志村一隆
目黒に住んでいる友人が、帰宅時に駅で自転車に乗ると毎晩同じ警官に職務質問されるので困っているという話しをしていた。どうも酒飲みだからか目をつけられているらしい。
恵比寿に住んでるオッサンも「最近自転車の酔っ払い運転が厳しいじゃない。だから今日は駅にチャリ置いてタクシーで帰る」と同じようなことを言っていた。
効率性と多様性
近所をウロウロするだけの自転車に権力が入り込むのはちょっと違和感がある。そうでなくても、マイナンバー通知が届き見知らぬ権力に自宅を覗かれている気分がする。考えてみれば、こうしたマイナンバー、コンパクトシティ、成果主義などなど、いま主流の統治や経営手法は、効率性重視な考え方がその背景にある。ITはそのツールとして、これらの考え方を推し進める原動力である。
そして、全体の効率性を正義とすると、自分の考えを持つことはなんだか良くないことに思えてくる。とくに、多様な意見を提示することが役割であるメディアにとって、住みづらい世の中である。
表現の自由にピンとくる人ってそれほど多くない
安倍政権になってからメディアコントロール議論をよく聞く。メディアが政権の話したことをそのまま流せば権力にとって効率がいちばんいい。しかし、メディアは政権のためにあるわけではない。そこで、メディア側は「表現の自由」を主張する。当然だ。
しかし、「権力の介入は許せない!」「メディアを守ろう!」そんな機運があまり高まってない?って感じるのは気のせいだろうか。なぜメディアが「表現の自由」を叫んでも、なかなか味方が増えないのか。
思うに、普通の人は「表現の自由?わたしのブログには関係ないでしょ」と思ってるんじゃないか。つまりメディアが表現者目線の主張をしても、普通の人は当事者意識を持てない。
その割に権力側には次々と応援団が現れる。「放送法違反だっ!」「国民の資産である電波を預かって云々」といった意見がネットに延々と投稿される。ついに、先日産経新聞と読売新聞に「TBSのNEWS23は偏向報道だ」という意見広告も出た。とにかくメディア側にとって、大多数は無関心、なぜか攻撃してくる人&権力と対峙する不利な状況である。
メディアの味方を増やすには
そんな状況を脱してメディアの味方を増やすにはどうしたらいいだろうか。たとえば、効率性重視の社会は生き辛いってことをもっと訴えてはどうだろう。表現の自由には無関心でも、自転車くらい自由に乗せろという気持ちは誰もが持っているだろう。そんな気持ちを代弁するのだ。(もし同じような考えの読者がいたら、 info@mediajuku.jp までぜひ感想メールを寄せて欲しい)
それに、リーマンショックや東日本大震災以降を経たいま、効率性だけじゃないだろうってことに気付いている人が自分を含めて増えてないか。安倍政権が取り込めないこの層こそ、いまメディアが味方にすべき人々である。
権力との会話
先月の君和田正夫塾長の投稿「ないがしろにされる時代」に「国の在り様を形作る法律や専門家の知識・判断、歴史的な経緯、国民の意識などが、ないがしろにされる時代に入ったのではないか」とある。
もっと深い分析をしろといった介入ならいいのだが、効率重視を背景にした安倍政権の介入は、アカデミズム・ジャーナリズムが提供する自律した知性を奪っていく。知性を奪われた人間はロボットである。それでも生活の糧を得るため、会社にいるときだけ仕方なくロボットになってる人も大勢いるだろう。そんな人は会社の外では羽を伸ばしたくないか。それなのに、帰宅した駅で言われようのない職務質問を受けたら気が滅入る。
それにロボットのようなマニュアル通りの動きしか出来ない組織に競争力はあるんだろうか。効率化のコストカットは、将来のイノベーションの種も摘んでしまう。イノベーションと思われていたITがその眼を摘んでしまっているのだろうか。
メディアと権力は同じコミュニティに生きている。もっと冷静な対話をしたほうが生産的ではないか。
<参考>
①「権力とメディア」について独立メディア塾でされた議論をまとめた。ココをクリック
②「『NEWS23』岸井攻撃の意見広告を出した団体の正体! 謎の資金源、安倍首相、生長の家、日本会議との関係」、リテラ、2015年11月27日
③「NHK総合テレビ 『クローズアップ現代』”出家詐欺”報道に関する意見」、BPO、 2015年11月6日(クローズアップ現代の問題についてよくわかる。)
④「電波監理委員会の意義・教訓」、原田祐樹、2011年1月26日(権力がメディアを支配下に置いておきたいために吉田内閣が廃止したという議論があるなかで、同時期に他の独立行政委員会も財政面から廃止されたという側面も実証している。いちばん面白かった。)
⑤「誰がなにを誤解しているのか?〜放送と公権力の関係についての私見②」、是枝裕和、2015年11月17日(放送法に定める不偏不党は放送局の義務でなく国家が保証しているものである。時の政権の解釈に拠らない。勉強になりました。)
<その後>
・この原稿の続編も公開した。「メディアと政治とわたし」
・「あやぶろ」に氏家夏彦さんが書いてくれてる。「志村さんのあやをとりました」
・さらに氏家さん原稿のあやを自分も書いている「恋するテレビ論」