関口 宏
〈6〉〈9〉〈15〉・・・・・日本人のこの記憶はいつまで保たれるのか、ちょっと気がかりな8月が今年も巡ってきました。
とくに今年は終戦70年。各地で様々な企画が用意されたようですが、なんといっても戦争、被爆の体験者が次々亡くなられ、語り継ぐことさえ困難な時代になりました。
幸い私は仕事がら、ひめゆり学徒隊の関係者や、特攻隊に志願せざるを得なかった方、南方やシベリヤから命からがら生還された方、広島・長崎を体験された方々などに、直にお話を伺う機会に恵まれて来ました。
そしてその都度、「あーぁ、この話を、日本人全員で聞ければなぁー」と思ったものです。
やはり、本当の体験者の話には、テレビ・映画・活字を遥かに越えた迫力と説得力があって、戦争のむごさ、罪深さを思い知らされるのです。
そこには、思想、宗教、イデオロギー以前の、〈人間としての根源〉とも言うべき究極の願いが孕まれていること。さらには、人類が全体として、何時、戦争を放棄する次元に到達できるのか、試練の時が今も尚、流れ続けているように感じるのです。
好んで戦争をしたい人はほとんどいないのに・・・・・・・
戦後70年の今年、広島・長崎を訪ねました。
「怒りの広島、祈りの長崎」と言われますが、なぜ日本だったのか、なぜ日本が世界唯一の被爆国なのか、その世界唯一の被爆体験の意味するものは何なのか、また考えざるをえない旅になりました。
原子爆弾の元を辿れば、アインシュタインということになるのでしょうか。
そのアインシュタインが、「相対性理論」なるものを発表してから、今年は100年という節目の年にあたるのも、不思議な感じになりますが、「宇宙の摂理
を解き明かしたい」と、ただひたすら研究に没頭して得た[E=mc2]。
しかし彼は、その法則が原子爆弾製造に使われるとは、考えもしなかったと伝えられています。
ただ、ナチスも原子爆弾製造に着手したことを知り、ヒットラーに迫害されていたユダヤ人として、アメリカの原子爆弾製造に同意してしまう羽目に陥ってしまうのでした。
そしてその原子爆弾が、ドイツではなく、広島・長崎に落とされたことを知った時、「Ah! Weh!(アー!ブェー!)」と悲痛な叫び声を発したことは、有名な話です。
これは、ひとつの選択が、人間の予想を越えて、「まさか!」の方向に進んでしまうことがあることを物語っていて、今こそ、この教訓を噛み締めねばならない時だと感じる旅になりました。
テレビ屋 関口 宏