『幸せって何だ』

H.Sekiguchi

H.Sekiguchi

関口 宏

 小豆島に行ってきました。
年配層には、映画「二十四の瞳」のロケ地として、また近年は、オリーブ栽培で知られる瀬戸内に浮かぶ小島と思いきや、いえいえ結構大きな島で、「ショウドシマはオオドシマ」なんて冗談も出ました。

 島の古老に話を聞けば、歴史も相当古く、南北朝の頃には、すでに棚田が作られていたそうですし、それ以前の遺物も多く、日本有史と共に、小豆島は存在してきたと言っていました。
そういえば先日、大きな話題になった卑弥呼以前の銅鐸の発見は、お隣の淡路島のこと。ここ小豆島も、何らかの影響を受けていたに違いありません。

 その後、徳川幕府による大阪城再築の際には、ここの大きな花崗岩が使われ(どうやって運んだのかは謎が多いそうです)、石の島として知られる一方、塩作りも盛んだったようで、そこから醤油生産でも名を上げることになりました。

小豆島

小豆島

 ちなみにオリーブは、明治時代、魚の缶詰に使うオリーブ油(代表的なものとしてはオイルサーディンでしょうか)のために、国内唯一、植栽に成功した結果なのだそうで、最近の健康ブームで脚光を浴びつつあるとか。

 それでも今や、過疎化の問題はここ小豆島も例外ではなく、石の商売も外国産の安い石材に押され、塩にいたっては、生産者がいなくなってしまったそうです。

 少子高齢化、都会への人の流れ、グローバル経済の波は、海の幸、山の幸、温暖な気候に恵まれたこの島をも飲み込んでしまったかのようです。

「いい所なのになぁー」古老が嘆きました。
「それは、イノシシですら、よう知っとるのに・・・・・」
「えっ?イノシシ?」
「そう。昔この島のイノシシは、豚ペストとやらで全滅したのやけど、最近,四国からも岡山からも泳いで来よるのよ」
「うそ!イノシシが海をわたる?」と思わず耳を疑ったのですが、本当でした。
その確かな映像も撮られていて、テレビでも放映されたのです。

 イノシシが、命がけで海を渡ってまで求める土地を、ヒトが捨てて行く・・。
大袈裟な言い方かもしれませんが、どこか言い得ているような気もして笑ってしまいました。

小豆島

小豆島

 「しかし不思議なもんでな・・・まだまだわずかだけれど、この島に渡ってくるヒトも現れはじめたのさ」

 今回の小豆島行きは、そうした若い移住者の取材も兼ねたものだったのですが(近々BS朝日で放送される予定)、きれいな空気、自然な食生活で、虚弱な体質を改善しようとやって来て、今では、廃れてしまった昔の塩作りに挑戦する若夫婦。収入も激減、塩もそれほどの稼ぎにはならずとも、畑で自給自足しながら「来て良かった。本当の幸せって何なのか・・・・・分かり始めた」と言います。

 またリーマンショックで、それこそ大きな衝撃を受け、それまで金融の世界でブイブイ言わせていた若者が、正反対にも見えるこの島での活動(過疎化を逆転して活性化させるお手伝い)が「楽しくてしょうがない」と言いました。

 実は私にとって、こうした若者に出会うのは初めての事ではなく、能登にも子育てのために都会をはなれた若者がいましたし、千葉・鴨川にも、東京・原宿での最先端の都会生活を捨てた若者がいました。

 奥多摩にもIT企業を辞め、林業に精をだす若い夫婦がいて、その奥さんが言った一言が印象的でした。
「ここ山の仕事でも、夫は疲れて帰ってきますが、これは今までとは違って、健康的な疲れだと思うのです」

 こうした若者達と出会う度、いつも私の胸に去来するものは,すっきりした爽快感と、ちょっぴり苦い、後ろめたさです。

幸せって何だ

幸せって何だ

 思えば、私達とその後に続いた団塊の世代は、どこか偏った価値観の中で生きて来てしまったような気がするからです。
敗戦の廃墟の中から、とにかく豊かな社会作りに奔走。それは経済、経済、経済。そして何時の間にか、それ以外の価値観を見失ってしまったかのような生き方をして来てしまったのではないかとの、悔いのような想いが湧き上がってくるのです。

 もちろん経済は経済で大切なものです。また金融もITも都会も必要です。誰もが皆、田舎生活に向いている訳ではありません。今、方々へ移住した人の中から、いずれ音を上げる人も出てくるかもしれません。
でも・・・・・でも・・・・・彼らは、私達世代が気づけなかった何かを掴みかけている・・・・・・そんな気がしてくるのです。

 「私はもう間に合わんだろうなぁー・・・・・・」
初夏の風を全身にあびて、フェリーの甲板から小豆島に別れを告げながら、「ありがとう」と言った気がしました。

    テレビ屋  関口 宏