固定化され、再生産されていくのは当然である。その意味で、オッサンメディアの罪は大きい。オッサンの言うことに、異論をはさまない未熟な若いおねえちゃんが登用され、異論をはさむ成熟した女性を認められないのである。そうなると、女性たちは自己防衛のために、「アホなオンナ」を演じ続ける。もしくは、男性のいうことに異論をはさまない「賢いオンナ」を演じ続けるのである。

 この構造を反対にする、という発想はできるだろうか?ニュースのメインキャスターはほとんど女性で男性は「アシスタント」、バラエティーでは熟女とイケメンの若い男性の独壇場、男性はイケメンでないと生きていけない業界なので「美魔男」をめざし、熟年の男性が出られるのは「イロモノ」か「お父さん」か「会社人目線」。書いている私も気持ち悪いが、読者の皆さんもこの様子はさすがに気持ち悪くないだろうか?それが女性なら「当たり前」になっている社会の構造、それこそが一番「変」なのである。

 2点目の「雑」な話であるが、それは性別のことである。社会には、「男」とか「女」とかいう記号にあてはめられない/あてはめられたくない人たちがいる。「性的マイノリティ」といわれる人たちだ。LGBTという表現も使う。L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダー。ソチオリンピック開催国のロシアは2013年6月、18歳未満の青少年に同性愛をPRすることを禁ずる同性愛宣伝禁止法を成立させた。罰金は4000~100万ルーブル(1万2千~300万円)といわれていた。世界各国から非難の声明が出され、EU諸国やアメリカの首脳はこの法に反対してソチオリンピックの開会式に出席しなかった。開会式でのドイツチームのユニフォームは、LGBTをあらわすレインボーカラーが全身で表現されており、ドイツチームとしてロシアに抗議したことが世界では話題になったが、日本ではほとんど話題にならなかった。2014年2月7日の大手検索サイトGoogleのトップページは、レインボーカラーになっており、そこにはこんなメッセージが書かれてあった。

 「スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。」 ~オリンピック憲章より」

 オリンピックのメダルの数よりも、報じなければならないことはあるのではないか?そして、いつまでもLGBTの人たちをイロモノ扱いするメディアの在り方そのものが、オッサン的なのである。

 いろんな場面で、オッサン社会にひずみがでてきている。ひずみを放っておいては、そのうち崩壊する。まず打てる手は、いろんな人が活躍できる社会=多様性のある社会である。おばちゃんすら活躍できない社会は崩壊するであろうし、おばちゃんすらうまく使えないオッサンメディアもまた、そろそろ終焉を迎えることとならないよう、おばちゃんの積極的な登用からはじめていただきたいところである。

「全日本おばちゃん党 はっさく」

前文

おばちゃんは、政治のことを自分たちのこととしてとらえ、日本の未来を真剣に考えています。
おばちゃんは、自分だけが幸せ、自分だけが安全、自分だけがよい生活は、いやです。
おばちゃんは、全世界の幸せな未来を考えています。ゆくゆくは全世界おばちゃん党を目指します!

その1:うちの子もよその子も戦争には出さん!
その2:税金はあるところから取ってや。けど、ちゃんと使うなら、ケチらへんわ。
その3:地震や津波で大変な人には、生活立て直すために予算使ってな。ほかのことに使ったら許さへんで!
その4:将来にわたって始末できない核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びさせたくないからや。
その5:子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや。
その6:働くもんを大切にしいや!働きたい人にはあんじょうしてやって。
その7:力の弱いもん、声が小さいもんが大切にされる社会がええねん。
その8:だからおばちゃんの目を政治に生かしてや!

おばちゃんの政治参加が世界を救う!