福井県池田町の杉本博文町長に初めてインタビューしたのは2015年でした。「地方消滅」が叫ばれ、合併の波が襲いかかる中で、「消滅してたまるか!」と叫び声を挙げた町長です。私には怒りの声とも悲しみの声とも聞こえました。それを機会に過疎の町を定点観測しようと決め、翌2016年には池田町を尋ねました。そして今年7月、再び池田町へ。町はどう変わったのでしょうか。町長にインタビューしました。(インタビューは7月4日に行いました)
8年ぶりの選挙、新人3人が当選
——この春の統一地方選(4月21日)で、池田町では8年ぶりに選挙が行われました。つまり無投票ではなかった、議員の定数を上回る候補者がいた、ということです。しかも3人の新人が当選しました。立候補者がいない、定数が埋まらない、というのは地方議会の共通の悩みですが、その中で選挙が行われた、ということは画期的な出来事だったと思います。何か手を打たれたのですか。
杉本 手を打つなんていうことは何もしていませんよ。前回の選挙は無投票だったから、8年ぶりの選挙ということになりますかね。定員を12人から10人、10人から8人と減らしてきたのですが、今回は11人が立候補して、新人3人が当選されました。
——しかも新人がトップ当選とか。
杉本 32歳の若者がトップでした。新人がトップというのは、選挙ではよくあることです。
——しかし、議員の報酬を引き上げました。これは議員のなり手を探す手段として有効だったのではないでしょうか。今年2月に朝日新聞社が全国1778の地方議会にアンケートした結果、この4年間に22%に当たる400議会で一般議員の報酬を増やしたそうです。報酬を増やした議会のうち、54議会が「成り手を増やすため」でした。この池田町もそのうちの一つで、5万円増の25万5千円に増やしました。そうしたことが功を奏して立候補者増につながったのではありませんか。
杉本 そんな単純な話ではないと思います。成り手を増やすにはどうしたらいいか、関心を高めるにはどうしたらいいか、定数をどうするか、といったことを議会でいろいろ議論されたなかで、議員といえども職業観を持たなければいけない、では報酬をどうするかという議論が行われたと聞いております。町の中には、当然疑問視する意見もありましたが、時代認識の変化、ということではないでしょうか。
女性議員が生まれれば完璧
——新人3人、そのうち2人が若手、ということになると、議会も当然変わってくると思いますが。
杉本 まだ議会は一回しか開かれていませんから、変わり方は分かりません。議会は協議、審議、合議する場なので、徐々に色が出てくればいいと思っています。
今、議会は上は70歳代から、下からは30歳代、40,50,60歳と全世代型になっている。これに女性が入れば完璧ですね。
——女性はもともと立候補がゼロだったということですね。
杉本 立候補者はいませんでしたが、もともと女性の力は絶大ですからね。いろいろな場面で支えになっています。政治の場に出てこないからと言って、意見が反映されないということではないと思います。70代、80代の高齢者は技術を持っていますね。伝統料理、野菜づくり、耕作…。みんなすごい技術ですよ。若い女性は技術力がないか、というと、そんなことはなくて「一品料理」のデザイン力のように、新しいものを生み出す力がある。高齢者の技術が若い人に伝えられて、新しい産品が作られる、そんな流れができるといい、と思っています。
——若い女性の話になりましたが、人口の減少は依然として止まらない。教育、医療施設、就職などを考えると、町に留まってくれ、というのは相当難しいのではありませんか。本来は国全体で取り組まなければいけない課題なのに、長い間、放置されてきました。1自治体での対応には限界があると思います。
「2060年に人口2000人」
杉本 今年の統一地方選で、福井県の17市町村の中で有権者数が増えたのは、3市町だけでした。鯖江市(37人)、高浜町(1人)、そして池田町(1人)です。一人でも有権者が増えるということは18歳以上の人口が増えた、ということです。嬉しいことです。一過性のことだとは思いますが。
今の人口は2600人ですが、人口問題研究所による将来の人口予測では、2015年の2852人が2040年に1298人。2060年には581人、そのときの子どもの数は15歳未満が24人、小学生が10人、中学生が6人でした。元総務大臣の増田寛也氏が言う「地方消滅」になるわけです。
そこで私たちは2040年に2200人、2060年に2000人を目標とする「人口ビジョン」を作りました。人口の「損益分岐点」を2000人に置いたのです。子供たちの教育環境、生活環境といった社会インフラの維持、財政赤字に落ち込まない予算編成などを検討した結果、2200人、2000人という目標が生まれました。
そのためには、子どもの生まれる人数は年間20人として、1学年20人をキープしたい。その支援として最初の赤ん坊が生まれる家族には準備費用として20万円を支給します。初産は大変なんですね。肌着だ、おむつだ、と。また子どもの成長も早いからいろいろなものが必要になりますね。「ようこそ赤ちゃん事業」というネーミングで、今年度の予算100万円です。こうしたことで、現在の出生率1.13を段階的に1.61くらいにまで引き上げたい。
路線バスが廃止、そこで町営バス
——福井市から池田町まで、町が運営しているバスで来ました。女子高生が乗って来て「こんにちは」と挨拶されましたが、今時、赤の他人に挨拶してくれる高校生など都会では見られないでしょう。あの高校生は通学にバスを使っているのですよね。定期代は町が見ているのですか。
杉本 はい、9割補助です。職員が頑張ってくれて旅客運送法をクリアし、4月からバスを走らせることになったのです。今年3月で福井市とつないでいた京福バスの池田線が廃止になってしまいました。そこで「町民協働バス」を走らせることにしたのです。バスは町のもの、運転手も町民ということで「マイバス」と名付けました。運賃は1000円、町民には500円の割引券を用意しています。平日は福井行きが4便、帰りは3便です。通勤、通学、通院などに時間を合わせています。
——出生率の上昇と並ぶ、転出、転入にはどのような対応をされているのですか。
杉本 転出者は2010年から2014年までの5年間平均で、年平均98人でした。これを段階的に15人減らし、年83人に抑えたい。転入者は年平均48人から78人に増やしたい、というのが目標です。この町は昔からの大きな住宅が多く、三世帯住宅が普通です。ですから故郷に帰ってきた若い人や転入してきた人には使いづらい。そこで、住宅建設には最高で5百万円補助するといった制度も作っています。こうしたことを行って社会減を減らしたい。池田町は92%が森林です。大自然という地域の資産を生かして、地域の事業を興していく。それでダメならダメなんですね。企業版の「ふるさと納税」があるので、それを使って企業と組んだ事業を考えられないか、検討しているところです。
企業版「ふるさと納税」、高校、大学と提携…
——企業版の「ふるさと納税」ですか。知りませんでした。外部の力を上手く生かせたらいいですね。
16年からは東京都立の芝商業高校と「芝商“いけだキャンパス”」の提携、交流を進めています。来町した芝高生は池田町の素材を生かした商品開発やイベント支援を行う。また池田町の中学生も修学旅行の機会を活用して東京で池田町をアピールしてくれています。新たに今年は早稲田大学の学生と池田町の中学生が、消えていく「村のあそび」のレッドデータベースを作ることになりました。
——外部への発信にも力を入れていらっしゃる。にもかかわらず、人口2000人という“防衛ライン“を引かざるを得ない。この町の進む方向についてどう考えていますか。
杉本 浪曲浪花節になってしまうかもしれないが、金や政策で人口減を止められるか、ということになると全国規模では可能かもしれないけれど、過疎地では、それは容易ではない。やはり原点は町民自身が「まちの誇り」を取り戻せるか、「自助、共助、公助」の町を育てることができるか、さらには住民自治の活動が根を張り盛んになるかが試金石になるかもしれません。
23年に、冠山トンネルが開通して中京圏と繋がった時に、年間43万の車両が通ると予測されている。そのときに池田町は単なる通過地点になるのか、「池田に行こう」と言われるようになるのか。特定少数の人たちが頻繁に来てくれる町を目指したい。
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池田町に2泊し、町の中を見せてもらいました。町が力を入れている森の上を滑空する「ジップライン」には、私と同年齢と思われる高齢者が挑戦しておりました。ツリーハウスのように木の上に作られたキャンプ場などが用意されていました。平成11年に作られた池田町の産品を扱うマーケット「こっぽい屋」には地元でとれた野菜などが並べられ、平成29年度の売り上げは1億2200万円になったそうです。「こっぽい」は「ありがたい」「貴重な」という意味です。
町が関連している宿泊施設が2か所あり、どちらも朝食は「おひつ」入りの白米。ここのコメは「うららまい」というブランドで売られています。我が家も何年か前からうらら米を定期購入しています。そして驚かされるのは、お米で食事が終わらないこと。池田町の名物は、もう一つ、ソバがあります。お米に続いてソバが出て来て、もう腹いっぱいです。
残念ながらコンビニなどはありませんが、ゆったりした時間が流れています。人口2600人の池田町の2019年度の当初予算は一般会計29億3060万円、特別会計13億2910万円、計43億2910万円です。
池田町がどう変わっていくのか、これからも見続けたいと思いますが、2060年、私が生きていることはないでしょう。