テレビ屋 関口宏
またそんな会話が交わされる季節になってしまいました。
歳を重ねるごとに、時の移ろいが早く感じると昔から言われては来ましたが、どうも近頃は、そればかりではなさそうです。
あらゆる分野でのスピードが、さらに加速度を増し、先行きが心配される方向に進んではいないか、そんな老婆心(老爺心)がざわつく年の瀬になりました。
その一つ、「希望の党」の大嵐は何だったのでしょう。
都議選の勢いに乗じて新党を立ち上げ、国政に切り込もうとしたのは秋風が吹き始めた頃。
「ひょっとしたら、日本の政治が変わるかもしれない!」とマスコミは連日小池氏を追いかけ、政界の話題を独り占めした感がありましたが・・・・・ご承知のごとき現状。
結成からアッと言う間に絶頂期に上り詰め、そしてガタガタガタッと弱体化するのに一年どころか半年もかからなかった速さは、それこそ前代未聞の出来事でした。
その速さを助長したのは、益々広がり続けるネット・ SNS系、そして新聞・テレビだったのでしょう。
政界だけの話ではありません。
昨日まで確固たる地位にあった大企業がアッと言う間に信頼を失ったり、「まだ先の話だろう」と思っていた全自動の自動車が、アッと言う間に実用化一歩手前まで来ているとか、これまでの常識では考えられないことが次々に起こっています。
医療の世界でも「ゲノム解析」等による進化は、「病」の常識を大きく変えてしまうと言われていますし、臓器再生、遺伝子操作等々、「明るい面」と「怖さを感じる面」が同居する分野の研究も、スピードを増しているようです。
更に「AI」が次々導入されている世界での変化には、「もうついて行けない」
とガラパゴス老人はお手上げ状態です。
この秋、大手銀行が何万人分もの仕事を機械化すると発表しましたが、それはやがて「人間不用」の社会の到来を予見させる現象として、「来るものが来たか」と不安になりました。
「ひと」の仕事が機械に奪われる、それは様々な分野で起こりつつあるのでしょうし、このスピードも益々加速度を増すと思われます。
そして来るべき社会とは、どんなものなのか。
人間にとって本当に幸福な世の中なのだろうか。
この時代の変化に戸惑いながら、どこかに疑問符がついてしまうのです。
そこで最近、若い人たちの意見を聞く機会を積極的に作ってみました。
当メディア塾・ドキュメンタリー・日めくりカレンダーもそのひとつですし、若いスタッフの飲み会にも参加してみました。
しかし意外にも若い人たちは、いたって冷静なのに驚きました。
それは何故か・・・・・と考えますに、当たり前といえば当たり前なのでしょうか。
若ければ若いほど、この時代の変化の中で育ってきているわけですから、変化はそれほど珍しいことでも何でもない感覚を持っていて、私達世代ほどの不安を感じていないようなのです。
「それはそれなりに乗り切って行く」そんな感じを受けました。
どこか肩透かしを食らった気がしましたが、「うん、分かった!なら後は頼んだぞ!」とは言えず、往生際の悪いガラパゴス老人には、やはり心配な時代が始まってしまった感が拭えない年の瀬なのです。
テレビ屋 関口 宏