東京五輪にローカルの魅力を ~平昌冬季五輪を見て~

K.Yamazaki

建築家 山嵜 一也

 平昌冬季五輪は日本代表選手団による過去最多のメダル獲得で大いにメディアが盛り上がった。2020年の東京夏季五輪に向けて弾みが付いたことだろう。世界を相手にした活躍で突然注目を集めた選手たちであったが、周囲の喧騒をよそに競技の継続的支援を訴える態度に、単なる感動物語に終わらせない成熟した日本人選手の姿を見た。同様に私たちは2020年に東京で五輪を開催する当事者として、このメガスポーツイベントの大会運営法を考える必要がある。

 私はレガシー(遺産)の視点を盛り込んだロンドン五輪(2012年)に建築士として携わった。そこでは、五輪をひと夏のイベントにとどまらせず、大会後もそのレガシーを有効に活用する戦略性があった。五輪は近年、開催都市に過度な財政負担を強いるため敬遠されている。大きな転換期を迎えている。その変化を平昌五輪の現地視察から検証したいと思う。

五輪リング。平昌五輪プラザ内。背景はボランティアスタッフの詰め所である巨大なテント。プラザの一部は平昌の街を一望できる高台にあったので。その場所を使わなかったのは残念。

 

公共事業型からメディア型へ

 

 まず、転換期を迎えている五輪の現状を認識したい。前回の東京五輪(1964年)が開催された時代のように20世紀に行われた五輪の多くは戦後復興など都市開発のために公共事業を生み出すという役目を果たしていた。それは国内だけで経済を回すという自己完結型の考え方である。しかし、五輪と言うメガスポーツイベントの開催能力のある都市では過度な開発は不要となっているのではないか。それでも大会に合わせて競技場を建設すると、大会後は維持費のかさむホワイトエレファント(負の遺産)となってしまうことは、ギリシャ五輪や直近のリオ五輪の廃墟と化した競技場のニュースから明らかだ。

 平昌五輪の大会スローガンは“Passion. Connected.(情熱をつなぐ:筆者訳)”であった。つなぐこと、つながることの重要性を挙げている。そこには、南北朝鮮の融合、東アジア情勢、過去と現在と未来、そして「開催都市と世界つなぐ」という、何重もの意味合いが込められている。21世紀に開催される五輪は国内の公共事業によって経済を回すのではなく、開催都市と世界をつなぐ媒介、いわばメディアであるという見方も出来る。開催都市の世界的な認知度の向上を目指す、シティプロモーションの役割が五輪には求められている。

五輪リング。高速鉄道KTX江陵駅前。ソウルから約2時間で結ばれた高速鉄道のために建設された新しい駅。

 

選手の肩越しに見えるロンドンの街並み

 

 そのためには、世界に発信されるべきローカルな魅力を自ら発見することが、これからの五輪開催都市に求められる。その例として挙げられるのがロンドン五輪だろう。英国の首都であり、観光都市であるロンドン。その中心部に計画した競技場群は、規模や用途、そしてセキュリティーの観点から非常に厳しい条件であったが、美しい街並みを背景にした絶好のシティプロモーションのツールとして位置付けられていた。

 例えば、ビーチバレーボール会場はバッキンガム宮殿に近い兵隊の交代式で有名なホースガーズパレードという広場に5,000トンの砂を敷き、15,000人収容の仮設競技場を建設した。この敷地は英国首相官邸の真裏という非常にセキュリティーの厳しい場所でもあった。また、馬術会場は世界遺産でもある王立グリニッジ公園内という特異な敷地に23,000人収容の馬場アリーナと全長6㎞のクロスカントリコースを敷設した。マラソンはセントポール大聖堂、バッキンガム宮殿、ビックベン、タワーブリッジなど市内中心部にある観光名所を3周巡るコースレイアウトだったが、選手たちは90度に曲がるカーブが多く、また石畳の上を走り抜けるため、難しいコースだったと言う。それぞれ、セキュリティー、特異な敷地条件、そして選手に負担をかけるコースなど難しい選択をしたが、観光都市ロンドンのローカルな魅力である街並みを選手越しに見せるために競技場を構成した。

五輪リング。江陵地区のロータリーに設置。唯一都市景観を取り込んだ場所と言えるが、江陵ならではのローカルな場所かどうかは不明。

 

五輪リング設置場所にも「ストーリー」を

 

 では、五輪が発信すべき開催都市の魅力とはどうあるべきか。スポーツの祭典は一瞬にして終わるが、開催都市の日常は大会後も続く。五輪が多大なるシティプロモーションの機会となれば、大会を通して開催都市に興味を持った人びとへ観光を促す機会となるかもしれない。

 その都市の魅力とは世界が興味を持ちそうな部分を自ら発見し、磨き上げていくことが大切だ。そのような可能性を平昌五輪は見せようとしていたか。

 冬季五輪競技場の建設場所は一般的に山間部など地形に大きく左右され、場所も限定される。それならば、五輪リングを開催都市ならではの景観を取り込んだ場所に設置するべきだった。五輪リングは大会期間中、街を訪れる人々の恰好の写真撮影スポットとなり、そこで撮影された画像はSNSを通して世界中に拡散される。ならば、五輪リングに都市の街並みが借景として入り込むような配置であるべきだ。今回、平昌五輪パーク内でも五輪リングを見かけることがあったが、ボランティアスタッフの詰め所である巨大なテントを背景にし、周囲の景観を取り込んで配置しているとは言い難かった。見え方一つにしても開催都市のローカルな魅力を戦略的に計画するべきだ。

五輪リング。江陵五輪パーク、江陵スタジアム前。開閉会の4日間のためだけに五輪スタジアムを平昌五輪プラザに建設する一方で、この既存の江陵スタジアムは使用せず、五輪リングを設置してだけ。

 

「外国語を扱える」以上のコミュニケーションスキルを

 

 また、大会運営ボランティアも五輪を訪れた人々が触れ合う機会の多いローカルな人であろう。大会直前に厳しい労働環境からボランティアを辞退する人が多数出たと話題になったが、ホスピタリティのクオリティは担保したい。世界から訪れる人々を様々な言語を操り、もてなすというコミュニケーションスキルは高度である。五輪と言う世紀のイベントに参加したい、貢献したいという思いは理解できるにしても、外国語が話せるという以上のスキルが求められる。それをボランティア(無償)で賄うには非常にハードルが高いと感じた。

 ボランティア同様、開催都市で人々を目的の場所に導くのが「サイン計画」だ。GPS機能の付いたスマートフォンを持っていれば、街を迷うことなく歩けるかもしれない。しかし、その現在地を確認する必要が出てくる。サイン計画には案内板のほか道路標識・地図、防災の避難案内などが含まれる。韓国は日本と同様に英語表記が少ない国だった。だからと言って、単に英語などの多言語表記を目指すのではなく、見やすさ、わかりやすさを考慮しなければならない。また、現地を訪れる観光客は旅先という非日常の環境で、不慣れな言語に接する。極端な気象条件の場合、冷静なコミュニケーションを取ることが難しくなることを極寒の地、平昌で感じた。サインを計画する側はそのようなストレスも考慮しなければならない。

ボランティアスタッフの後姿。笑顔とともに献身的にもてなしてくれたが、海外からの観戦者をもてなすには言語を含めてそれなりのスキルが求められる。

 

「五輪リング」「ボランティア」「サイン計画」

 

 平昌五輪における五輪リング設置場所、大会運営ボランティア、サイン計画を充実させることこそが、ローカルな魅力を世界に発信する第一歩ではないかと平昌の街角から感じた。クリック一つでグローバルにつながる世の中では強力なローカルの魅力こそが発信されやすいコンテンツとなる。それは言わば、世界のどこにでもあるグローバルチェーンのコーヒー店よりも、渋い雰囲気の純喫茶の方が日本ならではの空間を味わえる。同様に日本人は欧州の整然とした石造りの美しい街並みに憧れを抱くが、看板やネオンが乱立する東京の雑多で混沌とした街並みこそ世界の人々が求めている日本の美しさだったりする。

 これはSNS映えするという表層的な話ではない。発信したくなるストーリーや景観を都市に見つけ出すためには生活者ですら気付かないローカルな魅力を見つけ出すスキルが求められる。

 五輪の役割がメディア型と変わりつつあるのならば、開催都市のローカルな魅力を磨くことが大会後もレガシーとして世界とつながるために必要なのである。平昌五輪が終わり、いよいよ私たち、東京五輪の順番となった。

江陵地区で見かけた商業施設の看板。わずかな手掛かりとなる英語表記すらない。