書ハ美術ナノカ?

Y.kitai

北井 康郎

 墨の現代美術作品を欧米へ売り始めて早20年が経とうとしている。ここでいう墨の現代美術というと、主に書、もしくは書から派生した作品を指すが、どんな作品なのかピンとこない方もおられると思う。既に欧米で認知されている代表的な作家としては、故・井上有一氏や100歳を超えた今も元気にご活躍されている篠田桃紅氏の作品などがある。お二人とも書をバックボーンとした作家だが、その表現は独特で伝統的な書のイメージとは異なる。我々が扱うのはそうした有名な作家ではないものの、彼らと同様に書、もしくは書から派生し、個性を確立している今を生きる作家の作品を主力としている。

 

「書」と欧米美術の蜜月時代

 そもそも書は美術たるものかどうかという論争が1882年に洋画家の小山正太郎と岡倉天心のあいだで起こった「書ハ美術ナラズ」論争であり、現在もまだ決着がついていないというのが大体の識者の見解と言われている。

 一方、戦後の一時期において日本の書と欧米の美術界との蜜月時代があり、この時期には、ニューヨーク近代美術館、サンパウロ・ビエンナーレやブリュッセル万国博、カッセルのドクメンタ、その他、世界的に著名な展覧会(注1)でこぞって日本の当時の作家作品が展示され注目を浴びた。(「書と絵画の熱き時代・1945〜1969」1992年、公益財団法人品川文化振興事業団O美術館発行より)

 それが現代ならばこれらの作家作品の評価は世界の美術市場ではね上がり、高額で売買されるのだろうが、残念ながらその当時はそれほどでもなく一時のブームのように終息してしまったようだ。もう少しで「書は完全に美術である」といえるチャンスだったのかもしれない。当時活躍した日本の書家のなかで前述の二作家の作品は現在も多からず欧米の美術市場で流通している。

 欧米との蜜月時代終息後は、日展や新聞社の冠がついた書道展が国内で隆盛となり、多くの「能書」(注2)を輩出した。書のエリート達は競って古典の研究や書の鍛錬に勤しみ、卓越した技術を身につけた。しかしその反面、書壇に政治家のような会派や派閥の論理が横行、排他性が増した。記憶に新しいところでは2014年に発覚した日展「書」科の不正審査問題でその体質が露わとなり、改組新日展へ組織名を変更するまでの事態となった。保守的なピラミッド型組織の象徴の如く、師匠のような作品をいかに多くの弟子たちが書く(会派の勢力を誇示する)のかと言わんばかりの作家個性を重視しない展示に、蚊帳の外に置かれた一般の美術愛好家の足は当然遠のくばかりである。また書く内容も人の詩等、他者の著作引用が目立ち、創造性に欠ける分野であることも関係していると思われる。

 クラシック音楽も過去の偉大な作曲家の著作を演奏することで成立しているが、書壇との違いはクラシック音楽にはコンサートや音源売買等の市場があるが、そんな書を買う人は皆無に近いことである。

 (注1)サンパウロ・ビエンナーレ(Bienal Internacional de Artes de São Paulo)
=ブラジルのサンパウロ市で1951年より開催されている現代美術の大規模国際展覧会。2年に1度、世界中から招待された美術家らがサンパウロ市内の会場で作品を展示するもので、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)や、ドクメンタ(ドイツ)と並ぶ世界の重要な国際美術展のひとつである。

  ヴェネチア・ビエンナーレ(Biennale di Venezia)
=イタリアのヴェネチアで1895年から開催されている現代美術の国際美術展覧会。イタリア政府が後援するNPOであるヴェネチア・ビエンナーレ財団が主催し、二年に一度、奇数年に開催。ビエンナーレとはイタリア語で「二年に一度」を指す。
この展覧会は、万国博覧会や近代オリンピックのように国が出展単位となっており、参加各国はヴェネチア市内のメイン会場となる公園やその周囲にパビリオンを構えて国家代表アーティストの展示を行う。国同士が威信をかけて展示を行い賞レースをすることから、「美術のオリンピック」とも称される。

  ドクメンタ
=ドイツのカッセル市で1955年より、5年おきに行われている現代美術の大型グループ展である。あるテーマのもとに現代美術の先端を担う作家を世界中から集めて紹介するという方針で開催されており、美術界の動向に与える影響力が大きく、世界の数ある美術展の中でも「ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)」に匹敵する重要な展覧会の一つに数えられる。

  ブリュッセル万国博覧会(1958年)
=ベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際博覧会。第二次世界大戦後はじめての大型国際博。テーマは「科学文明とヒューマニズム」。42ヶ国と10国際機関が参加し、会期中4145万人が来場した。

 (注2) 能書
=一般的には字を書くことが上手なこと、また、その人のことをいう。優れた書作品の意として使われることもある。歴史上の書人で今も書名の高い人物、また現代の書家に対しても、多くの書家や書の専門家からその能書たることを認められている人物をいう。いわゆる書の名人、書道界の大御所。

 

書を教えるだけでは「手習師匠」

 「古筆大辞典」や「日本書道史」の著者で書の歴史の研究家である故・春名好重氏(1910年〜2004年)は自身の著書「巻菱湖(まき・りょうこ)伝」で、『江戸時代には書法教授を職業としていない人でも、書を巧妙に書くことができる人で、揮毫した潤筆料で生活を支えることができるほどの収入のある人は書家といわれていた。(潤筆料とは書画を書いたことへの謝礼・報酬である。)そして、ただ書法教授を職業としていただけの人は手習師匠(てならいししょう)といわれていたのである。それ故、江戸時代の書家と現代の書家とは同じ人ではなく、ことなる人である。』と書いている。現代の書壇の書家は江戸時代では手習師匠に近いようだ。巻菱湖(1777年~1843年)は「幕末の三筆」の一人、江戸時代の能書である。

 また同著で『中村不折(1866年〜1943年)は画家としてすぐれた人だった。また「能書」としてもすぐれた人で(中略)六朝風の独特の書を書いた。不折の書は多くの人に愛好されたので、いろいろな書の揮毫を依頼されて、潤筆料の収入がたくさんあった。不折は潤筆料によって書道博物館を開設することができた。江戸時代の書家のような書家は不折が最後の人である。』と書いている。

 

墨の作品の可能性

 「能書」かどうかは別として、故・相田みつを氏は自身の言葉を書き大衆に評価されて東京国際フォーラムに美術館ができた。また、昨今ではテレビドラマの題字揮毫や、マスメディアでの露出で、広く大衆の支持を得る人気作家も増えてきた。彼らの多くは席上揮毫(ライブパフォーマンス)を披露するなど、エンターテインメント性も追求しているが、「能書」と言えるかどうかはこちらも別の話である。

 墨の現代美術作品を欧米へ売り始めて早20年が経とうとしている。我々にとってその作品が能書であるかどうか、日本国内のマスメディアで有名かどうかは特に関係ない。西洋には西洋の美術史が有り、彼らの価値観・審美観に響くかどうかだけである。これまで主に欧米で開催される現代美術のアートフェア(美術見本市)に参加して、コレクターへの直売や、現地の画廊との提携を図り、その土地土地へ作品を残す行為を積み重ねて来た。西洋で墨という東洋の素材の希少性はもちろんあるが、墨はあくまで作品を構築するマテリアル(材料)のひとつで、その主題ではない。人が視界の端で作品を無意識に捉えたとしても、誰の作品か認識できるくらいの個性を要求されるので、よくあるような墨の表現では通用しないのである。

 墨の特異性を活かした独特の表現が過去の蜜月時代を築けた理由の一つであり、1950年代に展開された激しい抽象表現主義、アンフォルメル絵画をはじめとした当時の欧米美術界との呼応もその要因だとすれば、将来もうそんな時代が来ることはないかもしれないが、墨の作品の可能性を見過ごすわけにはいかない。