「パンドラの箱」をあけたトランプ

K.Yokoe

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横江 公美
(政策アナリスト 東洋大学グローバル・イノベーション学研究センター客員研究員)

 どこの国でも政治的タブーは存在する。そこでは、わかっていることを前提に話は進んでいく。アメリカにおける政治的タブーの代表は、人種や宗教、性別に代表されるマイノリティへの差別発言である。また国際社会においては、アメリカさえ良ければよいという立場はタブーであった。

 共和党の大統領候補者になったドナルド・トランプは、政治的失言(ポリティカル・インコレクト)という名で蓋をしていたアメリカにおけるタブーのパンドラの箱を開けてしまった。本音に喜ぶ人たちは、「待ってました」とばかりに熱狂的にトランプを支持する。一方、差別されてきた側の人々、そして外国の国々は、その本音に恐れおののいている。パンドラの箱は開いてしまうと元の世界に戻ることはない。トランプ的な考え方、つまりトランプイズムは、今後も残っていくことになる。

 トランプの人気は、オバマ大統領の政策で置き去りにされた白人の不満と怒りを示す、と言われるが、それだけでは、共和党の候補者にもなれないし、ましてや世論調査でトップを走るまでになることはないだろう。トランプの主張を見ると、暴言、失言、矛盾のオンパレードではあるが、他のいずれの候補者に比べても、今のアメリカを理解している。鍵となっているのは、「マイノリティ」と「国土安全保障」である。

 

白人もマイノリティだ

 

 トランプは、反主流派という立場に立って弱者に優しい経済政策を掲げている。小さな政府を主張する共和党とは異なり、経済格差の是正の政策を主張している。

 例えば、アメリカでは1%の人が40%の富を所有していると言われ、そのシンボルがウォール・ストリートだ。トランプと民主党のサンダースだけが、ウォール・ストリートの超富裕層への課税強化を主張してきた。超富裕層は白人率が高いことはいわずもかなであるが、ほとんどの白人は主流派にも超富裕層にも入っていない。オバマ大統領は国民皆保険を導入するなど格差是正につとめてきたが、その対象は一番困っている黒人など貧民層であった。生活に苦しさを感じる中間層の対策までは手が回らなかった。オバマ大統領のマイノリティ優遇政策から零れ落ちた人々がトランプの支持者である。つまり、トランプの経済政策は、白人もマイノリティとして認識しているのだ。アメリカではマイノリティの合計が白人の数を上回るカウントダウンが始まっている。2000年の国勢調査で初めてヒスパニックを含まない白人率は70%を切って69.1%になり、2010年には63.7%にまで減少している。今では60%を切っていると予測され、2050年になるまでにマイノリティの合計は白人を超すと見られている。2014年、国勢調査局は、5歳以下の子供においてはマイノリティの合計が白人率を上回っている、と発表している。白人もマイノリティであるという認識は、ますます当たり前になっていく捉え方である。

 興味深いことに、オバマ大統領を踏襲すると訴えるヒラリーはこの8年で恩恵をうけた黒人、ヒスパニック、そして女性からの支持を受け、そこから零れ落ちた人々を含めてさらなる広い層に対する経済格差の是正を訴えているのがトランプと、サンダースなのである。

 また、TPPやFTAといった自由経済協定に反対するのもトランプとサンダースである。両者とも、その理由はアメリカの雇用を守るためであり、安全保障の意味合いは無視している。ヒラリーは、TPPの必要性を認めつつも選挙のために、アメリカの雇用と安全保障にプラスがあることがわかれば賛成すると条件を付けている。従来、自由経済協定は、共和党が好む政策であるが、オバマ大統領は秩序構築のためTPPとFTAを推進してきた。

 現在のオバマ大統領の政策的立ち位置を中心とすると、ヒラリーはほぼオバマ大統領と同じところに位置する。中間層にまで優遇策を広げようとするトランプは社会主義と言われるサンダースと同じで、オバマ大統領よりも左に位置する。トランプは、労働者の立場に立った、または、生活に困ると考える人々の立場にたった、または従来の民主党的な考え方である経済格差の是正がアメリカの潮流になると踏んだのである。

 

自国の安全保障が選挙の争点に

 

 次に外交・安保である。

 トランプは、「ISISをぶっ潰す」「メキシコとの国境に壁を作る」といったかと思えば、「日本と韓国は同盟関係から利益を得過ぎている」と同盟国に文句を言う。ついにはNATOからの脱退もほのめかしている。理由は時代遅れであるのに、費用が掛かり過ぎていることだという。

 トランプはアメリカの外交・安保では、世界の平和と安定のための関与は二の次で、「国土安全保障」が第一であると叫んでいる。

 911同時多発テロ事件以降、アメリカは国土安全保障への対応をせざるを得ない国になった。フランスやベルギーのテロは明日にでもアメリカに起き得る状況だ。アメリカの空港のセキュリティは厳しく今や常に長蛇の列ができ、テロが隣り合わせであると実感する。テロと難民問題を抱えるヨーロッパでは、極右という言える政党が人気を獲得しつつある。

 「イスラム教徒は入国させない」「ISISに核爆弾を落とす選択肢もある」というトランプの暴言に溜飲を下げる人も少なくないのである。ISISに対して徹底した強気の姿勢を見せるのは候補者の中ではトランプしかいない。

 どんな暴言であろうとその目的が「国土安全保障」である限り、トランプは暴言で支持者を増やしている。

 一方、同盟国に関係するトランプの発言は、当該国にとっては暴言中の暴言であるが、言い方は違うものの、オバマ大統領も同じようなことを言っている。オバマ大統領は3月発売の雑誌「アトランティック」で「アメリカの安全保障にただ乗りする国が多すぎる」とインタビューに答えている。トランプの同盟国が負担を増加すべきという発言はもはや暴言ではなくアメリカ人の本音なのである。背景には、国土が狙われる国になったのだから、世界の平和に専念するわけにはいかず、国土安全保障に重点を移行する方向に進んでいる。今後は、国土安全保障と世界への関与の比率が、大統領選挙では争点になっていく。ヒラリーが大統領になれば、オバマ大統領の比率とそれほど変化はないが、トランプになると圧倒的に国土安全保障に重点が置かれることになる。ただ、ヒラリーになったからと言っても、国土が攻撃される可能性がある限り、トランプ的志向はなくならないだろう。

 さて、パンドラの箱から何が最後に出てきたかについては諸説あるが、大別すると、前向きな希望と空虚な希望になる。

 トランプがあけたパンドラの箱がから出てきたのは、どちらの希望なのか。この答えは誰が当選したかだけでは出ないだろう。ヒラリーが当選したとしても、サンダースの善戦と国土安全保障が重要になったという事実、つまりトランプイズムは、彼女の肩にのしかかっていく。トランプが大統領になったらまさに未知のアメリカとの遭遇になる。