食べ物の生産現場を歩いて

S.Akiyama

S.Akiyama

秋山 鈴明

 岩手県西和賀町。累積積雪量は12メートルを超える豪雪地帯だ。西和賀の歴史は「飢饉と凶作の歴史」と言われる。食べ物の有り難みと代々守ってきた土地を守るという意識が根付くこの町では、退職後の高齢者はもちろん、サラリーマンも週末農業、帰宅後農業をする。

 今年5月に三週間お世話になった小繋沢地区は人口の半分が65歳以上だ。数年前、「この集落30年したらなくなる。どうにかしようとしても、なくなるぞ」とある大学教授に言われ、おじいちゃん、おばあちゃんが“集落のなくなり方“を考えて奮闘している。

食べ物が生まれる場所にある素敵な世界

食べ物が生まれる場所にある素敵な世界

 

 日本は荒ぶる自然の歴史だ。過疎が進もうが自然と人間の境界線にいる人々の知恵を伝えていかなければならない。その伝道師こそ、支配できない自然に働きかけて食べ物をつくる生産者だ。

 

減り続ける食、減り続ける生産者

 

 今や、コンビニ・スーパー、宅配サービスといった巨大なシステムによって食べ物はどこでも何でも買うことができる。一方で日本の食料自給率は40%。農業者人口は全人口のわずか2%。240万人だ。そして農業者の約半数は70歳以上であり、49歳以下は農業者全体の15%を下回る。漁業者にいたっては17万人しかいない。

 一次産業には家電メーカーとちがい、「生産者希望価格」というものがない。コメ農家の平均的な時給を換算すると200円に届かない。おおかた、農業は土地の大切さ、食べ物を作る大切さを知る高齢者が、年金をつぎ込んで初めてできる業だ。

 海では、シケだろうがなんだろうが、漁師は海に出て獲ってこなければやっていけない。自然の厳しさと消費の理論の板挟みにあっている。消費者は「早くて安くてよいもの」を求める。自然に触れない都市の生活では生産者がどうやって食べ物を生み出しているか、どう自然と向かい合っているか、なかなか知ることができないからだ。

 10年後、20年後、この国の食べ物はどうなっているだろう。

 東京都の食料自給率は1%。新潟市を除く政令指定都市のそれはみな一桁台だ。

 直下型地震が起きて流通がストップしたらどうなるだろう。

 伝道師としての生産者、食べ物の生み手としての生産者は今この時も減り続けている。

 「食べ物の未来が危険だ」「一次産業の未来が危険だ」という北風のような話はここでやめにしよう。

 

荒ぶる自然を生きることが「楽」と言う漁師

 

 8月「東松島食べる通信」が創刊した。東松島市内の生産者の世界観・人生・哲学が丁寧に描かれた情報誌に、付録として旬の生産物が届く。

 

8月創刊の「東松島食べる通信」

8月創刊の「東松島食べる通信」

 

 そんな「東松島食べる通信」創刊号で特集されているのは定置網漁師の大友康広さん。特集の記事のしめくくりにこんな言葉があった。

 「息子が、俺みたいになったらって思う。楽しく海と生きて欲しいなあ。だって楽だもん。」

 私の話になるが、3月に3週間漁船に乗って漁師の見習いになった。強風の日と雨の日も海に出たが、船にへばりつくことしかできず、半べそをかいた。楽だなんてとてもそんなふうには思えなかった。「板っ子一枚下は地獄」と言われる漁業を垣間みた。ところが、大友さんにとっては「板っ子一枚下は地獄」はありそうでない。

 岩手県山田町。新進気鋭の凄腕漁師集団の1人、柏谷直之さんは「震災の後一ヶ月の海から好きなものをとってきては好きなように食べて、1から作っていくという生活が一番楽しかった」という。

 

ウニ漁をする柏谷直之さん。周囲から一目置かれる凄腕だ

ウニ漁をする柏谷直之さん。
周囲から一目置かれる凄腕だ

 

 大友さんの言葉と柏谷さんの言葉をきいてどこかで聞いた一節を思い出した。
「津波は人間にとっては災害だけれど、自然にとっては災害でもなんでもない。」

 ありきたりの言葉になってしまうが、ここの人たちは実に自然と一体だ。津波や「板っ子一枚下」が彼らにとって災害でも地獄でもないように思える。彼らは自然そのものだ。山田町の漁師も「死ぬときは海で死ぬ」という。生も死も海の一部だ。とてもダイナミックで、とても誠実な生き方だ。そしてそれは人間にとって大友さんの言葉でいう「楽」な生き方なのだと思う。

 宮城県南三陸町で養殖業を営む千葉拓さんは「海も人。人も海そのもの。」といった。象徴的な言葉だ。

 

魅せられることが上着を脱がす

 

 実は知らないだけで、食べ物が生まれる場所にはこんな素敵な世界がある。食べ物の裏側には「早くて安くてよいもの」以上のものがたくさんある。まずはこの世界を知り、魅了されることこそが、この「食べ物」をめぐる課題に対して、無関心という上着を脱がすことのできる大きな力になる。
 自分の口に入る食べ物が、生きるのに不可欠な食べ物が、どんな世界から生まれてくるのか思いを馳せてみよう。

 実は私も一度だけ、自然と一体化できた(と思っている)事がある。

 

右が千葉拓さん。船上でカキの餞別作業をしている。左は筆者

右が千葉拓さん。船上でカキの餞別作業をしている。左は筆者

 

 千葉さんの船の上で、ワカメの収穫作業の合間の休憩をしたときだ。口を結ぶといっさいの音が消える。驚くほど静かだ。その時間に心を奪われた。3分ほど経ったのだろうか、千葉さんは「今秋山君含めて詩が思い浮かんだ。」といった。(千葉さんは作詞作曲もする“歌う漁師”なのだ。)

 そのときの感覚は今でも鮮明に覚えている。

 あ、早く完成した曲を聴きにいきたい。