政治と距離感を持て

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 最近気にかかっているニュースは、テレビ朝日が橋下徹・前大阪市長をレギュラー番組に起用したことです。選挙に出ることはない、という約束を取った、と吉田社長が記者会見で明言しましたし、橋下氏も前触れの番組で「出馬しない」と表明したようです。しかし約束、あるいは契約の中身はどのような拘束力を持っているのでしょうか。疑問が沢山あります。契約期間中の出馬はもちろんあり得ないと思いますが、番組を降りた後、時間をおいて立候補することはないのでしょうか。その時、辞めた後だから「テレ朝は関係ない」と言うのでしょうか。

 

「キャリアロンダリング」はないのか

 

 橋下氏は大阪維新の会の法律政策顧問として残っています。「憲法改正」等の政策について、大阪維新の会に影響力を持ち続けることはない、とテレ朝は判断したのでしょうか。今後、憲法改正の論議が進む中で、橋下氏の言動が影響力を持つ、と言うことは十分考えられることです。

 強面の人から茶の間の顔に「橋下氏のキャリアロンダリングを手助けしたテレ朝」あるいは「先鞭をつけたテレ朝」と言うことにならないことを願っています。

 この一件に限らず、メディア、とくに新聞・テレビは政治との距離感に鈍感過ぎる、と考えてきました。メディアは「日本の進路を再び誤ることがないように監視するのが仕事だ」と言いますが、新聞もテレビも政治との関係を見直さないかぎり、読者からの信頼を自らの手で損ねている現状を改善することは難しい、と最近、強く感じています。政治との距離感について考えてみたいと思います。

 

「文春」とネット頼みの「第一報」

 

 今年に入ってまだ3カ月しかたっていないのに、大きな出来事、話題の出来事が相次いでいます。国内だけ見ても甘利経済担当相のスキャンダルと辞任、イクメン議員の辞任、保育所問題、清原和博元プロ野球選手の麻薬汚染、プロ野球界の賭博…。

 これらのニュースに共通しているのは、すべて週刊文春とネットによって第一報が伝えられたことです。もともと新聞には週刊紙情報やネット情報を軽視する傾向がありますが、ここまでやられると「新聞やテレビは何をしているんだ」と思った人が多いことでしょう。

 私は新聞・テレビの取材力と政治をウォッチする力が明らかに落ちたと思っています。

 甘利問題の情報提供者は、最初新聞と接触した、と週刊文春に言っています。なぜ、フォローしなかったのでしょう。取材力が落ちただけでなく、その遠因には政治家への「配慮」「おもんばかり」「忖度(そんたく)」が強く働くようになったのではないか、と思えてなりません。出演するメディアを選ぶ、反政府、反自民的な論をけん制する、など自民の「メディアコントロール」が功を奏した結果だろうと思います。

 

「想定問答」の首相会見

 

 「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」と言う本まで出ています。ニューヨークタイムズの元東京支局長、マーティン・ファクラー氏が最近出版しました。その「はじめに」で、昨年9月、安倍首相がニューヨークの国連総会に出席した際の「内外記者会見」を取りあげています。

 「日本の総理大臣がこの種の記者会見を開くとき、官邸は指名を予定している記者に『事前に質問項目を出してください』と要求する。だから記者クラブメディアが質問する総理大臣の記者会見では多くの場合、予定調和の想定問答のようなやり取りがなされるわけだ」

 「一国のリーダーが想定問答のような記者会見を開くなど、民主主義国家では考えられない。アメリカの大統領が記者会見を開くときには、質問事項など誰も事前には提出しない」

 私が取材している時代は、記者会見は記者クラブの幹事が「代表質問」のような形で何問か質問し、その後は自由に質問できました。

 しかし、最近の記者によると、自由に質問できると言っても、普段、難しい質問、批判的な質問をする記者は、なかなか指名してもらえない、という不満を聞きます。また「時間がない」ということで会見が打ち切られることもあるそうです。相手のペースにはまってしまっては、国民に伝える義務を果たすための「質問する権利」を自ら放棄してしまったように思えてなりません。

 そうした会見を受け入れてしまう記者クラブについての批判は、昔から続いています。身内の仲間だけが集まる「インナーサークル」の状態は、一向に改善される気配がありません。

 

自前の取材ができないテレビ

 

 一方、テレビはもともと自前の取材が苦手でした。「情報・報道番組」と呼ばれるワイドショーなどでは、新聞や週刊誌から材料を探してくることが圧倒的に多い、ということは視聴者が一番知っていることです。文春の一連の特ダネをワイドショーでは文春の記事の垂れ流しと言っていいくらい、独自の取材はありませんでした。

 取材が他人任せだけでなく、番組のキャスターも自前のキャスターがほとんどいません。自社で人材がいない、あるいは育たない、という事情があります。毎日のようにテレビ局の顔として登場する人たちの多くが「自社製の顔」ではありません。思いつくまま挙げてみます。(3月29日現在)

 古館伊知郎(テレ朝)、小倉智昭(フジ)、恵俊彰(TBS)、宮根誠司(日テレ)、星浩(TBS)、村尾信尚(日テレ)、羽鳥慎一(テレ朝)、加藤浩次(日テレ)、橋本大二郎(テレ朝)、国分太一(TBS)、真矢ミキ(同)…。

 元アナウンサー、お笑いタレント、俳優、記者など様々です。外部の人に重要な報道番組を任せていいのか、と以前は考えていました。しかし、最近のメディア状況を見ていると、社員がキャスターを担当する方がもっと危険ではないか、と思うようになりました。社員は組織の論理に従って動かなければなりません。自社の上層部を含めた各方面からの圧力に容易に屈してしまうのではないか、と思うからです。

 

社内外に分厚い取材体制を

 

 外部のキャスターの中にはしっかりした人がいます。いつ辞めてもいい、という覚悟を持っている人もいます。同時に、そう言う人ほど圧力にさらされやすいことも事実です。

 残念ながら、放送法を背景にした自民党のタカ派的姿勢に、テレビ局は反論する姿勢を見せていません。今こそ、メディアの原点に立ち返ろうではありませんか。人材を社内だけでなく社外でも育て、政治・権力をウォッチできる分厚い取材体制を作らなければいけません。それは経営の根幹の課題であるはずです。