H.Sekiguchi

関口宏
 「歯」に来ました。勿論初めてのことではありません。25年ほど前、50歳を過ぎたところで、5本ほど抜歯する徹底的な大工事をして、「これで死ぬまで大丈夫だろう」と思ったのですが・・・・・長生きし過ぎたのか、また「歯」に来てしまいました。
 
 「ダメだこれ。2本抜かなきゃ。」と簡単に医者から言われた時には、ガーン!とハンマーで頭を殴られたようなショックを受けました。
 (それでなくても自前の歯が残り少なくなっているのに。そしてまたあの、見るだけでも身の毛がよだつ麻酔注射を打たれるのだ。ビリビリッ、ビリビリッと唇が腫れ上がり、人相まで変わってしまうかのような目にあうのだ。そして大きなペンチのような器具でグリッ、ゴリッ、ガリッ、グワッ・・・・あぁ嫌だ!嫌だ!どこかへ逃げ出したい!)と心が叫んでいました。しかし逃げ出したところで、ものが噛めなくなった今の痛さが消えるわけでもなし。(観念するしかないか・・・・・)と、自分に言い聞かせながら、鏡に映る自分を憐れんでいました。
 

 
 思えば戦中生まれ(昭和18年)の私。戦後の物のない時代に歯磨きなんてどうしていたのか、小学校に入る頃までの記憶がありません。良い歯ブラシも歯磨き粉も、そんなものはなかった筈です。覚えているのはその後、小学校の女の先生から「たて・たて・よこ・よこ、磨きましょう」と教わったことくらい。しかも当時は前歯を白く見せる程度の分かり方で、歯茎だの歯槽だの歯周という言葉すら聞いたことがありませんでした。
 
 そこにもって来てズボラな私は、ほとんど歯磨きもせず床に入ってしまう生活を続けていました。寝る前に歯を磨くと眠気が覚めてしまうのです。そんな性格が祟って中学生の頃から歯医者通いが始まったのですが、眠気優先の生活を変えようという気にはなりませんでした。
 また当時の友人の中には、歯を磨かないでも虫歯にならないと自慢する奴もいて、羨ましいと思いながら、虫歯の二本や三本あったって何てことはないと意気がっていました。
 
 ちなみにその虫歯にならないと自慢していた友人。大学生の頃、栓抜きがない時には歯で瓶ビールの栓を抜いてくれるので大変重宝されました。よほど丈夫な歯だったのでしょう。本当に羨ましい限りだったのですが、私が大工事に取り掛かった50歳頃、ほとんどの歯を歯槽膿漏でやられてしまったそうです。「丈夫な歯ほど歯槽膿漏になりやすい」というのは本当なのでしょうか。
 
 また最近見かけた週刊誌には、高齢化で注意しなければならないのは「オーラル・フレイル」。つまり口の中の老化現象に気をつけろと書いてありました。舌の動きが鈍くなる。食べ物によってむせる。固いものが噛みにくい。自分の歯が少なくなる等々、どれもドキッとさせられる指摘ばかりでした。
 
 (でも仕方ない、ここ迄来てしまったのだから)と、若気の至りを悔いつつ、歯医者通いを続けています。そして今、抜いた歯の跡には仮歯が入れられています。でも本物ではない仮歯は、噛み合わせが上手くゆかず、食事もままなりません。時々歯医者で調整してもらっていますが、キーンッ、シャーッ、ゴリゴリゴリ。仮歯を削る音が響く度、自分の歯は痛くも何ともない筈なのに、ぞぞっ!とするのは何故なのでしょう。
 
 それにしましても、歯の噛み合わせが上手くゆかなければ、消化不良を起こし、胃に負担をかけて身体のバランスを崩す。人間の身体は実に精妙に作られているのですね。そしてそれは歯ばかりでなく、身の回りのあらゆることに通じることなのでしょう。仕事にしても人間関係にしても「どうもしっくりしない」と感じたなら、最悪の事態になる前に早めの調整。
 遅きに失したこの歳になって、噛み合わせの悪い仮歯で噛み締めています。

      テレビ屋  関口 宏