関口 宏
「もう、来ないだろう」
10月に入って誰しもが「もう来ないでくれ」と願う「台風」のこと。
しかし、まだまだ安心できない最近の異常気象が気にかかります。
今年の台風は、おかしな状況のなかで各地に被害をもたらしました。
とくに例年になく東北・北海道がその標的になり、梅雨がなく、夏快適な北海道のイメージも変わりつつあるようです。
一体「台風」とは何なんでしょう。
ただ悪戯に我々を苦しめるだけの存在なのでしょうか。
子供の頃、『砂漠は生きている』という映画を観て、「砂漠が生きているなら、地球も生き物なのだろうか?」と思った事がありました。
長じて、時々「地球有機体論」的な話に出会う度、難しい理論は分からずとも、「やっぱり地球は生きているんだろうなぁ」と思うようになりました。
時々火山が噴火したり地震が起こったりするのも「地球」が生きものとしてバランスをとろうとしている活動の一環であって、そこには必然的摂理が働いているのでしょう。
「台風」にしても、大気を浄化するとか、波を立てて海水を混ぜ,水温や水中酸素等のバランスをとろうとしているかのように思えて来ます。
厄介なのは我々人間に害を及ぼす事。
つまり「人間の都合」とぶつかり合うとき、様々な自然現象が「憎き存在」として映るのですが、「地球」はごく当たり前の営みを続けているだけなのかもしれません。
となれば我々人間の側が、自分達の「都合」を見直さなければならないということになりますが、実は我々はまだ、地震のことも、火山のことも、深海のことも含めて、自分達の棲む「地球」のことを良く分かってはいません。
分からないままに、人間の「都合」を優先させ、「地球」を支配出来ているかのような「錯覚」の中で生きています。
また人間の「都合」は、「可能性」つまりメリットばかりを追い求め、「制約」つまりデメリットには、あまり目を向けない傾きを抱いているようで、度を超せば、そのしっぺ返しのようにして、自然が牙をむくように「摂理」が働くように思われます。
地球の温暖化も大気汚染も、人間の「都合」優先の結果なのでしょうし、「原発」にしても、もっと「制約」デメリットを優先して取り組んでいたなら、異なる発展の仕方をしたかもしれません。
話はガラッと変わるかもしれませんが、IS・イスラム国や北朝鮮にしても、彼らの言い分は、あまりにも自分達の「都合」に偏りすぎているよう思われます。その言い分を押し通す「制約」デメリットを計算しているのでしょうか。
さらに身近なところでは、広がり続けるネット社会。確かに速くて便利ではあるのですが、その「制約」デメリットをどれだけ知っているのでしょうか。
グローバル経済もそうなのでしょう。どこの国も自国の利益を追い求めて必死になっているようですが、その「制約」デメリットは放置されてはいないでしょうか。
水は高きから低きに流れるように、自然は「調和・バランス」を求めています。
それに逆らう人間の「都合」優先現象があちこちで増殖しているように思えるこの頃です。
テレビ屋 関口 宏