湖畔で100年、信濃木崎夏期大学

S.Ichimaru

S.Ichimaru

一丸節夫

 

 北アルプスの麓、松本から北へたどって大町を過ぎると、南北に走る東西の山陵が急にせばまり、その谷あいの地に、この地方の豪族仁科氏にちなんで名付けられた仁科三湖が連珠状につながります。そしてその三湖の一つ、木崎湖畔の丘の上に〔写真A〕、わが国初めての夏期大学が大正六 (1917) 年に開設されました。
 以来99年、この《信濃木崎夏期大学》は一度も休講することなく、四季の山々の表情が湖面に映える湖畔にしつらえられた《信濃公堂》で、毎年8月上旬、自然科学・社会科学・人文科学をわたる幅広い講義が行われてきました。そして今年の8月1日には白寿の記念日を迎えました。

 

「通俗」に格別の意味

 

 信濃木崎夏期大学の事業母体は、大学と同じく1917年に設立された《信濃通俗大学会》で、評議員には (元祖) 通俗大学会総裁の後藤新平、同会会長の新渡戸稲造、さらに柳田國男が名を列ねました。その名称中の「通俗」に格別の意味がこもります。
 信濃通俗大学会の設立に先立つこと十年、後藤は「学俗の調和」と題する一文を公にし、平素よりの自説を展開しました。すなわち、現今の学者たちに、果して「学俗の一致調和を図り、一般日本国民の向上発展を計らんとする熱誠ありや、……」と問いかけ、専門の学術用語や一般人には難解すぎる漢語を衒(てら)ったり、余りに高踏的な言辞を弄したりの現況を嘆き、「かくの如くんば、通俗何かあらん。……」と喝破したのです。ここに「通俗」の意味は、文字の通り「俗に通ずる」、すなわち「一般社会にも十分通用し、浸透し得る」学問を奨揚しているのです。
 さて次に、台湾総督府時代 (1901年) 以来、後藤といわば盟友の仲ともなった新渡戸稲造も、第一高等学校長、東京帝国大学教授の時代を通じて、雑誌や新聞で「学俗接近の急務」を熱心に説いたのです。「車曵(ひ)く人、柴刈る野の人」にも通じるような学問の必要性を訴え、何よりも個々人における主体的・自発的動機を重んじ、最終的には「個人の人格を高尚たらしめる修養」を教育最高の目的としました。この面でも、新渡戸と後藤の学問観・教育観は軌を一にしていると云えます。

 

誰にもわかりやすいこと

 

 けれども、木崎の夏期大学における「通俗」に格別の「俗」という要素を付与した人物が、かの〔民俗学〕の生みの親、柳田國男でした。そもそも「俗」とは、本来は人間における「ならい」ないし「ならわし」であり、在来の風習・慣行・仕来りを意味しています。つまり、「俗」とは、人間のごく日常的で平凡な生の営みの集積・集約だと、彼は言うのです。

信濃通俗大学風景

 「通俗」の意を辞書に探ると、「世俗的であること」のほかに「だれにもわかりやすいこと」とあります。つまり、この後者こそが、木崎の夏期大学の本分なのです。
 木崎夏期大学の象徴である信濃公堂〔写真B〕は、大学の創立と同じく、大正六年の建築です。同年8月1日の開講の直前まで、周辺の交通・公共施設をふくめ、秀吉の一夜城を思わせる突貫工事で建設されたそうです。あえてこの山間僻地に建てられた講堂に「信濃公堂」と名を冠した度量の広さに、明治的な発想と明治人の気概を見る思いです。

 

藩校か僧堂の雰囲気

 

 公堂は広く開放的でゆったりとしています。畳数、百八十。周囲を障子で張りめぐらし、どこからでも出入りでき、明けっぴろげた中に、統一された様式美があって妙に落ち着くのです。〔写真C〕
 さらに付言しますと、信濃公堂は、藩校か、僧堂のもつ雰囲気を伝えています。二人用の細長い裁縫机を前にして坐り、振鈴が堂内に鳴り響くと、受講生達は、おのずから背筋をのばして講師を待ちます。案内されて入堂する講師も緊張の面持ちです。しんと静まる時、樹下石上 — ふと、出家の境涯を思ったりもします。
 なるほど、今どきそんな風にして講義が始まり、湖を渡る風を身に覚え、降り注ぐ蝉しぐれの中で一日を送るのは、尋常一様なことではありません。公堂正面の花瓶に生けられた草花は、すべて大学の丘にあるものを手折ってきたものとか、野の花と、障子明かりと、振鈴と、それらは、木崎夏期大学が自然と共にある生活の中から期せずして生まれでたことを感じさせます。
 わたしはこの夏期大学で、第96回には講座【宇宙圏から生物圏へ 〜エネルギーの科学でめぐる〜】、第97回に【科学三題:ブラックホール・太陽・核融合】、第98回に【環境三題:大気と海・生命・原子力発電】を、それぞれ担当しました。97回の講義風景が〔写真D〕です。

D 講義風景 2013年8月6日

D 講義風景 2013年8月6日

 

 

第99回は「立憲主義」の講義も

 

 本年第99回の夏期大学は、8月1日に開講しました。ちょうど、この原稿が独立メディア塾に掲載された日です。9日まで9日間の開催ですが、4日の講義、長谷部恭男早大教授の「立憲主義の歴史」は、現今の政局を顧みるとき、とくに時宜を得たもののようです。
来年は100回記念になります。