イギリスEU離脱という逆境から私たちは何を学ぶべきか。

K.Yamazaki

K.Yamazaki

山嵜 一也

イギリスは多様性を認める国ではなかったのか?

 イギリスが国民投票によってEU離脱を決めてから2カ月が経ちました。この結果が出た当初、『イギリスは大変な過ちを犯したのではないか?』という見方が強かったですが、彼らはこの危機を乗り越えられるでしょうか。本稿では私が過ごしたイギリスの日々を思い返しながら考えてみたいと思います。

ロンドン地下鉄駅改修工事現場写真。 多様化社会ならではのコミュニケーション方法がある。

ロンドン地下鉄駅改修工事現場写真。 多様化社会ならではのコミュニケーション方法がある。

 私は2001~2012年までイギリス・ロンドンの建築設計事務所で働き、欧州をはじめとした世界中の建築士たちとイギリスの街並みを作ってきました。それゆえ、離脱を選んだという今回の結果に私は自分自身を否定されたようで大きなショックを受けました。なぜなら、この国民投票の争点の一つに移民問題があったからです。様々な肌の色、様々な英語のアクセントが飛び交う職場や建設現場の風景を思い出しました。イギリスは多様性を認める国ではなかったのでしょうか。

 排外主義的な移民問題を持ち出せばメディアはセンセーショナルに取り上げやすく、選挙の支持を得るのにわかり易いメッセージとなります。離脱派は移民問題のキャンペーンを展開し、国民も感情に押されて投票したと言われています。離脱を主導した政党では内紛が起き、掲げていた公約も簡単に撤回しました。離脱決定の世界経済に与えた混乱などから投票した人々も後悔しているのではないでしょうか。

 

求められるのは70%で良いという悟りの境地

 

 そもそも多様性とは何でしょうか?ダイバーシティとカタカナ英語を使っていてはその本質への理解が深まりません。『多様性は痛みを伴うものである』これは私がイギリスで生き抜くために得た考え方です。今回のEU離脱ショックに“懐かしい痛み”を思い出しました。「多様性=バラ色」などでは決してありませんでした。常に状況が変化し、他者との間に生まれるギャップを埋めるために労力を払う。多様化した社会では、国籍など背景の異なる相手と常に折り合いをつけなければなりません。相手を説得して、自分も納得する。そこには相手を思う想像力が必要とされ、同時に『努力はするけれど全部は解決できない』という悟りの境地も求められます。『100%の完璧を目指すのではなく、70%でも目的を達成できているなら、それでいい』という考え方が大事でした。イギリスに渡った頃の私がそうであったように、海外において多くの日本人がストレスを溜めてしまう理由の1つに、100%の完璧な正解を求めすぎて心の余裕を持てないことがあったように思います。

 

イギリスは様々な逆境をしなやかに乗り越えてきた

 

 今回のEU離脱の結果を受けて、国内だけでなく世界経済にも混乱を引き起こしていますが、私が過ごした2000年代だけでもイギリスは同様の逆境をしなやかに乗り越えて来ました。この時期は2012年に開催されたロンドン五輪の準備期間と重なります。私も建築士として五輪競技場計画に関わりましたが、私の建築士としてのキャリアと並走する形で計画を身近に見てきました。

ロンドン五輪グリニッジ馬術会場全景。平坦なロンドン市内を一望出来る眺め。

ロンドン五輪グリニッジ馬術会場全景。平坦なロンドン市内を一望出来る眺め。

 ロンドン五輪は恐怖のどん底から始まりました。2005年7月7日。五輪の招致が決まった翌日、ロンドンの街は同時多発テロに見舞われました。7年後の未来への希望に浮かれていた市民たちは疑心暗鬼、恐怖の日々を過ごすことになります。もし、このテロが招致が決まる前に起きていたら、9.11以降、世界中がテロの脅威にさらされていましたから、開催地選定の結果に大きな影響を与えていたことでしょう。

 2008年夏の北京五輪が終わり、いよいよロンドン大会への準備が本格的になった矢先、世界金融危機、すなわちリーマンショックに見舞われました。招致が決まってからもユーロの好景気に後押しされ、五輪の開催意義について深く考えていなかったイギリス国民は、この時に初めて『そもそも五輪を開催する意味があるのか?』と議論したと思います。そのような不安定な経済状況の中、五輪開催に向けて準備は進んでいくことになります。

 2012年の五輪イヤーが明けると、今度は前年から続く欧州危機がイギリスに飛び火しました。私の勤務先の年頭の挨拶は『解雇整理通告』から始まりました。不安定な経済状況は他の業界もほぼ同じようで、正直、イギリス国民はロンドン五輪どころじゃなかったと思います。そして今回のEU離脱に繋がるイギリス国民のEUに対する不信感はこの時に芽生えました。

 しかし、その夏、大会が開幕すると、先行き不透明な経済状況で五輪どころじゃないという鬱積した国民感情が、逆にスポーツの祭典という祭りのハレの効用を際立たせていたと言えます。期待されていた自国選手も確実にメダルを獲得しました。幼少期にソマリアから渡ってきた移民がイギリス人選手として金メダルを獲得することでその多様な人種をアピールし、7年前のテロによって負傷した市民はパラリンピックに選手として参加しました。パラリンピック閉会式のスピーチで、大会組織委員長は『この大会はあの悪夢の日から始まった』と大会を締めくくりました。7年前招致が決まった翌日テロという悲劇を逆境を乗り越えたエピソードとして総括し、全世界に発信したのです。

 私はこの瞬間、招致からの壮大なパズルが完成したと思いました。このように五輪というイベント一つとっても様々な逆境に直面しましたが、イギリスはそれらをしなやかに乗り越え、したたかに取り込んでいたのです。

ロンドン五輪グリニッジ馬術会場外観。鉄パイプによる簡素な建築物。

ロンドン五輪グリニッジ馬術会場外観。鉄パイプによる簡素な建築物。

伝統と革新をうまく織り交ぜたイギリスの多様性

 今回、EU離脱の判断を下した国民には排外主義的な移民問題に飛びついた側面もあるかもしれませんが、この結果を受けて伝統と革新をうまく織り交ぜる多様性のメッセージを早速、打ち出し始めてもいます。

 EU離脱に向けて動き出すイギリス新政権に女性首相が誕生しました。イギリスと言えば80年代サッチャー首相が有名ですが、世界でも女性リーダーは世界のトレンドです。私は建築の現場でも女性の上司から多くを学びました。またイギリス建築家協会が主導し、より多くの女性建築士を業界に取り込もうという『50/50キャンペーン』と共に一緒に働いた女性建築士たちがいました。イギリスでも建設業界は男社会ではありましたが、積極的に女性の活躍の場とそのための環境整備に努めていたのです。そのようジェンダーフリー(性差のない)を目指す社会背景だからこその女性首相が受け入れられるのでしょう。

 また、首都ロンドンではその多様性を象徴するかのように初のイスラム教徒市長が誕生しました。就任した直後に今回のEU離脱騒動が起きたため、残留派の多かったロンドン市の結果を受けて即座に#London Is Open(ロンドンは常に開かれている)キャンペーンを展開しました。異なる背景を持つイギリス人の彼から発せられる言葉は強烈なメッセージとなって、欧州だけでなく世界中に届いています。

ロンドン五輪グリニッジ馬術会場馬場。歴史的建造物(馬場正面)をアリーナ内に取り込んだ。

ロンドン五輪グリニッジ馬術会場馬場。歴史的建造物(馬場正面)をアリーナ内に取り込んだ。

イギリスEU離脱という逆境から私たちは何を学ぶべきか。

 

 日本にもあと4年で五輪がやって来ます。イギリスからは同じ成熟都市で開催されるロンドン五輪から多くのことを学べるはずです。大会への準備期間、世界中の多様な人々と協働していくことになるでしょう。大切なのは多様なものへの向き合い方です。多様性とは痛みを伴うことを知っているだけで対応の仕方が変わってきます。今回のEU離脱というような逆境をしなやかに乗り越え、したたかに取り込む術を私たちは学ぶべきなのです。