「偏見」が「支援」を生みだすのか

M.Uchiyama

内山 みどり
お茶の水女子大学

 
 在学中の大学で学会が開かれた。終了後、片付けを終えて施錠をし、建物の入り口で待つ打ち上げ行きの集団に合流した。
 すると、一人の女性が息を切らしながらこちらに向かってきた。
 「パソコンの充電器を部屋に忘れてしまったんですけど・・・」
 それを聞いた先生は建物の勝手がわかっている私に、部屋まで案内するように言った。コンセントに挿したままの充電器を見つけると、女性の顔に安心の笑みがこぼれた。
 外に出ると居酒屋行きの集団は既に校門を出発していた。初対面の女性とふたり。何を話そう。いまさら「暑いですね」もおかしいか。
 今回の学会のテーマは「ホームレス政策とジェントリフィケーション再考」だった。町の再開発に伴い、そこに住んでいた、あるいは留まっていた人々が立ち退きを迫られる。貧困層や野宿者などがその対象となりがちであり、ジェントリフィケーションは地価高騰や開発といった都市問題のみならず福祉の視点からも取り組まなければいけない課題になっている。

 
 研究者?野宿者?キャンパスの女性
 

 学会では、都市計画のために排除される野宿者問題に取り組む2名の若手研究者による発表が行われた。会場には、日雇い労働者の支援に携わる団体の活動家や、福祉関係や他の学会に所属する研究者が集い、発表をもとに議論が交された。その中で、「自分は野宿をしているのですが・・・」と切り出したのがこの女性であったことを思い出した。
 その時は、彼女は野宿者と寝起きを共にしながら調査をしている研究者なのだと思った。語り口調は落ち着き、言葉選びも丁寧な印象を受けた。5分間におよぶ発言は「野宿の人も静かに暮らしたいと思っていると同時に、戦わざるを得ない」というコメントで結ばれた。それは、必ずしも理論で固められた言説ではなかったが、野宿者としての実感を伴った発言に思えた。それゆえに、その発言に「何か」引っかかるものがあった。この人は野宿体験を続けている研究者なのか、野宿している当事者なのか。彼女の置かれている立場が議論に影響を与えるものではないと思いつつも、後者であるとは信じがたかった。そうでなければ学会に来るはずはないだろう。
蝉時雨の中、沈黙を破ったのは私の方だった。
「あの、野宿しながら研究をしているのですか?」
「いいえ、私は野宿者です」
 即答。あたかも聞かれることを待っていたかのような堂々とした返答だった。直後、私は自分の全身に緊張が走るのがわかった。社会問題として学会が議論に取り組んでいるホームレス。彼女はまさに論じられる対象であった。その当事者がここにいるというのは、私にとって想定外だった。野宿者は大学に来るような人たちではない、という私の思い込みが生んだ緊張感だった。この思い込みは偏見といっていいのだろう。
 ホームレス・・・何かお金でも要求されるのではないか。どうしよう。ここは大学のキャンパス内。私の人生の中で、ホームレスは接点すらほとんどないマイノリティだろう。貧困や排除といった社会問題の範疇で語られ、論じられ、そして支援の対象者として位置づけられる存在に他ならなかった。

  
崩れる「支援」と「被支援」の構図
 

 支援とは、社会的弱者とされる人々に対する行為である。そう考えると、相手に対する「貧しそう」、「汚そう」、「弱そう」といった負のイメージ、すなわち「偏見」は支援という行為を阻害する要因にはならない。それどころか、支援の動機になってくる。マジョリティである非野宿者がマイノリティである野宿者を支援する。その構図に偏見はつきものであり、野宿者=支援対象者という固定観念を持つ以上、偏見を払拭することはできない。
 一方で、40代とおぼしきこぎれいな身だしなみの彼女は、知的な雰囲気さえ醸していた。学会に参加し、Macのパソコンを使っている。だからこそ、一見すると支援対象者には思えない彼女が野宿者であることは私にとって信じがたかった。「支援」と「被支援」の紋切り型の構図や固定観念が、崩れ落ちていくような気がした。
 普段、私は在日ミャンマー・少数民族の方々とともに、彼らの在留資格を求める運動や祖国での戦闘状況の悪化を訴える活動に関わらせてもらっている。様々な理由から祖国を離れ日本で暮らす方々。「支援」というものに向き合う人生を進んでいる。もう逃げられないテーマだと感じている。

 彼女に聞いてみたいことは山ほどあった。
「なぜ野宿者に?」「家族は?」「以前はどのような仕事を?」
しかし、どこか触れてはいけないような気がして、その全てが胸に押し返された。代わりに彼女に問うたのは当たり障りのない質問ばかりだった。
「今日みたいに暑い日、エアコンとかは?」「雨が降ったら?」「公園では人の目は気にならない?」
「暑いときは、我慢するしかないですね。クーラーもないですし」「屋根はあるので雨はしのげますね」というように質問のひとつひとつに彼女は淡々と丁寧に答えてくれた。
しかし、彼女への根拠のない恐怖心を解くのに正門から駅までの500メートルは短すぎた。

 
「またどこかで」と言えなかった私
 

 日常生活で接点すらないだろうと思っていた野宿者と、はからずも大学で時間と空間を共にしていた。そのことへの驚きの根源は、分け隔てなく人と関わることを大切にしようと思っていた自分にこそ、偏見の温床があったことだ。それを知らされて愕然とした。
「じゃあ、わたしはここで」
 彼女は駅に、私は打ち上げの行われる居酒屋に向かい、別れた。すでに18時をまわっていた。電車を乗り継ぎ、彼女は「住まい」に戻るのだろう。
 居酒屋の階段を上りながら、私は自責の念にかられた。どうしてあのときもっと率直に聞けなかったのだろう。どうしてMacのパソコンを携える彼女に奇異なまなざしを向けてしまったのだろう。正門を出たとき、どうして隣を歩く彼女と半歩距離を取ってしまったのだろう。
 そして、別れ際に「またどこかで」と言えなかった自分に嫌気が差した。
 あれからもうすぐ1ヶ月。連日の猛暑、私に重い課題を残していった彼女は元気だろうか。はたして、あの日彼女が私に告げた「住まい」を探し回れば見つかるだろうか。仮に会えるとするならば、その時は、学会で感じたこと、考えたことを共有しながら一緒に食事でもしてみたい。野宿者のためのたきだしに参加する「支援者」としてではなく一個人として語らいたい。